第383話 修練場
春直がクロザに連れて来られたのは、アルジャとは正反対の方向にある深い森だ。顔を上げれば、神庭とこちら側を隔絶する山脈が切り立つのが見える。
幾つかの切り株が散乱する空き地に立ち、春直はきょろきょろと周りを見渡した。
「ここは……?」
「オレたち古来種の修練場。己を高め合う時、試合の場として使われるんだ」
確かに切り株には人工的武器で切ったような綺麗な斬り跡があり、ところどころには切り傷が走る。成る程、これらは修練の跡なのだ。
「さて、春直」
「何?」
「ここから、一気に本番に持っていく」
そう言うと、クロザは腰に佩いた木刀を取り出した。コンコンと近くにあった切り株を叩いて感触を確かめると、春直に襲い掛かる。
「うわっ」
ひらりと躱し、春直は身軽にステップを踏んだ。足元にあった切り株につまずきかけ、慌てて踏ん張る。そして、突然の出来事に文句を言った。
「何するんだよ! びっくりす……」
「敵は、そんな言葉に耳を傾けたりしないだろ?」
木刀を鼻先に据えられ、春直はゴクッと喉を鳴らす。クロザの気配に本気の色を感じ取り、戦う姿勢へと改めた。
「クロザ、ぼくはどうすれば良い?」
「前回、我を失った時のことを思い出せ。そして、同じ精神状態へと持っていく。その上で……決して呑まれるな」
「わかった」
「よし。なら、続行する!」
宣言通り、クロザは一気に間合いを詰める。そして勢いそのままに、春直の鳩尾に拳を叩き込もうとした。
春直も負けてはいない。間一髪で急所を躱すと、バク転して足の裏に触れた切り株を蹴って宙を舞った。
武器である爪を伸ばし、クロザに向かって振り下ろす。
「甘いっ」
「くっ」
木刀で阻まれ、春直は一度引いた。
「何だよ、その木刀。斬れないとか」
「誰も木刀なんて言ってないぞ。これはな、鉄でできてんだ」
カンッと小気味良い音をさせ、クロザは鉄棒で木の幹を叩いて見せた。成る程、鉄でできているというのなら、爪で斬ることが出来ないのも道理か。
二人の試合は、平行線を辿った。打ち合い、躱し合い、再び接近する。それぞれが相手の急所を狙うも、ことごとく外される。
クロザは、春直を子どもだと侮っていたことを後悔していた。
(考えてみれば、あの団長のもとで幾つもの難局を乗り越えてきた奴だったな)
密かに舌を巻き、クロザはこの平行線の状況を変えるために春直に言う。
「春直!」
「な、何だよ」
おっかなびっくりの春直を、クロザは改めて観察した。
幼さの残る少年は、その瞳に戦士らしい覚悟を見え隠れさせる。その根源にあるものが悲しい覚悟だとしても、春直を突き動かす原動力となっていることに間違いはない。
更に俊敏な体と猫人の爪は強力な武器であり、封血を自らのものとすれば更に昇華させられるだろう。あくまで、飲み込まれることがなければ、の話だ。
息が上がり、肩を上下させる春直がこちらを見ている。その目は本気だったが、イマイチ『命がけ』には遠い。
クロザはスッと呼吸を整えると、静かな声色で言葉を紡いだ。
「……今ここに、リンと晶穂たちがいるとイメージしろ」
「え……?」
戸惑いを見せた春直だが、目を閉じた。頭の中で仲間の存在を明瞭にイメージする。
するとその画像に、クロザの言葉が重なっていく。
「彼らは、敵にやられてボロボロだ。もうお前以外、無傷の者はいない」
「―――ッ」
春直がまとう雰囲気が急速に変化する。ハッハッと呼吸が荒くなり、顔色が悪くなる。もう一押しだと、クロザは言葉を続けた。
「敵は、命を狙って来る。……ほら、お前が守らなければ、全員死ぬぞ」
――全員死ぬぞ。
その言葉が耳から脳に届いた途端、春直はカッと目を見開いた。彼の両方の瞳の色が、鮮やかな血の赤に染まっている。
引きずり出した。そうクロザが確信した瞬間、春直の姿は彼の懐にあった。
「―――!」
鳩尾に少年の拳が叩き込まれ、クロザは息を詰めた。クリーンヒットはどうにか躱し、下がって腹を押さえる。
しかし春直は止まることなく、今度は爪を伸ばして襲い掛かって来た。そのスピードは春直自身のものを越えている。
「くそっ」
チッと舌打ちしたクロザは、鉄の刀で春直の攻撃を防ぐ。キンッと音をたてて交わったその爪は、真っ赤に染まっている。
「これが、封血の力か!」
「……」
全く喋ることなく、息を乱すこともなく、ただ一方的に攻めて来る春直。その急襲への対応に苦慮しながらも、クロザは興奮を抑えきれていなかった。
一度跳び退いた春直が、再び爪を振りかざす。それに応じたクロザだったが、鉄の刀は早々に輪切りにされた。
「なっ」
驚く間もなく体を捻って春直の攻撃を躱したクロザは、真っ二つにされた鉄をしげしげと眺めた。見事に二つに斬られ、ぐうの音も出ない。
「……やばいな」
武器を奪われたことで、クロザ自身冷静さを取り戻した。
自分が今すべきなのは、強敵との戦いを楽しむことではない。あくまで、春直が封血を使いこなせるよう導くことだ。
初心を忘れていたと内心苦笑し、改めて春直に向き合おうとした。その時だった。
「クロザ、もう始めたの?」
「きちんと説明はしておいたよ」
「ツユ、ゴーダ!?」
修練場にやって来たのは、アルジャへ出掛けていた二人の仲間たちだった。そしてクロザが名を呼んでしまったことで、春直の狙いが逸れる。
(―――今か)
クロザの手拳が春直の鳩尾に入り、春直は気を失った。
脱力した春直を抱き上げ、クロザは息をつく。
「大丈夫かい、クロザ。ボロボロじゃないか」
「もしかして、春直の修練始めてたの?」
「ゴーダ、ツユ……」
クロザは、自分の背中に冷汗が伝っていることを自覚した。若干顔色が悪いこともわかっている。ツユがクロザの前髪をかき上げ、その表情に顔色を変えた。
「苦戦してるんだね、クロザ。汗、凄いよ」
「大丈夫、だ。こいつは、なかなか強敵だがな」
いつの間にか寝息をたて始めた春直を見下ろし、クロザは奥歯を噛み締めた。
戦いの興奮から覚めて、ぞっとしたのだ。小さな少年の体に封じられた、相手を殺すために振るわれる暴力に。
しかし、これを春直がモノに出来れば大きいことに間違いはない。
「……続きは、こいつが目覚めてからだな」
ゴーダとツユも戻って来た。ここからが全ての本番だ。
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