第385話 覚醒へのカウントダウン

 日が傾き、強い西日が射す。眩しさに目を細めつつ、春直は目の前に立つ二人の青年を見上げた。

 一人はツンツンと立った青い髪を持つ、クロザ。もう一人は長い青黒い色の髪を紐で縛ったゴーダである。赤髪の少女、ツユは少し離れた場所にある切り株の上で三人を見詰めていた。

 少し、風が柔らかくなってきた。そよぐ髪を指でかき上げ、春直は封血を引きずり出そうとイメージを膨らませていく。

 ──ドクン。ドクン。……ドクン。

 何かが競り上がってくる。春直の自我を呑み込もうと迫ってくる。

 幾ら逃げても追ってくるそれから逃れることを諦めたら……ぼくはぼくでなくなる。わかりきった事実が、沈殿しかけた春直の意識にか細い糸を垂らす。

「はっ、はっ、はっ……」

 荒く呼吸する春直を目の前にして、クロザとゴーダはそれぞれに戦闘態勢を取る。紫と赤を行き来する瞳の色が、春直の中でせめぎ合う力の緊迫感を教えてくれる。

「ゴーダ」

「わかった、クロザ」

 ゴーダは頷くと、手のひらに力の波動を貯めていく。決して魔力は強くないが、その器用さではクロザを凌駕する。

 彼が目を閉じれば、手のひらの魔力は徐々に形を変えていく。やがて、瞳と同じ緑の光は形を成した。

「……うん。見様見真似だけど、うまくいくものだね」

 ゴーダの手にあるのは、鉄の弓矢だ。アーチェリー等で使われる弓矢を模したものである。

 彼はジェイスの魔力によって創られた武器を、自分でも創り出してみせたのだ。自分の力で創られたものであるから、手に馴染む。

 ゴーダはくるっと弓を回転させ、感触を確かめた。

「よし、いける」

 そう言うと、ゴーダは迷うことなく一本の矢を春直に向かって放った。心臓を狙ったそれは、真面にあたれば死に直結する。

 ──キンッ

 鉄の矢は、無残にも二つに折れて地に落ちた。落としたのは、真っ赤に染まった爪をかざす一人の少年。

 矢を落とした右側の瞳は真っ赤に染まり、左は紫色を保っている。つまり、春直の自我が封血に抵抗してそこにあるということだ。

 左側の目を歪め、春直は荒い呼吸を繰り返す。押さえつけられた手を挙げるように、春直はじわじわと左腕を挙げる。

「ぅあっ」

 封血が操る右腕が左腕を拒否し、春直は悲鳴を上げる。左手で右腕を掴もうとして、失敗したのだ。

「……」

 クロザとゴーダは、春直の葛藤を見守って手を出さない。ここで不要なことをすれば、身を守ろうとする封血が無理矢理春直を乗っ取りかねない。

「春直っ……」

 離れた場所から三人を見守るツユは、神に祈るように指を胸の前で組んだ。そして、どうかと願う。

「どうか……いえ、春直は必ず乗り越える!」

 それは、願うのではなく決意だ。神と名のつく者に踊らされた過去を持つツユたちに、神を心の底から敬う信心はない。

 しかし、今だけは神に見せつけたかった。ただ呑み込まれるだけではないのだと。

 ツユの青い瞳に映るのは、何かに抗いもがく春直の姿だ。右の赤い目は怒りに燃えるように吊り上がり、左の紫の目が痛みを堪えるように伏せられる。何とも奇妙な表情だが、二つの意思を反映した結果だ。

「くっ……そ」

 春直の中では、二つの像が向き合っていた。

 一つは春直自身の像、そしてもう一つは春直そっくりの赤い像。後者は春直を呑み込もうとする封血が己の姿を作ったものだ。

 赤い像は今、春直の首を両手で締め上げている。その行動は現実にも反映され、春直の右手が徐々に首元へと導かれていく。

 その手に抵抗を試みた左手が、首を絞めようとする右手を捕らえた。春直自身の力以上の力で振り払われそうになるが、簡単には諦めない。

 ぐぐぐ……。少しずつ、数ミリずつ押し返し始めた左手に、右目は見開く。このままではまずい、と本能的に察したのかもしれない。

 しかし、既に遅かった。

 春直は右手を力づくで首から離し、暴れようとした赤い爪で頬を引っ掻かれた。つ、と流れる血を拭い、春直は痙攣けいれんする右手を包み込むようにして左手に力を込めた。

「大丈夫。負けないから……ぼくは、負けないから!」

 脂汗を流しながら、春直はともすれば失いそうになる自我の端っこを握り続けた。そして侵入してくる赤色から自分自身を守りつつ、自分と封血を混ぜてしまおうと必死だった。

 徐々に赤い瞳の力が弱まり、紫と混ざり合う。

「あぁ……あああああああああぁぁぁぁぁぁっ!」

 苦しげに叫んだ春直から、赤いリボンのようなものが無数に飛び出して来る。それらは春直を包むと、すぐにほどけて一本のリボンとなる。

 リボンは宙を舞うと、春直の右の瞳に吸い込まれる。衝撃を受けてガクリと膝を折った春直が、左目を押さえる。

「春直!」

「大丈夫ですか、春直」

 見守っていた二人が、うずくまる春直の周りに集まる。ツユも遅れて駆けつけて来る。

「大丈夫、です。……ほら」

 苦しげな笑みを見せた春直の容貌は、少し変化していた。

 紫色だった両目は今や右目は赤紫色となり、左目には彼自身の色であるアメジストのような紫色が宿っている。どうやら、春直は封血を制御する術を身につけつつあるらしい。

「これで、封血に呑まれる心配はない、よ」

 荒く乱れる息を整え、春直は微笑した。クロザは春直の変化に絶句していたが、ほっと肩の力を抜いて少年の頭を撫でてやる。

「全く、何も読めなくて笑うしかない。……よく、頑張ったな」

「本当ですね。これで後は、その力を使いこなせるか否か、というところでしょうか」

 クロザに同意し、ゴーダも弓矢を仕舞って春直の目線に合わせた。少年の瞳の変化に驚きつつも、くすりと微笑む。

「オッドアイですね。その力を使いこなせるか……今後の訓練次第、ということかな」

「へへっ。もう少し、三人にはお世話になります」

 封血の暴走を沈めることの出来た春直だが、次の段階はその力を使いこなせるか否かである。もう少しだけ、古来種の里での鍛錬は続きそうだ。

 春直を呑み込んでしまおうとした封血は、反対に呑み込まれる結果に陥った。本当の覚醒までは、後もう少し。

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