第397話 忘れる眠り
ユキが何故息を止めるよう進言してきたのか、リンにはわからなかった。しかし、それを拒否する理由もない。素直に大きく息を吸い、止めた。
ダイはリンの行動の意味を図りかね、そのまま立ち尽くした。まさか、それが結果を分けるとも知らずに。
ユキは遠目に、リンが息を止めたことを確認した。そして自分も息を止め、右手を天に向かって挙げた甘音に頷く。
「ありがとうございます、皆さん!」
甘音の周りには、ユキと克臣、唯文に倒された兵士たちが転がっている。計十五名。
スカドゥラ王国側の兵士たちの命に別状はなく、ただ気を失ったり傷の痛みに
死屍累々の中、甘音は己の体の中心に力が集まっていることを感じた。その力を、徐々に右側へと移動させていく。移動したらそれを肩へ、腕へ、手のひらへ。
熱く燃えるような塊が、手のひらの上で光を放つ。甘音の瞳が水色から、深い水底の色へと変わる。
大きく息を吸い込み、甘音は己の力を解き放つ。
「
その言葉は、甘音の可愛らしい声とは違うトーンで呟かれた。大人びた、女性らしい落ち着いた声色のそれは、神が乗り移ったと称することも出来よう。
甘音の言葉と同時に、彼女の手のひらから深い青の光が四散する。キラキラと夜空の星のように輝くそれは、倒れ伏す兵士たちに振りかかっていく。
「……!?」
ユキたちは、その光景に息を呑んだ。
苦しげに呻いていた兵士たちが、皆穏やかな顔で寝息をたて始めたのだ。更に、彼らの外傷が塞がっていく。
「もう、息をしても良いですよ」
「―――っ、はぁ」
甘音の許可を得、ユキたちは大きく息を吸い込み、吐いた。そうしても、彼らが眠気に襲われることはない。しかし、少しずつ体の痛みが消えていく。
克臣は近くに倒れている兵士の肩を、足の先でつついてみた。しかし、起きる気配はない。
「こりゃ、どういうことだ」
「眠ってもらったんです。忘れるために」
「……どういうこと?」
ユキが尋ねると、甘音は自分の魔力について説明してくれた。
「わたしの魔力は、こうやって人の眠りを操れることなんです。操ると言っても、眠りに少し効果を持たせられるくらいのものなんですけど。……神職だった我が家で、細々と受け継がれてきた力だと聞いてます」
「眠りに効果をつけられるって、例えば?」
「例えば、悪夢を見せたり未来夢を見せたり。良い夢を見せることだって出来ます。わたしはまだ未熟だから、難点と言えば一度力を使うとしばらく何も出来なくなることと、範囲を指定出来ないことくらいです」
確かに、甘音からはもう魔力の気配はしない。そして、甘音が息を止めるように指示した理由もわかった。この力は空気と共に相手の体に入って作用するため、息を止めていれば魔力の影響を最小限に抑えられるのだ。
ユキが頷くと、甘音は先を続けた。
「今回は、ここにいる兵士の人たちに、神庭について忘れてもらいます。そうすれば、少なくとも一度王国に戻るまで時間を稼ぐことが出来ますから」
「確かに、向こうでもう一度女王とやらに命じられるまでの時間は取れるだろうが……。それにしても凄い力だな」
感嘆し、唯文は周囲を見渡した。
見渡す限り死屍累々だったのが、今や気持ち良さげに昼寝を決め込む集団となってしまった。拍子抜けするような状況だが、そうするわけにもいかない。
甘音はふっと息を吐くと、リンが立つ方向を指し示した。
「わたしが出来るのはここまでです。これ以上の進撃を、一旦は抑えられました。だけど……ジェイスさんは、無事かどうかわかんなくて」
「大丈夫。ジェイスなら何とかしてるだろ」
克臣が笑い、リンに手を振る。そして、年少組に後を託す。
「俺は、晶穂の様子を見に行こう。お前らはリンと共にあのバカを探しに行ってくれ」
「わかった! 頼むね」
「必ず、見付けて合流しましょう」
「晶穂さんのこと、お願いします」
ユーギ、唯文、ユキがリンに向かって走り出す。その後ろ姿を見送り、克臣は残っていた甘音に目線を合わせた。
「お前はどうする、甘音?」
「克臣さんについて行きます。……わたし、晶穂さんを置いて来ちゃったから」
「わかった。……リンの方も大丈夫だろ。見た限り、ダイってやつも無事じゃない」
大剣を仕舞い、克臣は甘音を背負って駆け出した。
克臣が甘音を背負って何処かへ向かい、ユキたちがこちらへ駆けて来る。リンはそれらを目視し、次いで目の前にいる男に視線を移した。
「くっ……なんだ、これは」
「ダイ、一度眠れ。そして、忘れてくれないか? ……王国へ戻り、二度とこの地を踏まないでくれ」
がくり、と膝を折り、ダイははぁはぁと苦しげに呻く。眠気に抗っているために、眠らないために気力を使っているのだ。剣の先を地面に刺し、首を振る。
「ふざけるな。オレたちは
甘音の魔力は凄まじく、ダイが抗おうとすればするほどに体に重くのしかかっていく。瞼が落ちようとし、ダイは地に突き刺した剣の刃に手を触れて目覚めようとする。
そこへ、ユキたちが到着した。リンは無言でダイを見下ろし、足掻く男を見守った。
「ベアリーが、先に行った。彼女が、辿り着けばいい。……必ず、あいつ、な、ら」
ガッシャン。とうとうダイがその場に崩れ落ちた。剣と共に眠ったダイは、悔しげに眉間にしわを寄せている。
リンはダイが目覚めないことを見て取ると、ユキに目線を合わせた。
「……克臣さんは?」
「晶穂さんの様子見に行くって」
「わかった。なら、俺たちがやるべきことは一つだな」
リンたちがすべきこと。それは、行方を絶ったジェイスとベアリーを探し出すことだ。
「ダイは、この先だと言っていたな」
リンたちの前に広がるのは、深く迷わす木々の迷宮だ。その先には、空を突き刺す山脈が広がる。
ユキたち三人を連れ、リンは地面を蹴った。
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