もう一度、共にいたいから
第398話 忠誠と信頼と
ズクッと両腕の傷が痛む。血を流し過ぎた体は、己の限界を訴えている。しかし、それを聞いてやる気はさらさらない。
「さて、どうするかな」
主戦場から離れ、ジェイスがベアリーと共に山の中へと入ったのはどれほど前のことだっただろうか。それすら曖昧だが、ジェイスの主な目的は達せられていた。
ベアリーは返り血と己の血にまみれた足で地を蹴って、ジェイスの前に躍り出た。
「余裕そうね?」
「ええ。ここにあなたとわたし以外いない、それが目的ですから」
瞬時に障壁を築き、ジェイスはベアリーの蹴りを防ぐ。力の行使によって腕の傷が更に開いたが、構っていられるわけもない。
ジェイスの目的は、ベアリーとリンたちからの距離を極力離すこと。それさえ出来てしまえば、後はどうとでもなる。
ベアリーとて、無傷ではない。ジェイスのナイフによって頬や腕、横腹などが斬られて赤く染まっている。
互いに満身創痍に近い。ジェイスは己と互角に渡り合える存在に驚きつつも、最短距離で倒す目算を立てながら戦っていた。
ベアリーもジェイスの目的には気付いていたが、特に問題にはしていない。
「さっさとあなたを倒せば済むことでしょう? あなたを倒せば、私は全滅させる自信があるもの」
「……それはどうだろうね」
ジェイスはキリキリと弓を引き、五本の矢を放った。虹のような弧を描き、それぞれにベアリーへ向かって飛んでいく。
一本は余裕で躱され、二本目は蹴り落とされる。三本目は辛うじて右肩を掠り、四本目は服の端に刺さった。更に五本目がベアリーの顔面を直撃しかけ、避けられる。
カッシャン。ベアリーの顔にかけられていた眼鏡が、音をたてて落ちた。ただ頑丈に作られているのか、レンズが割れることはない。
一瞬、眼鏡を射てやろうかと思い付いたが、ジェイスはそれを実行しない。流石にそこまで卑怯な手を使うのは
「壊されるかと思ったけど?」
ベアリーは優雅な仕草で眼鏡を拾うと、汚れをはたいてかけ直した。
「残念ながら、わたしは勝利に
「
ジェイスはベアリーの回し蹴りを躱し、次いでお返しとばかりに足払いを仕掛けた。
ベアリーもそれくらいは読んでおり、片足でくるりと方向転換した。そしてジェイスの足が届く前に体を浮かせる。
トンッと後方へ宙返りすると、ベアリーの鋭い蹴りがジェイスの鳩尾に襲い掛かった。牙のような突起を備えた靴底が刺されば、ジェイスといえども無事ではない。
「はっ」
躱すのは困難だと判断し、ジェイスは小さな結界でベアリーの足を弾き返した。ズサササッと地面に足で線を描き、彼女はフッと息を吐いた。
「どうする? 私は例え仲間が一人ずつ消えようと諦めないけれど」
「……大した忠誠心、だね」
むしろ感動すら覚えて首を振ると、ベアリーは「勿論」といっそ壮絶なまでに微笑んで見せた。
「それが、我が国の在り方よ」
ベアリーの速度が上がる。これだけ攻防を繰り広げて、まだそれだけの余裕があるのかと驚かされるほどに。
「ちいっ」
ジェイスは生成したナイフで応戦するが、ベアリーのスピードが徐々に彼を上回っていく。
パンッと音がした後、ジェイスは己の手からナイフが失われていることに気付いた。見れば、地面に突き刺さったそれが鈍く光っている。
「……実体化させていたのが裏目に出たか」
「それ、あなたの魔力で創られているんでしょう? なかなかのものね」
「お褒めに預り光栄です」
皮肉に皮肉で返し、ジェイスは指を鳴らした。すると地面のナイフが空気と同化して消え、新たにジェイスの手にナイフが現れる。
「ただ、何度でも
「そのようね。……いえ、そうでなければ面白くないわ」
ベアリーはその場で跳躍し、ジェイスに向かってかかと落としを放つ。それを躱し、ジェイスは数本のナイフを投げた。
ピッとベアリーの腕に傷が走り、衣が赤く染まる。それを見つめ、彼女は感心したように嘆息した。
「これが任務でなければ、あなたと決着がつくまで思う存分戦いたい所ね」
でも、時間がない。ベアリーは残念そうに微笑んだ。
「私たちは、女王の命令を遂行する。あなたは神庭の宝物を知っているでしょう。その正体、教えてはくれないかしら? 教えてくれれば後は私たちで勝手に探すから、あなたたちに関わることもないのだけど」
「知らない、もしくは言わないと言ったら?」
ジェイスはあくまで表情を変えず、笑みを深くした。ここで、甘音のことを喋るわけにはいかない。
(きっと、さっきの気配はあの
先程、甘音らしき魔力の爆発を感じた。主戦場に残した仲間たちのうち、存在しない魔力の波動を感知したのだ。だからその持ち主は甘音だ、とジェイスは判じている。
そんなジェイスの内心など知るよしもなく、ベアリーはクスッと笑みを深くした。
「勿論───殺してでも吐かせるわ」
「悪いけど、生きて戻る場所があるのでね」
ベアリーの蹴りとジェイスの魔弾がぶつかる。ベアリーは器用に魔弾全てを蹴り返すと、それらに続いてジェイスに襲い掛かった。
一、二、三、四、五。左右と上下、更には斜めからもベアリーの蹴り技が炸裂する。
「ぐっ」
ジェイスは防戦一方となり、両腕を交差させて猛攻に耐える。しかしベアリーは彼の傷口をえぐるように蹴りを放ってくるため、腕は痛みと痺れを訴える。
「これで終わり? 銀の華、なんて大層な名前がついていても大したことないのね」
血だらけのジェイスの腕を見て、ベアリーが鼻で笑う。しかし彼女が見たのは、絶望の表情などではなかった。
「……申し訳ないけど、こんな所で倒れないから」
「な、何故よ。ここまで攻められて、どうして笑っていられるの!?」
絶叫したのはベアリーの方だ。ジェイスはそよ風のような微笑のまま、改めて創り出した弓を引く。苛烈な輝きを潜めた黄金の瞳が、ベアリーを射抜く。
「銀の華は仲間を信じているからこそ、美しく輝く。わたしは、あなたを退けて進まなければならないんだ」
ジェイスの白い肌から、赤い血が滴る。それが落ちるのと、ベアリーが闇雲に蹴りを放つのは同時だった。
「死になさいっ!」
「───っ!?」
咄嗟に弓矢を空気に帰し、ジェイスは飛び退いた。しかし体力が無尽蔵のはずもないのに、ベアリーの強力な打撃が迫った。
結界を張るのも間に合わない。既に挙げる力も失いつつある腕を挙げる間も無く、万事休すかと思われた。
「ジェイスさんっ!」
しかしジェイスの目の前を、小柄な背中が覆い尽くす。
紺色の髪が風にあおられ、同色の猫耳がそよいだ。
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