第386話 動き出す王国
春直が封血の力をコントロールしようと悪戦苦闘していたのと同時期、遥か南の島国では一人の女王が動き出そうとしていた。
ソディリスラから南の海を渡ってしばらく進むと、大きな島が見えて来る。島と銘打たれてはいるものの、その規模から島ではなく大陸と称されることも多い。
その地を統べるのは、スカドゥラ王国である。
かつては弱小国だったが、長い年月をかけて武力を増強して強国となった。何度も侵略戦争を行い、その地にあった数か国の国は全てスカドゥラ王国の領地となったのだ。
現在の王の御代となってからは戦いを好む気性は鳴りを潜め、国政重視の政権となっている。海の向こうにはソディリスラという無政権地帯とノイリシア王国、更に竜化国という国々があることは知られていたが、長い戦の時代を生きた人々にとって、魅力のある地ではなかったのだった。
しかし、現在の王を務める女王メイデアの見解は違った。
メイデアは、既に若い娘ではない。しかしながらもその若々しい容姿から、実年齢を知る者は少ない。その高圧的な目力と妖艶な肢体、更に聡明さと武力をも併せ持つ完璧な王者であることから、彼女に意見出来る役人はほぼいない。
数々の戦場で成果を上げ、敵の将を殺したことも何度もある。その戦姫は、やがて敵から悪魔の女傑を呼ばれるようになった。
その功績が認められ、先代王の推薦もありメイデアは初の女王となったのだ。
「……ふむ」
各地から送られて来る報告書に目を通し、メイデアはメイドが入れてくれたワインを口に含んだ。西の領地で採れる果実を使ったこのワインは、彼女の好物だ。
金髪のショートヘアに吊り目の紺色の瞳。ともすれば溢れてしまいそうな程に豊かに膨らんだ胸元をこれでもかと見せつけるデザインのドレスを着こんでいるが、その装飾は質素なものだ。メイデアが急な戦闘時に動けない、と豪奢なドレスを拒んだ結果である。
メイデアはワインのグラスを机の端に置き、別の資料を手に取った。こちらは数時間前にヨーラスという小隊長から提出されたものである。
「正体不明の一団、ね」
ヨーラスの報告によれば、神庭につながると思われる森の中で出会った者たちにコテンパンにしてやられたと言う。彼には外傷があまりないように見えたが、それほど興味もないためにスルーした。
そんなことよりも、気になるのはこの「一団」だ。名乗ることもなかったと言うが、メイデアにはとある候補の名が浮かんでいた。
ここしばらく、神庭を手に入れるためにソディリスラの情報を集めまくっている。現地にも調査員を派遣し、秘密裏に報告を受けているのだ。その中で、頻繁に目にする名があった。
「銀の華。彼らも宝物を狙っているのか……?」
銀の華。自警団だというが、その実力はその辺りの軍隊くらいならば壊滅させることが出来るほどだという。メイデアは誇張されたホラ話だと一蹴しようとしていたが、ヨーラスの報告も鑑みればあながち嘘でもないのかもしれない。
メイデアは立ち上がると、パンパンッと手を打った。
「ベアリー、ベアリーはいる?」
「はい、ここに」
現れたのは、質素なメイド服を着た三十代の犬人の女性だ。フチなしの眼鏡をかけたインテリ風の容貌だが、まとう雰囲気は戦場に立つ軍師である。
彼女は、メイデアの秘書であり軍師である。あまり口を開かないが、その能力をメイデアは買っている。
メイデアは目を通していたヨーラスの報告書を彼女に差し出しながら、読むように促す。
「女王様、これは……?」
「面白いだろう? ヨーラス小隊長の報告書なんだが、とても興味深く……危険だと判断した」
「では、現地調査を行います」
「話が早くて助かるよ、ベアリー」
「はっ」
何も命じなくてもすべきことを察し、正確に動く。それがベアリーの長所である。
彼女が部屋から消えたのと同時に、ドアが閉じた。いつ見ても、彼女の動きは捕らえられない。
「さて、
胸元が揺れることなど気にもせず、メイデアは執務室を大股で出て行った。
メイデアの命を受けたベアリーは、一市民のような服装で船着き場に立っていた。スカドゥラ王国屈指の巨大港は、今日もタンカーのような巨大船やたくさんの漁船で溢れ返っている。その喧噪の中、ワンピースを着たベアリーはあるものを待ってた。
「お姉さん、暇なの?」
「……?」
ベアリーが声のする方へ目をやると、そこには人工色で髪を染めたチャラい青年が二人立っていた。ベアリーの容姿をしげしげと見つめ、口笛を吹く。
ベアリーはメイド服を着ているとわかりにくいが、女王に負けず劣らずの体つきをしているのだ。その女性の魅力溢れる容姿に鼻の下を伸ばした若者が言い募る。
「滅茶苦茶タイプだわ、お姉さん。よかったら、これからオレたちと一緒に……」
「お、おい!」
一人の台詞を、もう一人が止める。彼らの前には、何かの影が被さった。二人の顔がさっと青くなる。
「ああ、ごめんなさい」
作り物めいた笑顔を見せ、ベアリーはそれを背にして謝罪する。
「私は今から、これに乗るのよ」
それは、戦艦だ。船の上には二十人もの兵士が立っている。その中の一人が、ベアリーに手を振った。
「お嬢さん、お待たせしました」
「ありがとう、ダイ大佐」
手を振り返し、ベアリーは犬人の脚力で甲板に跳び上がった。その時にはもう、あの若者二人はいない。
「仕事が早くて助かりますわ、大佐」
「お褒めに預かり光栄です、ベアリー殿」
ダイ大佐は、壮年の軍部上位兵だ。ベアリーとは同時期に王宮に仕え始めた同期であり、何かと共に仕事をする機会が多い。
二人を遠巻きにして、ダイの部下が二十名ほど控えている。戦艦らしく大砲台も備えられた広い甲板で、ベアリーは仕事の顔に戻った。
「女王様がお望みです。銀の華という自警団について調べに行きましょう」
「……もしも、
「わかり切っているでしょう? この状況で」
楽しげに冗談を言うダイに肩をすくめ、ベアリーは言い切った。
「
「でしょうな」
スカドゥラ王国において、女王の命は絶対。そして、国に仇成すと判じられた者は、命をつなぐことを許されない。
スカドゥラ王国の港から、ソディリスラに向けて汽笛が鳴らされた。
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