第371話 甘音の覚悟
空腹が満たされ時計を見れば、現在午後八時を回ろうという時間だった。
食事をしながら決まったことは、二つ。
まず、明日午前中にはアルジャを出て神庭へと至る道を探すこと。そして、甘音を無事に送り届けることだ。
古来種の里へも行きたいが、スカドゥラ王国の手が近くまで伸びてきていると知った今、悠長なことは言っていられない。一刻も早く、と全員が思っていた。
晶穂は甘音と共に与えられた部屋に入る。二人部屋で、大きくふわふわなベッドが二台置かれている。
その一つに腰を下ろした晶穂は、そのまま背中をベッドに預けた。
「……さん、晶穂さん」
「あ……甘音?」
いつの間にか眠っていたらしい。晶穂が上半身を起こすと、寝間着を着た甘音が笑顔を見せた。
「いつの間にか寝てて、びっくりしました。そのまま寝ますか?」
「あ、ううん。まだいいよ。……それより、後でお話してもいい?」
「? はい」
晶穂には、ずっと気になっていることがあった。その疑問を解決する前に、晶穂も汗を流してワンピースに着替える。
二人で同じベッドに腰を下ろした。コップに入った水を甘音に手渡した晶穂は、少女に声をかける。
「甘音に、訊きたいことがあるの」
「何ですか? わたしに答えられることなら、答えますよ」
こてん、と可愛らしく首を傾げる甘音に、晶穂は「じゃあ」と疑問をぶつける。訊くべきか否か、最後まで迷った。
「……甘音は、姫神になることを嫌だと思ったことはないの?」
「あ……」
甘音が顔を伏せる。晶穂は「やっぱり訊かない方がよかったかな」と内心冷や汗をかきつつ、少女の答えを待った。
しばし沈黙した甘音は、んーっと唸って天井を見上げた。
「わたし、嫌だとかそういうことはないんです。わたしが必要とされてるなら、そこに行くべきじゃないかって思ってます。……そう言ったら、親は泣いちゃいましたけどね」
思い出したのか、甘音は揺れる瞳を誤魔化して笑った。
「わたしが住んでいた町は、南の大陸にあるんです。そこで、両親と姉と暮らしてました」
甘音の家は、神官の家系だ。創造主を祀る神域を守る役目を負い、長い間勤めてきた。
そんな家に生まれた甘音は、物心つく前から神を身近に感じていた。いつも側にいて、見守っていてくれると感じていたのだ。
姉・
確かに織音は、力が目覚める十歳を過ぎても兆候を示さなかった。だから両親も、甘音を次代神官候補として育てようとしていた。
その矢先、甘音が姫神候補に選ばれた。選定結果は、甘音たち家族全員の夢という形で現れた。
「お前に、この世界と我らとの架け橋になって欲しい」
甘音の夢に現れた創造主は、彼女にそう頼んだ。
「架け橋?」
「ああ。……この世界がより正しい道筋を進めるよう、間違い続けることのないよう。神庭にて、我らに伝えて欲しいのだ」
「……つまり、この家にはいられないってことですか?」
「……ああ。そうなる、な」
創造主の依頼を受け入れれば、家族とは永久に会えなくなるだろう。可愛がってくれた両親と姉のことを考えると、甘音の心はキュッと締め付けられた。
「……行きます」
「良いのか?」
「はい。うちは神官の家系です。神さまが、世界がわたしを求めてくれるなら、それに応えるのが神官の勤めです」
父も母も、昔からそう言っていた。甘音自身はまだ幼いが、神官としてすべきことを漠然と考えていた。
すべき時が来たのだと、ただそれだけを思った。
創造主は目を見開いた後、ただ「そうか」とだけ言って甘音の頭を優しく撫でてくれた。
「朝目覚めた時には、自分が何処に行くべきか、何をするのかを理解していました。わたしは家族に別れを告げて、アラストに向かったんです」
そして、晶穂さんたちに会えました。甘音はそう締め括ると、にこりと微笑んだ。
「甘音は、強いね」
「そうですか?」
不思議そうに微笑む甘音に、晶穂はうんと頷いた。
「わたしは……神子という役割を与えられて、ただ人でありながらも魔力を授けられた。この体の中には、わたしの血液とつながっている武器があるの。でもそれは、わたしが望んで目覚めさせた武器じゃなかった」
思い出すのは、フェリツに体を乗っ取られた後のこと。晶穂の意志とは関係なく、ダクトの役に立つためにと目覚めさせられた神子の力だ。
晶穂は両手を広げ、きゅっと握る。
「今でこそ、神子の力が使えて良かったって思える。リンたちみたいに強くはないけど、助けることで役に立つことは出来るから。……ようやく、そう思えたかな。だから、甘音は凄いなって思ったんだ」
「晶穂さん……」
気遣わしげにこちらを見つめる甘音に気付き、晶穂はパッと笑みを浮かべた。
「ごめんね、雰囲気暗くなっちゃった」
「いえ。わたしは、晶穂さんとゆっくり話してみたかったから、嬉しいです」
「わたしと?」
目を丸くする晶穂に、甘音は頷いた。
「だって、銀の華で数少ない女の人で、しかもわたしと同じように神さまと深い関係を持っている。……晶穂さん。まだ寝ないのなら、どうして銀の華に入ることになったのかとか、聞かせてもらえませんか?」
「えっ……ええぇ」
甘音のキラキラと輝く目に見られ続け、晶穂はタジタジとなっていた。純粋な瞳に否とは言えない。
観念した晶穂は、これまでのことをかいつまんで甘音に話し始めた。その話が時々惚気も含んでしまっているとは、晶穂自身も気付かないことではあったが。
「……なるほど。それだけの困難を乗り越えてきたから、晶穂さんとリンさんはあれだけ仲が良いんですね~」
「えっ!? わたしそんな話してないよね?」
思わぬ着地点に至った甘音に、晶穂は驚愕の声を上げる。しかし甘音はうんうんと頷き、勝手に一人で納得してしまった。
晶穂が銀の華に入る直接の原因は狩人だが、そう促したのはリンだと言える。また、恋愛感情を意識する以前から、二人は一緒にいることが多かった。必然的に、晶穂が話す内容にはリンが出てきやすかったのだ。
「あ、甘音?」
違うのだと否定したい晶穂だったが、真っ赤な顔では説得力がない。
くすくすと笑いながら、甘音は布団を被った。時計を指差し、午後十時を回っていることを告げる。
「明日、早いですもんね。寝ましょう、晶穂さん」
「う、うん。……おやすみ、甘音」
「おやすみなさい」
部屋の証明を消し、しばらくすると二人分の寝息が聞こえてくる。それは別の部屋もそれぞれ同じだ。
───ウォーン
何処からか、遠吠えのような音が複数響いた。
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