第368話 ご都合主義

 リンは汽車の車両の接続部分に降り立った。そして、一両目を覗き込む。

 晶穂の背が見え、彼女が何と戦っているのかを見る。するとこそには、目を見張るほど巨大で長い半透明の蛇がいた。

 蛇の体は座席やそこに座る人々を巻き込んでいるが、何故かどの座席も倒れていない。まるで、重なっているだけであるかのように。

 今、晶穂が氷華を振りかざし、蛇の胴体へと突き刺した。しかし、弾力があるのか、傷つけることは出来ていない。

 その時、自動アナウンスが鳴った。

「あと少しで、ゾルソワラ駅へ到着致します。皆さま、お荷物などお忘れ物のないよう、お降り下さいませ」

「待ったなしか」

 リンは剣を握り締めると、一両目のドアを蹴り開けた。

「晶穂!」

「え……リン!? どうして」

「話は後だ」

 晶穂の言葉を封じ込め、リンは早口に言う。そして、彼女が対峙していた透明な蛇を睨みつけた。

 生きているにしては、気配が希薄だ。ゆらゆらと揺れて、落ち着きがない。更に空洞のような目は、何処を見ているのかもわからない。まるで、生きている風に見せかけているだけのハリボテのように。

 そこまで考えて、リンはふと目の前の蛇の正体に気が付いた。

「……脱け殻、か?」

「え? ……きゃっ」

「晶穂っ」

 リンの考えがあたっていたのか、急に蛇が動き出した。巨体をくねらせ、一気にこちらへと近づき、晶穂の体を巻き取る。そのまま自分の側へと引きつけ、ぐっと締め付けた。

「はうっ」

 ギリギリと締め付けられ、晶穂が苦悶の表情を浮かべる。顔色が青白くなり、腕を動かそうにも動かせない。

「ちぃっ──」

 迷っている暇はない。時間は刻一刻と、すぐそこまで迫っている。このまま駅へと突っ込めば、駅舎は勿論のこと、乗客と駅で待っている人々にも被害が及びかねない。

 リンは迷わず、剣の切っ先を蛇の眉間へと向けた。

「晶穂」

「な……に?」

「剣撃をぶつける。自分自身と、ここにいる乗客全員に結界を張ってくれ」

「……わ、かった」

 晶穂は目を閉じ、意識を集中させる。すると彼女の前に、五つの花びらを持つ花が咲いた。順に、気を失っている乗客たちの前にも同様の花が咲く。

 最後に、運転室へつながるドアの前にも咲いた。

 それらを目視すると同時に、リンの赤色の瞳が輝きを増す。そして、一気に剣を地面と垂直に振り落とした。

「──消えろぉぉぉっ!」

 剣撃は光を帯び、鋭くひらめく刃となって大蛇へと襲い掛かった。晶穂はきゅっと強く目を閉じ、やってくるであろう衝撃に備える。

「─────っ!」

 大蛇は空へ向かって咆哮し、実体を帯びる。どうやら外で戦っていたものが、この脱け殻の本体だったらしい。それが呼ばれ、重なったのだ。

(負けてたまるか!)

