第366話 眠りを誘う音
「じゃあ、またあとでね!」
先へ急ぐ晶穂と別れ、ユキと唯文は三両目の戸を開けた。遠くの方に、晶穂の急ぐ後ろ姿が見える。そして手前には、混乱の最中にある乗客たちがいた。
車窓から外を見れば、大きな蛇の胴体の一部が見える。その窓の傍にいる猫人の女の子は、こちらの耳が痛くなるような声で泣き叫んでいた。
「一、二、三……十五、十六、十七人か」
聞こえ過ぎる耳を手で塞ぎつつ、唯文が三両目の乗客数を数える。総勢十七人の乗客を、巨大な蛇からこの狭い車内で守らなければならない。
どうやら、ここには白蛇襲来はまだないらしい。しかし、いつそれらが来るかわかったものではない。唯文は魔刀の柄に手をかけ、いつでも抜刀出来る用意をする。
「唯文兄、どうする?」
「戦場になる前にこの人たちをどうにかしたいけど……無理そうだな」
ただでさえ狭い空間に、三十席ほどの座席が良いバランスで埋まっている。五両目のような逃げ場があれば話は別だが、ここで蛇と正面から戦うのは骨が折れそうだ。
「……おい、兄ちゃんたちは何者だ?」
考えに嵌まりそうだった唯文とユキを浮上させたのは、戸から最も近くの席に座っていた小太りの男性だった。彼の瞳にも不安の色はあるが、他の乗客たちよりは落ち着いているように見える。
「おれたちは、銀の華という自警団の者です。ある目的があってこの汽車に乗っていたんですが……」
唯文は窓の外を指差す。
「あれが現れたので、乗客の皆さんの様子を見に来たんです」
「さっき走って行った嬢ちゃんもか?」
男性が言っているのは晶穂のことだろう。唯文は頷く。
「後ろの車両にも仲間がいて、対策を取っています。この車両はおれたちが受け持つことに……」
「……なら、オレたちは邪魔をしないことにしよう」
唯文の説明を遮った男性は、ふっと息を吸い込むと一気にそれを吐き出した。
「全員聞け!」
――ピシッ
空気が凍った。否、騒然としたそれが静寂を取り戻した。あの泣き叫んでいた女の子ですら、驚き過ぎて涙を止めている。
唯文とユキを指し、男性はよく通る声で乗客全員に呼び掛けた。
「彼らは銀の華だ。彼らがオレたちを守ってくれる。――だから、その邪魔をしてはいけない」
「で……ッ」
何かを言いかけた犬人の青年をぎろりとした一睨みで黙らせると、男性は笑った。
「何が起きても、もう大丈夫だ。頼むぞ」
「あなたは一体……」
ユキの呟きに、男性は「オレか?」と自分を指差す。
「オレは、スージョン。なんてことはない、ただの商人……さ……」
「スージョンさん?」
スージョンと名乗った男性の首が、かくっと折れる。驚いた唯文が彼の顔を覗き込むと、規則正しい寝息をたてていた。
「寝てる……?」
「
ユキに肩を叩かれた唯文が顔を上げると、乗客が全員眠っている。唯文とユキは唖然として、言葉も出ない。
「どうなってるんだ……」
その時、何処からか鳥の鳴き声のような、それでいて機械音のような「ピーッ」という音が聞こえてきた。
「……うっ」
「あ、れ……?」
その音が耳に入った途端、二人の体から力が抜けた。がくっと膝をつき、唯文は気力だけで目を開ける。隣ではユキも座席の背もたれを掴んで体を起こした。
「どうなって……あれ、か」
「蛇?」
二人の視線の先、通路の向こう側に一匹の白蛇がいた。その蛇から、音波のように音が聞こえているのだと理解する。
「つまり、あれを倒さなきゃってことか」
「だね」
唯文が抜刀し、ユキは氷を発射する準備をする。それらに気付いているのかいないのか、蛇は動じない。それどころか、より強く音波を発してくる始末だ。
「ちっ。ユキ、さっさと片付けるぞ」
「了解!」
座席には人がいる。しかも眠っている。彼らを傷付けないよう、そして一刻も早く目覚めさせるため、二人は動き出した。
光線にぶつかり、リンが汽車の外側に投げ出される。
強過ぎる光にあてられ、視界がぼやける。リンが伸ばした手は汽車の突起を掴めず、空を切る。
このまま落ちれば、地面で体を強打する。他人事のように、リンはぼんやりと考えていた。
「リン、しっかりしろ!」
「ジェ、イスさん」
虚しく何も掴めなかったリンの手を掴んだジェイスは、ぐっとリンを汽車の背へと持ち上げた。はぁと大きく息を吐いたリンは、思いの外自分が傷付いていないことに気付いてほっとする。
(シールドを張ってたことが功を奏したか)
「リン」
「はい?」
「……あまり、無茶をするな」
ぽんっと頭に乗せられた手が温かい。その大きな手からジェイスの安堵が伝わってくるようで、リンは「はい」と頷くしかなかった。
「リン、ジェイス、駅が見えてきた!」
克臣の叫びが、彼らを現実に引き戻す。リンが首を伸ばして見ると、遠くに駅の明かりが見えつつあった。
駅の暖かな光が、今のリンたちにとっては地獄の業火に等しい。もしもこのまま駅に突っ込めば、更なる被害者を生むだけだ。
「……一気に、片を付けましょう」
「それが良いね」
「ああ、行くぞ」
三人は頷き合う。リンとジェイスは翼を広げて左右に分かれ、克臣は真っ直ぐに風を切る。
正面突破した克臣が、大剣を振り上げ大蛇の腹を斬る。意外に柔らかな胴体が、ぱっくりと口を開ける。どうやら蛇の体で固いのは、鱗が隙間無く敷き詰められた上側だけらしい。
「───、───!」
声にもならない悲鳴をあげ、蛇がのたうつ。その度に汽車が揺れて、線路から浮き上がる。
中にいるはずの仲間たちの無事を祈りつつ、リンは苦しみ悶える大蛇の左側に襲い掛かった。
「いっけぇ!」
「おおおっ!」
リンと同時に、ジェイスも反対がから細い刃を持つ剣を突き出した。二つの刃は鋭く、大蛇の頭を貫通する。
左右から同時に刺され、大蛇は断末魔の咆哮を上げた、
タイムリミットまで、あと二分。
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