第395話 甘音の策

「待って、甘音!」

 晶穂の悲鳴を振り払い、甘音は結界を突破した。外からの攻撃を通さない神子の障壁は、中から通り抜けることに何の条件も提示していないのだ。

 駆けて行く甘音を追おうとした晶穂は障壁解除を行なおうとして、ガクリと膝を折る。ぺたんと座り込んでしまい、呆然とした。

「……わたし、立ち上がることすら出来ない? 嘘」

 幸い、防御壁はびくともしていない。

 すっかり元気になったと思っていたのは、幻覚のようなものだったらしい。晶穂は小さくなっていく甘音の姿に手を伸ばし、そのまま崩れ落ちた。




 ──ごめんなさい。勝手に出ていってごめんなさい。何も出来ない姫神候補でごめんなさい。……「甘音なんか」って言ったりしてごめんなさい。

 わたし、こんなに優しく扱ってもらったことなんてなかった。大切な仲間だって言われたことなかった。

 だから、今度はわたしがみんなを守るんだ。お願い、守る力を下さい!


 遠くから駆けて来る幼い少女の姿を見つけ、ユーギは目を見張った。近くにいた唯文もぎょっとしている。

「甘音!? どうして……」

「おい、晶穂さんはどうしたんだ」

 息を切らせて魔弾飛び交う中をやって来た甘音は、二人から問われて途切れ途切れに応じた。

「わたしに、も、この戦いを、終わらせるために出来ること、があるからっ。それから、晶穂さ、んは置いて、きちゃいまし、た……」

「甘音に出来ること? 一体何を……。というか、晶穂さん大丈夫かな」

「簡単に負ける人じゃないけど、体調を崩して間もないからな。――っくそ、こんな戦場じゃなけりゃすぐに行くのに!」

 すぐ傍を飛び甘音を襲おうとした魔弾を両断し、唯文が悔しげに呻る。ユーギも不安げに甘音が来た方向を見るが、ここからでは晶穂の様子は見えない。

 唯文は顎に垂れてきた汗を拭い、短く息を吐く。そして、リンが向かった先に目をやった。

「仕方ない。リン団長があの男を倒すまでだ。おれたちで下っ端は全て片付けるぞ、ユーギ」

「うん。……甘音、何をするのでも良いけど、ぼくらの傍を離れないでね」

「はい」

 真剣な甘音の答えを聞き、ユーギは唯文と共に戦場の真ん中へと駆け出した。

「お前ら……って甘音までいるのか!」

「克臣さん」

 目を見開く克臣に、唯文が簡潔な説明をする。どうやら甘音は、何かをするために晶穂のもとから出てきたようだと。

 聞き終え、克臣はちらりと晶穂がいるであろう方向を見た。しかし、土煙と木々などに遮られて見ることは出来ない。

 克臣は「はっ」と息を吐くと、ガシガシと後頭部を掻いた。

「来たもんは仕方ないな、二人共しっかり守れよ。……俺は、ある程度片付いたら晶穂の様子を見に行く」

「はい」

「お願いするね、克臣さん」

「任せろ」

 三人は、甘音を囲むように背合わせになった。少し離れた所では、ユキがこちらの動きを気にしながら敵と戦闘を繰り広げている。

「……ねえ、甘音」

「何? ユーギくん」

 甘音に背を向けたまま、ユーギが尋ねる。

「甘音、この戦闘を終わらせるって言ったよね。……ぼくは、ぼくらはどうすれば良い?」

「え?」

「甘音が動くために、何が出来る? それを教えてほしいんだ」

「……」

 背中を向けたままのユーギだが、その真剣な思いは甘音にしっかりと伝わっていた。目を閉じ、熟考した甘音がゆっくりと目を開ける。

「わたしが制圧する。だからその準備が出来るまで、わたしを守って」

「魔力って、甘音……」

 思わず振り返ったユーギと、甘音の目が合う。唯文と克臣も内心驚いていたが、前を見据える姿勢のまま留まった。

「わたし、魔種と人間のハーフなんだ。だから、魔力を少しだけ使えるの。……ただ魔力の回復に時間がかかるから、多分、この旅の中で使えるのはこの一回」

「わかった。ぼくらに任せて」

 詳細を聞かず、ユーギは了承していた。甘音は目を見開いたが、すぐににこりと微笑む。

「ありがとう」

 そして、甘音は目を閉じ手を胸の前で組んだ。小さな声で、仲間にしか聞こえない声でもう一つ頼み事をする。

「わたしが合図したら、ユーギたちみんな、五秒だけ息を止めて」

「わかった。……克臣さんたちも良いよね?」

「ああ。ユキにはこの後すぐに伝えよう」

「了解した。無理はするなよ」

 克臣と唯文の了承も得て、甘音は安堵した。

 しかし、ここからが本番だ。魔弾飛び交い刃物が襲い来る中で、甘音は自身の魔力増幅のために大きく息を吸った。




 男はリンが真っ直ぐに自分へ向かって来るのを確認し、ニヤリと嗤った。

「来たか」

「くっ」

 二つの刃が交わり、激しく火花を散らす。それは何度も、何度も繰り返される。

 キンッキンッキンッという、耳をつんざくような金属音がその場を占める。何度やっても互角に見えたが、リンはわずかに相手に分があると直感した。

「ぐっ」

「ほら。イケメンに傷がつくぞ?」

「そんなの知るか!」

 首を狙われ顔を背ける。体が傾き、リンは紙一重で男の剣を躱した。それでも剣撃の余波を受け、頬に何度目かの傷を受ける。

 切れた傷から流れる細い血を拭い、リンはピリッとした痛みに顔を歪めた。汗が傷に触れたらしい。

 しかし、そんなことで止まるわけにはいかない。リンは改めて、突き出された男の剣を自分の剣で弾き返した。キンッという音が響く。

「ちぃっ」

「なかなかやるようだな」

 風を斬るように薙いだ剣を余裕で躱され、リンはもう一度袈裟斬りにしようとした。その刃は男に受け止められ、二人は間近で顔を合わせた。

「くっ……」

「ふんっ……」

 押し合い、戦況が硬直する。

 リンは相手が一瞬力を緩めた隙を見逃さず、男を押しやって距離を取った。

 はぁはぁと肩で息をしながら、リンは男を真っ直ぐに見つめた。目を離すことは、即ち良くて怪我、悪ければ死につながる。

 リンは息を整え、男に尋ねた。

「今更だが、あんたの名は? 俺はリン。銀の華、団長リン」

「リン、か。オレはダイ。スカドゥラ王国軍、第一部隊大佐を勤めている」

 ダイと名乗った男は少し乱れた息を整えると、トントンと爪先で地面を叩いた。そして、何か良いことを思い付いたという風に歯を見せる。所で

「リン。お前、オレたちと来る気はないか?」

「───っ!?」

 思わぬ誘いを受け、リンは瞠目した。

「何言って……」

「お前の動き、指示、全て見させてもらった。こんな所で自警団の長をやってるだけなんて、勿体ない。こちらに来れば、相応の待遇を約束しよう。……どうする?」

「考えるまでもない」

 リンは剣に光の魔力を帯びさせ、きっぱりと返答した。

「返事は、否。それのみだ」

「ふふ。それは残念……」

 ダイはおかしそうに笑うと、腕を伸ばして剣を真っ直ぐに立てて持つ。すると、刃が炎をまとった。

「これで、終わらせてやろう!」

「こっちの台詞だ!」

 光の渦をまとったリンと、赤黒い何かを全身にまとうダイ。二人は互いの刃を鳴らし合った。

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