 リンは出力を上げ、より強く魔力を放出する。晶穂の顔が険しく変わった。

「──!」

 大蛇の表情に苦悶が宿った。徐々に、濃かった白い体躯の色が抜けていく。

 その体の色が完全に透明になった時、大蛇は光の渦へと呑み込まれた。

 同時に、晶穂の体が支えを失う。

「ふあっ?!」

 ──どさっ

「……?」

 ふわりと何かに包まれて、衝撃が緩和された。晶穂がそろそろと目を開けると、リンの焦燥した顔が間近にあった。

「……あ、ぶな」

「り……リン」

 リンが晶穂を抱き止め、床に落ちないようにしてくれたようだ。

 締め付けられていたために痺れを伴う右腕を上げ、晶穂はリンの頬に触れた。温かい。

 ほっと相好を崩す晶穂に、リンは苦笑した。

「何だよ? 変なやつだな」

「ううん、何でもない。……来てくれて、ありがとう」

「……ああ」

「あっ」

 晶穂はリンに抱き締められ、思わず声を上げる。しかしそれに構うことなく、リンは腕の力を強くする。

「……一人で突っ走らないでくれ」

「ごめんなさい」

「でも、助かった。晶穂たちのお蔭で、乗客は全員無事だ」

 そう言って微笑むリンに、晶穂も「うん」と頷き目を細める。

 晶穂は頬を染めてリンの背中に手を伸ばし、きゅっと抱き付いた。顔を真っ赤にしたリンだったが、素直に受け入れて抱き締め返す。

 その時、汽車は駅へと到着した。




 ざわざわと、喧騒が通り過ぎていく。乗客はどの人も、都合良く大蛇の襲撃を忘れているようだった。

「何か、不思議な夢を見ていたみたいだね」

「怖かったけど、助けに来てくれた人たちがいたから」

 そんな会話が聞こえてくる。

 プラットホームで乗客たちを見送り、ユーギはガタンと音をたててベンチに座った。その横には甘音とユキもいる。

「あれって夢だったの?」

「ユーギまでそんなこと言うのか? 夢だとしたら、コレはどうやって説明するんだよ」

 自分の腕の切り傷を見せながら、唯文が苦笑いを浮かべる。だってさ、とユーギは頬を膨らませた。

「乗ってた人たちが無事だったのは良いよ? だけど、駅に着いた途端にみんな起き出したと思ったら、よく寝たーって。……あれだけのことが目の前であったのに!」

 いきり立つユーギをどうどうと落ち着かせ、リンは話を聞いてやる。

 彼によれば、春直と共に五両目で蛇を倒した直後、そこで固まっていた乗客たちが揃って気絶したというのだ。更に揺すっても起きず、二人は危険もないだろうと唯文とユキと合流したのだという。

「……で、おれたちのいた所も同じような感じでしたね。危険もないと思ってそのままにしていましたけど」

「はい。あれは、何だったんですかね?」

 唯文と春直も首を傾げる。ユキも首を横に振るだけだ。

 目の前では、傷一つない汽車が煙を出しながら出発していく。運転手もまた、仕事の顔をして席に座っていた。何処にも大蛇がいた形跡はない。

「何となく、だけど」

「どうした? ジェイス」

 プラットホームの柱に背中を預けていたジェイスが、ユーギたちに近付く。一緒にいた克臣も体を起こした。

「おそらく、の仮定の話だ。おそらく女神ヴィルの策略というか、力のせいだと思う」

「このご都合主義がですか?」

 ユーギのオブラートも何もない言葉に苦笑しつつも、ジェイスは頷く。

「女神は、わたしたち以外を巻き込むことはあっても、傷付けることは望んでいないはずだ。ならば神の特権としてことくらいは可能なんじゃないかな? その事実全てを消すことは出来なくても、夢だと思わせるくらいの力はあると思うよ」

「……なんか、手のひらの上で転がされてる気分だね」

 ユキの感想は、その場にいる全員のものだった。

 釈然としないままだったが、そこにずっといるわけにもいかない。リンは皆を連れ、改札を出た。

「おっ、来たな」

「あなたは……スージョンさん?」

「どうしたんですか?」

 改札前に、彼らを待っている人物がいた。唯文とユキが駆け寄ると、スージョンはニカッと笑った。

「君たちに礼を言わねばと思ってね、待っていたんだ」

「礼?」

「ああ。……改めて、あのよくわからん状況を好転させてくれてありがとう。君らのお蔭で、アルジャに無事着くことが出来たよ。これで、商談へ行ける」

 スージョンの言葉に、二人は驚いた。皆が皆、夢だとして認識していると思っていたのだから。

「スージョンさんは違うんですか?」

「いや、あれだけ現実味のある夢はなかろう」

 唯文たち以上に驚いて見せたスージョンは、少年たちの後ろで待っているリンたちに気付き、頭を下げた。

「君たちだろう? 銀の華ってやつは。ここは、君たちみたいな奴らがいれば、安心だな」

 また、何処かで会おう。スージョンは手を振ると、ゆったりとした足取りで駅を去っていった。

 唯文とユキはスージョンを見送った後、顔を合わせて笑った。何も間違いなどなかったのだ、と知ることが出来たから。

「二人とも、そろそろ行くぞ」

「あ、はい!」

「わかった!」

 唯文とユキがこちらへ向かってくるのを確かめ、リンはふと隣に立つ晶穂と目を合わせた。偶然にしてはタイミング良く、お互いに照れて視線を外してしまう。

 駅を出れば、北の大陸の町・アルジャだ。


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