第392話 森を抜けて

 翌日昼前、ユーギはいの一番に森を抜けて両腕を天に突き挙げた。

「やっと、森は抜けた!」

「森は、な」

 含みのある言い方でユーギの隣に並んだ唯文は、目の前にそびえ立つものを見上げて苦笑いを漏らす。そこにあるのは、頂上が雲に隠れて見えない山脈だ。幾つもの山々が連なる土地。

「ここから始まるようなものだろ、神庭かみのにわを探すのは」

「もう、唯文兄は感動させてもくれないのか?」

「ユーギ、ほっぺ膨らませるなよ」

 ユキにも注意され、ますますユーギが膨れっ面を作る。そんな年少組の掛け合いに、甘音はくすくすと隠れて笑っていた。

「ほら、甘音にまで笑われてるぞ」

「甘音ー」

「ふふっ、ごめんなさい。でも楽しそうで」

 とうとうお腹を抱えて笑い出した甘音を囲む年少組は顔を見合わせ、困ったような顔で微笑み合った。甘音が心を開いて笑顔を見せるようになった、それが何よりだという見解で一致しているのだ。

 そんな年少組の賑やかさを見ながら、リンは周囲を警戒する。まだ敵意は感じられないが、警戒を怠る必要もないだろう。

「リン、大丈夫?」

「ああ。いつ襲撃されるかわかったもんじゃないからな」

「……聞いてないでしょ、リン」

 少し眉をひそめた晶穂は、話半分にしか聞いていないリンの額を指で弾いた。所謂デコピンである。

「――痛っ」

「もう。そんなに険しい顔してたらもたないよ」

「悪い」

 晶穂がリンを思って叱っていることは明白だ。リンは素直に謝った。

 頭をかきながらわずかに目線を逸らして言うリンに、晶穂は柔らかく微笑んだ。彼女とて、リンと真正面から目を合わせると赤面して平常ではいられなくなる。

 二人のほのぼのとした恋人っぷりを眺めながら、ジェイスと克臣は声もなく笑い合う。年少組にしろこの二人にしろ、平穏な日常で暮らしていればと何度思ったことか。

 鬱蒼とした森を抜け、日の光が射すひらけた場所。一行はその解放感に浸りつつも、何時来るとも知れない敵の影を探していた。

 何処までも続きそうな山々を臨み、ジェイスは自分の後ろにいるリンを振り返った。

「ここで少し休憩して、先へ進むかい?」

「そうですね。丁度昼時ですし、そうしましょうか」

「やったー、ご飯!」

 リンが同意したのとほぼ同時に、ユーギが両手もろてを挙げて喜んだ。彼の腕には痛治りかけの傷が五本走っている。

 それらの傷は、暴走した春直によってつけられてしまったものだ。晶穂の治癒力で跡は残らない。

 しかしながら、まだ治りきらない深い爪跡は確実にユーギの行動を制限していた。

 わずかに痛む腕を挙げてしまい、ユーギの目元が歪む。それに気付いた唯文とユキが気遣う。

「痛むか?」

「無理矢理動かしたらダメだよ」

「二人共心配性だなぁ。大丈夫、ありがとう」

 ユーギはにこっと笑い、右の足首をくるくると回した。自分の主力武器は自らの足だと言いたいのだろう。

「なら良いけど」

「うん。……唯文兄もしてるけどね、怪我」

「そ、それを言うなよ。ユキ」

 自分こそ軽傷だと首を振り、唯文は苦笑いをした。

 それから木陰を探してそれぞれ腰を下ろし、 弁当を広げる。アルジャの町で買い求めたおにぎりや雑穀を使ったパンのサンドイッチ等、すぐに口へ放り込めるものが並んだ。

 肉巻きおにぎりを食べながら、リンは遥かに広がる山々を眺める。この何処かに神庭があるのだ。

「よし、そろそろ行く───」

 行くか。その言葉は喉の奥へと消える。リンは森の中の一点を凝視した。

 一瞥いちべつしただけではわからないかもしれない。しかしリンは、そこに殺気を感じた。

 リンと同様に警戒をあらわにしたジェイスと克臣、そして晶穂と年少組が茂みを見つめる。誰かの喉がゴクリと鳴った。

「誰だ、出て来いっ」

「あら、見つかってしまったわね」

 拍子抜けするほど呆気なく、隠れていた者は姿を現した。リンたちの前に現れたのは、眼鏡をかけた美女と精悍な顔立ちの男だ。

 女は森や山を散策するには軽装で、短いズボンからはすらりと長い足が伸びている。胸元は強調され、目のやり場に困る有り様だ。

 男は何処かの軍隊にでも所属しているのか、また 軍人としての身分を持つ者なのか。軽装だが戦場に適した軍人らしい服を身に付けている。

 容姿を観察していたリンは、ふと文里から聞いていたリドアスにやって来た女の容姿に関する言葉を思い出した。それを思い出すにつけ、目の前の女がそれに当てはまるように思えてならない。

「―――そちらの女性に、尋ねたい」

 冷汗が背を伝う。女の柔和な笑みが、嫌に恐ろしげに映る。それでも、臆することなど出来はしないのだ。

「何かしら?」

「お前は、アラストの銀の華拠点、リドアスを訪ねたか?」

「リドアス……」

 女は右の人差し指を唇にあて、音もなく嗤った。そして、意味ありげに目を細める。

「訪れた、と言ったら?」

「その目的は」

「目的。……銀の華は、我が国の王が求めるものを先んじて得ようと企んでいる。その芽を潰し、我が国の礎の一部となってもらう。――ああ、お前が銀の華の」

「団長、リン」

 リンが剣を構え、その背後で仲間たちがそれぞれの武器を持つ。甘音を正体不明の女たちに見せないよう、晶穂とユーギは彼女を背後にかばった。

 女が片手を真っ直ぐ上に挙げると、彼女らの後ろから出て来た十五人の兵士がこちらに弓や剣、そして魔弾を向けた。

「丁度良い。―――死んでもらおう」

「断るッ!」

 兵士たちから炎や水、氷、雷などの魔弾が発射される。その間を塞ぐようにして、たくさんの矢が降り注ぐ。

 リンの拒否の意を聞いた途端、仲間たちが各々前へと走り出した。

 魔弾を防ぐ壁を築いたジェイスの背後から跳び上がったユキが、氷柱の雨を降らせた。その傍では、飛び交う矢を叩き落す克臣と唯文の姿がある。

 晶穂は甘音を守りながら、やって来る兵士を防御壁で弾き飛ばした。更にユーギが、諦めの悪いやからの鳩尾を蹴り飛ばしていく。

「うおっ」

「たあっ」

 目の前に突然跳び下りた物体に驚きのけ反った兵の隙を突き、その物体の正体であるユーギが回し蹴りを食らわせた。ドッという音をたてて男が昏倒する。

「―――ちっ。なかなかやるわね」

 乱闘の中、女は舌打ちをして一歩後退しようとした。しかし、彼女の目の前には剣の切っ先を自分に向ける青年の姿がある。

「撤退するのなら、追わずにおこう。ただし、お前の名だけ置いて行け」

「生意気な」

 女は鉄の靴底を地面に叩きつけるように前進し、リンと真っ直ぐ目を合わせた。

「私の名は、ベアリー。スカドゥラ王国女王側近。――決して、敵前で逃げることなどしない!」

 女―ベアリー―はそう叫ぶように名乗ると、地を蹴りリンに襲い掛かった。

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