第382話 始めよう
春直が目覚めると、日が傾きかけていた。既に昼を過ぎているらしい。
「何の夢も見なかったな」
ただ、熟睡した。春直はほっと安堵して、ぼんやりと天井を見つめていた。
見慣れない天井は、古来種の里の家の一つだからだろうか。それでも、味方のいる場所であることには変わりない。
「封血、か……」
呟きを洩らした直後、部屋の戸が叩かれた。上半身を起こした春直が反射的に返事をすれば、クロザが顔を出した。その胸には本が何冊か抱えられている。彼はそれを春直がいるベッドの傍の机の上に置いた。
「起きたのか、春直」
「クロザさん」
春直が呼び掛ければ、クロザはその本をベッド横の小さなテーブルの上に置いた。それらのタイトルを見ると、歴史書の類いだった。
「それは?」
「さっき言った、封血関連のものばかりだ。この里に伝わる伝承や逸話が記されている。だが、少し刺激は強いかもしれない。……覚悟して読めよ」
「わかった」
春直が一冊手に取ると、それは年表のように出来事を箇条書きにまとめた本だった。数ページをめくり、目次を流し読んでからクロザが指差すページを開く。
ミミズがのたくったような文字が並び、一文字ずつ読むのも一苦労だ。
「えっと……『血を繋ぐ者』か」
そこに書かれていたのは、百年ほど前の記録だった。封血を持つ子どもが一人生まれたと書かれている。
その子どもは特別な能力を持っているということもなく、平凡に穏やかに成長した。いつも笑顔を絶やさず、誰にでも平等に接したという。
しかし十五歳を向かえた日、彼に変化が起こった。
場所は彼の自宅。両親と兄弟が揃う中でそれは起こった。
「えっと……。『彼は突然錯乱したように叫びだし、心配した両親を赤く染まった手で殴り殺した。次いで逃げ出した兄弟を追い詰め、家の外へ。村の住民たちが異変に気付き逃げ惑うのを全て倒し尽くし、やがて正気を取り戻すが、己のしたことに耐えきれず自死。私は倉の中に隠れて命を拾ったが、狂ってしまいたかった』……か」
音読し、春直は青い顔で本を閉じた。前に座るクロザに「どうだ?」と問われ、下を向く。しばらくそのままでいて、小さな声で「嫌だ」と呟いた。
「ぼくは……誰も傷つけたくない。誰もっ、誰も死んでほしくない! 団長も、みんなも、ずっと、一緒にいたいよ!」
顔を上げ、クロザの顔を真っ直ぐに見て訴える春直。その目からは枯れたと思われていた涙が再び溢れ出し、目元を赤く染めた。何度も手で
「おい、そんなに擦るなって」
クロザに止められても、春直は溢れる涙を布団に零さないようにするのに必死だ。そして、爪があたって春直の目元に赤い線が走った。
その傷に涙が
「ぼくを、助けて欲しいんだ。絶対に、大切な友だちを傷付けないように。仲間の役に立てるように。……またみんなのところに、戻れるように」
「最初から言ってるだろ。春直、お前が仲間のもとに戻れるよう、封血を操る技を伝えると」
クロザは手持ちの書籍をポンッと叩き、目を細めて微笑んだ。それにつられて、春直も泣き腫らした顔で笑った。
「お願いします」
「よし。とりあえず、何か食うか? 朝から何も食べてないだろう」
クロザにそう言われた瞬間、春直の腹がクウと音をたてた。昨夜から何も食べていないのだから当然だ、思わず腹を押さえる春直に笑い、クロザは部屋を出た。
「少し待ってろ」
「え? あ、クロザ」
「何か持って来る」
手を伸ばしてくる春直に手を振って見せ、クロザは一度キッチンへと向かう。その途中、ズボンのポケットに入れていた端末が着信を告げる音をたてる。
「……ゴーダ? リンたちに会えたのか」
ゴーダとツユには、リンたちと出逢えて春直のことを伝えることが出来たら連絡をくれるようにと頼んでいた。端末の画面に彼の名を見て、クロザは通話を始める。
「ああ、ゴーダ。……うん、うん。……うん、ああそうか」
端末の向こうでは、ゴーダがリンたちに春直のことを伝えたこと、そしてリンたちは新たに創造主の頼みで甘音という少女を預かり神庭を目指しているということを互いに報告し合ったという。
更には、スカドゥラ王国の兵との小競り合いをも出現したというではないか。ジェイスとユキによって事なきを得たらしいが、あちらの目的もゴーダによれば甘音らしい。
王国との戦闘があった旨を聞き、クロザは春直を早く戻さなくてはならないと思い直す。そうすれば、きっと即戦力として戦うことが出来よう。
「……さてっと」
通話を終え、クロザは再び歩き出した。
キッチンでサンドウィッチと紅茶を調達し、春直が待つ部屋に戻る。紅茶には砂糖をつけ、子どもの春直も飲みやすいように工夫する。
「お待たせ。食えよ」
「ありがとう。……いただきます」
春直は紅茶に砂糖を入れてから、一口飲んだ。それからサンドウィッチを黙々と食べ終わると、ようやく人心地得てゴーダに問う。
「それで、訓練とはどんなことをするの?」
何もわからない春直が問うと、クロザは本のページを開いて筆で書かれた古い本に目を通す。それから一つ頷いた。
「まずは、封血の力を意識することからだ。もう休まなくてもいいなら、来ると良い。──始めるぞ」
「わかった」
春直はベッドから出て、いつの間にか着せられていた寝間着から自分の服へとさっさと着替えてし
まう。サラが自分のために作ってくれた衣装だが、既に傷んでしまったところも多い。
(今度会ったら、お礼言って謝らなきゃかな)
春直は「よし」と小さく気合いを入れると、何処かへ向かうクロザを追って駆け出した。
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