第367話 残された透明なモノ
汽車全体が揺れ、晶穂は悲鳴を噛み殺して手すりに掴まった。徐々に揺れは落ち着き、晶穂はほっと息をつく。
(何だったんだろ? ううん、今はそれを気にしてる時間はないよね)
たった一人、汽車の二両目と一両目を受け持つと豪語した手前、後には退けない。しかし、晶穂は目の前の光景に折れそうな心を叱咤した。
現在、晶穂は二つの車両の中間地点である接続部にいる。
二両目に蛇の姿はなく、乗客も少なかったために神子の結界を張るだけにとどめた。乗客には次の駅に着くまで席を離れないようにと言い置いてある。それまで、わずか数十秒で終わらせている。
それから一両目へと走った晶穂は、そこから続く戸を開けられずにいた。
息を潜め、気配を消す。
(何、あれ……?)
晶穂がドア越しに見ているのは、一匹の巨大で透明な蛇に埋め尽くされた車両の姿だった。座席に座る人々の姿は見えるが、どれも脱力しているようだった。もしかしたら、あの蛇に生気を吸われているのかもしれない。
状況は理解出来るのに、晶穂の頭は高速回転を続けている。大蛇はこの汽車の上にいるのではないのか、と。
どちらが本体なのか、それともどちらも本体なのか。
晶穂は奥歯を噛み締め、拳を握った。考えていても、何も解決しないのだ。
「みんなを離して」
晶穂は切っ先を蛇に向け、険しい声色で言い放つ。しかし、蛇はじっと空洞の目をこちらに向けたまま動かないでいた。
「話は通じない、か。なら、実力行使」
晶穂は矛を閃かせ、蛇の胴体に突き刺す。しかし蛇の体は弾力があり、刃を跳ね返してしまった。
「えっ」
床に叩きつけられ、晶穂は呆然とする。見れば、蛇の体には傷一つついていない。ただそこに、存在するのみだ。
「どうしたら……。ううん、悲観しても何にもならないよ」
その時、『ザザ……』という車内アナウンスのスイッチが入る音がした。しばらくの沈黙の後、運転手らしき男性の声が入る。
「た、すけ……。本部、応答、を」
どうやら、本部とつながる無線機と間違えてアナウンスを入れているらしい。その苦しげな声に胸は締め付けられるが、同時に希望でもあった。
(まだ、まだ間に合う。生きてる。生かしてみせる)
晶穂は座席の背もたれ上部を掴み、体をバネとして透明な蛇に飛び掛かった。
晶穂が戦う車両から一両飛んだ三両目の車両の中、ユキの魔力が爆発した。
「いっけえぇぇぇっ」
イメージするのは、車両上部半分を埋めるほど巨大な氷の柱。それを蛇に向かって勢いよく投げつける。
柱は蛇の頭上に至り、パッと花咲くように開く。花びらは蛇を囲う
「───っ……」
蛇は驚いたのか、眠りを誘う音が消える。その瞬間を待っていた唯文は、唇を噛んで眠気を無理矢理
「はあっ!」
床を蹴り、力任せに袈裟斬りにする。氷が弾け、キラキラと輝く雨となる。
その中心に、胴体と頭を分断されたを蛇が横たわっている。
肩で息をしながら、唯文はユキを振り返った。
「はっ、はっ……。やった、か」
「だ、ね。……うわっ」
ガクンッと車体が揺れる。先程の揺れよりも大きい。
この戦いの最中、何度か揺れを経験した。そのどれもが汽車の上で戦うリンたちの戦闘に寄るものだと思っていたが、これは一際大きい。
「もしかして、やったのかな……?」
「わからない。けど、おれたちも終わったぞ」
「うん。ユーギたちと晶穂さん、大丈夫かな」
二人がそれぞれ自分たちの後ろと前の車両に目を向けた時、後方のドアがガタッと動いた。
「「!!」」
ユキと唯文はさっと戦闘態勢を取り、追撃に備える。
しかし、そこに現れたのは味方だった。
「よかった、無事だったね!」
「ユーギ、春直」
「何だ、お前らかよ……」
「『何だ』って、唯文兄酷いなぁ」
思わず脱力した唯文に、春直が苦笑しながら近づいていく。ユーギもその後を追った。
年少組が揃い、唯文はほっと安堵する。しかしそれをおくびにも出さず、真剣な顔で手早く話し出す。もう時間がない。
「情報交換は後だ。まず、晶穂さんの様子を……」
まだ無事な姿を確認出来ていない、晶穂の状態が気にかかる。唯文が後方を気にすると、ユキがニヤッと笑った。
「それならぼくらよりも」
ユキが割れた窓に手を掛け、外へ顔を出した。そして、上へと呼び掛ける。
「兄さん!」
「……ユキ?」
リンは首筋へと流れる汗を拭い、汽車の縁から下を見た。スピードに乗って走る汽車の上から見下ろすと、車両の中から顔を覗かせるユキの姿が見えた。
どうして、五両目にいるはずのユキがそこにいるのか。何故か必死な顔をする弟に促され、膝を折る。
ジェイスと克臣とリンが見下ろしているのに気付き、近づいて来た。
倒した大蛇はといえば、ズルズルと車体からずり落ちつつある。このまま放置すれば、駅に着く前に落とすことが可能だろう。これで、もうこの汽車は安全なはずだ。
ユキがそこにいることの謎を問い質そうと、リンは口を開く。
次の駅到着まで、あと二分足らずといったところか。
「どうし……」
どうしたのか、そう問おうとしたリンを遮ってユキは早口に叫ぶ。
「晶穂さんを助けて、早く!」
「は? 待て、あいつは今何処に……」
「一両目! まだ一人だけ、帰ってこない!」
「───わかった」
リンはジェイスと克臣の方を振り向いた。すると、何もかもわかっているという顔で二人が頷く。
「あとは、頼みます」
「頼まれた」
「行ってこい」
兄貴分二人に背中を押され、リンは汽車の車体を蹴った。
タイムリミットまで、あと一分。
大蛇の身体は車体の上から落ち、姿を消した。
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