第372話 増え行く群れ

 あれがやって来る。怖い。

 目の前で口を開いて。助けて。

 ぼくは、力の限り叫んで───




 カチコチと時計の針が動いていく。

 友人たちが寝静まる中、春直は夢にうなされて跳び起きた。

「はっ、はっ、はっ……」

 荒く乱れた息を整えるために深呼吸を繰り返し、ようやく人心地つく。暗闇に慣れない目を開けて見回すと、わずかに入って来る月明かりが自分を照らしている。

「夢?」

 春直は首を傾げ、ほっと息をついた。夢であるならば、無理に思い出す必要もないだろう。なにせ恐ろしかったという以外、何も覚えていないのだから。

 胸元の服を握り締め、春直は今何時かと時計を探す。確か、ベッド脇のテーブルにあったと手を伸ばした。

 時計が示すのは、深夜二時半。流石に起きるには早過ぎる。

 仲間たちの寝息を聞いていれば眠れるかとも思ったが、悪夢を見るかもしれないという恐怖心が勝って眠れない。早々に着替えてしまった春直は、ぼんやりと天井を見上げていた。

「……?」

 カーテンの隙間から漏れる月明かりが、ふと失われた。不思議に思った春直がそろそろと動いてベッドを離れ、窓際へと移動する。カーテンの端を持ち、そっと外を覗いた。

 すると、月があるのと同じ方向に崖が見えた。山の切り立った部分がこちら側へと伸びている。その崖の上には、月を背にして何かが立っていた。

「……何、あれ。獣?」

 そこにいるのは、四つ足の獣だ。ピンッと二つの耳を立て、毛深い体と尻尾を持つ。月明かりで照らされた部分は銀色に見えるが、逆光となって全体は黒っぽく見える。

 何よりも印象的なのは、その両目だ。こちらをじっと捉えて離さない、月光のような白い瞳。

「こっち、見てる……?」

 ガタッ。春直が思わず後ずさった拍子に、側にあった椅子にあたって音がした。

 その音で目覚めたのか、布団の中でごそごそと動く物音がする。春直が振り返れば、上半身を起こして眠気眼をこする唯文の姿があった。

「どうしたんだよ、春直」

「た、唯文兄……。あれ、見てよ」

「?」

 唯文は促されるままにひやっとした床に足を下ろし、春直の側に立つ。そして彼の指差す方向を見て、目を瞬かせた。

「あれ、狼か? どうしてこっちを見てるんだ」

「やっぱり、見てるよね。こっちを」

 ひそひそと話し合う二人を見つめていた狼は、空へ向かって口を開けた。仕草から、遠吠えをしているのだと推測される。

 ──ウォーーーン

 壁に隔てられて聞こえるはずもないが、感覚として流れ込んでくる。

 ビリビリとした敵意を遠くからでも感じる。唯文は拳を握り締め、春直に頼みごとをした。

「……春直。ユーギを起こしてくれ。おれは、リンさんたちに知らせてくる」

「わかった!」

 その部屋を春直に任せ、唯文は廊下へ走り出る。と同時に、目の前にいた人物とぶつかった。

「いった……」

 勢いのままに尻餅をついた唯文に、手が差し伸べられた。

「大丈夫か、唯文?」

「ジェイスさん!」

 ジェイスの手を借りた唯文は、どうしてこんなところにいるのかと問う。

「ちょっと胸騒ぎがして、ね。……だけどそれは間違いじゃなかったみたいだ」

 ジェイスの目の先には、唯文たちの部屋の窓がある。その先には、先程よりも数が増えて五頭となった狼がいた。

「ジェイス、さん?」

「起きたかい? ユーギ」

 きょとんとしていたユーギだったが、仲間たちが見る方向ち目をやり、瞬時に状況を理解した。慌てて唯文と共に着替えてしまう。

「敵、みたいだね」

「理解が早くて助かるよ。唯文とユーギはそのままリンたちを叩き起こして。わたしと春直で先行しよう」

「「「はい!」」」

 各部屋へと直行した唯文とユーギを見送り、ジェイスと春直は外へと駆け出した。

 前を行くジェイスに追い付き、春直は走りながら尋ねた。

「ジェイスさん。あれも、女神関連ですかね? それとも、王国?」

「さあ、どうだろう。でも、簡単ではないということは間違いないよ」

 これまで、ジェイスたちの前に現れた女神の眷属と考えられるものは二つ。まずモグラに似た生物がいて、次に巨大な白蛇が襲ってきた。

 そして、今度は複数の狼である。その毛並みは美しい銀色であり、瞳があるべき場所は白く光っているのだ。

「……いや、眷属は一頭だけかな?」

 外に出た二人の前に、五頭の狼が現れた。

 真ん中には白銀の狼が立ち、その両脇を守る左右各二頭の狼の毛色は黒い。野生の狼だろうか。

「もしかしたら、真ん中のが他のを従えているのかもしれません」

「……なるほど。一目置かれる存在ってことか」

 神々しい見た目は、伊達ではないらしい。

 互いに距離を測って膠着こうちゃくしていた時、ジェイスたちの後ろのドアが開いた。

「ジェイスさん、春直」

「来たね、リン。みんなも」

 振り返り微笑したジェイスの手元には、弓矢が握られている。隣に立つ春直もまた、臨戦態勢だ。

 ドアを開けて姿を見せたのは、リンや晶穂を始めとしたメンバー全員だ。リンは狼の襲来に少し目を見張ったが、すぐに真剣な顔に戻る。

「相手は五頭、こちらはそれ以上です。簡単には負けな……?」

 彼らの前にいた銀の狼が、遠吠えを始めた。それは何処までも届きそうなほどに大きく、伸びやかな声だ。

「ウォォーーン」

「オーン」

 幾つもの声が遠吠えに応える。四方八方から響くその声は、少しずつ近付いて来る。

 徐々に、徐々に。一頭を中心とした狼の群れが形成されていく。

「……増え、たね」

「さて、どうすっかな」

 ユーギと克臣がそれぞれに呟く。いつの間にか、狼の数は十を超えていた。

 じりじり、と数の力で勝ちを確信した狼たちが距離を詰め始める。背後に民宿があるだけのリンたちは、互いに顔を見合わせ、頷き合った。

「――行きます」

 リンの一言で、全員が散る。互いに距離を取り、得物を携えた。

 散った彼らを狼たちも追う。二十頭ほどに増えた狼が、均等に分かれていく。

 各二頭。春直は大きく真っ黒な狼を前に、ごくりと喉を鳴らした。

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