第364話 守りの籠
──ガコッ……ゴゴゴ
「動き出した……」
晶穂は怯える甘音をぎゅっと抱き締め、そう呟いた。周りにはユキたち年少組と、この汽車四両目の乗客たちがいる。
汽車は一旦停止したのだが、先程また全速力で動き出したのだ。まるで、何かから逃げ切ろうともがくかのように。
「兄さん」
側に立つユキが呟く。その拳がきつく握り締められ、悔しげに、そして不安げな息が漏れる。
「……ユキも、向こうに行きたい?」
「え?」
驚き聞き返してくるユキに、晶穂は柔らかい笑みを返す。
「だって、ずっと向こうを見つめてるから」
「……そう、だね」
ユキの視線は、再び前方に見える隣の車両に注がれる。開けっ放しの戸の向こうでは、リンとジェイスが克臣に続いて車両の屋根に登るところだった。
しばし考えていたユキは、ふるふると頭を振る。そして、苦笑い気味に晶穂を見た。
「ぼくには今、彼らを守るという大役があるから。ここを離れるわけにはいかないよ」
それに、兄さんたちに任せれば大丈夫。
絶対的信頼を胸に笑うユキに、晶穂は「そっか」と微笑む。周りにいた唯文たちは、二人の様子を穏やかに見守っていた。
「それにしても……あの大蛇、変でしたよね?」
「変? どの辺が変だと思ったんだよ、春直」
唯文に聞き返され、春直はだってと隣の車両を指差した。
「さっきまで、向こうには乗客がたくさんいたんだ。あの大蛇が人を襲うためにここに遣わされたのなら、さっき暴れまわればよかったんだよ。なのに、何もしなかった」
それどころか、避難する様子をじっと見て待っていた。手を出そうと思えば幾らでも出来たのに。
「だから変だって言ったんだ」
春直の疑問に、唯文は腕を組んだ。
「確かにおかしいよな? こう言ったら何だけど、獲物はたくさんいたのに。……晶穂さんはどう思います?」
話を振られ、晶穂はふと大蛇の目を思い出した。真っ白で眼球はなかった。しかし、光が満ちていたあの目を。
「もしかしたら、あの大蛇は待っていたのかも」
「待っていた? 何を……」
「
晶穂の答えに、四人は一瞬固まった。しかし「そうか」と氷解する。
ユーギがぽんっと手を叩いた。
「女神さまの使徒は、最初もぼくたちの前に現れた。その時はぼくら以外に人がいなかったから何とも思わなかったけど、彼らは一般の人たちのことは襲う対象にしていないのかもしれないね」
「……なら、おれたちはここに一緒にいない方が良いんじゃないのか?」
唯文が背後に固まっている乗客たちを振り返り、呟く。その言葉に、一行は「あ」と目を瞬かせた。その通りではないか、と。
だが、それに異を唱えたのは甘音だった。
「……だめ。離れたらだめ」
「甘音?」
晶穂が名を呼ぶと、甘音はきゅっと小さな手で晶穂の服を掴んだ。そして、懸命な顔で見上げる。
「だめ。女神さまは、試してる。みんなが神庭に入るのに相応しいか、ソディリスラを託すべきか。……この件に関わるべき存在なのか」
「女神の試練ってこと?」
「そう、試練。……幾つもいる使徒に勝ち、人々を守り、そして行き着かなければいけないの。今、世界が揺れているから」
世界を揺らしているのは女神ではないのか。そういう疑問が頭をよぎったが、晶穂は頭を振ってその考えを追い出した。
神とは理不尽な存在。それを思い出したのだ。
晶穂は甘音をもう一度抱き締めた。そして彼女を座席に座らせると「大丈夫だよ」と微笑む。
「必ず、乗客全てアルジャまで無事に運ぶから。そして、あなたを庭まで送り届けてみせる」
リンの傍ではなく、離れて別の人々を守るという役割を全うする。晶穂は自分の中にこそ潜む寂しさを振り払い、目を閉じた。
イメージするのは、白い花で創られた壁。この車両を囲み、大蛇から守り通すのだ。
(絶対、わたしたちなら大丈夫)
その瞬間に、晶穂の全身が白く輝いた。
甘音が驚き「えっ」と声を上げ、乗客たちもざわめく。しかしユキたちは目を見張りはしたものの、声を上げるほどには驚かない。
何故なら、彼らは晶穂が何者かを知っているから。晶穂は神子という立場を持ち、守りや癒しに特化した力を持っている。
晶穂の影から白銀の蔓が幾つも伸びる。それらは籠のように乗客たちを含む車輛の全体を包み込み、幾つかの白い花を咲かせた。
「何か……あったかい」
甘音がきゅっと両手を握って、微笑んだ。確かに季節的に春であるから暖かいには違いないが、甘音のそれは気温ではない。
首を傾げる甘音の側に、ユーギがやって来る。
「それは晶穂さんの力だよ。神子としてのあの人の力はあったかいんだ」
「晶穂さんの……」
甘音は今は自分から離れて蔓を成長させている晶穂を見て、息を呑む。更に成長した蔓と花は、装飾のように車内を彩っていた。
乗客の子どもや女性に笑顔が戻り、男性たちもほっとした顔をする。それらを見て、晶穂も微笑んだ。
これで、少しはリンたちが戦いやすくなるだろう。車両内のことを気にせず、彼らには白蛇を退けて欲しい。
「―――あっ」
ほっとしたのも束の間、晶穂はあることに思い当たって顔を青くした。彼女の変化に気付いた春直が、首を傾げる。
「どうしたんですか? 晶穂さん」
「春直。この汽車は、五両編成だよね。ここは五両目だから、あと四両あるってことになるよね」
「ええ、そうですけ……あっ」
晶穂と同じことに気付いた春直が声を上げる。耳を澄ませば、四両目よりも前の車両でも、ざわめいている声が聞こえてくる。
「ぼくらが守らなけれないけないのは、四と五両目の乗客だけじゃない!」
「そう。この汽車に乗る全ての人が今、大蛇の下にいるってことだよね」
汽車が停止し、また徐々に加速を始めたことは、運転室のある一両目から大蛇の影響が見られるということだ。四両目を除けば、あと三両分の乗客たちを大蛇から守り抜かなくてはならない。
唯文とユキ、ユーギもその事実を知って言葉を失った。
しかし、立ち止まっている暇はない。晶穂は考え、すべきことを割り出した。そして、そのことのために動きだす。
「ユーギと春直は甘音とこの車両をお願い。ユキと唯文は三両目、そして、わたしが一両目と二両目を守る」
その配置に異を唱える声はない。
五人がそれぞれに動き出そうとすると、再び汽車が何かを受け止めて揺れる。晶穂が顔を上げて車窓の外を見ると、小さな白蛇が数匹窓ガラスに貼りついていた。
「あっ、来たよ」
「行ってください、晶穂さんたち!」
ユーギと春直の声に背を押され、晶穂たち三人は指定された車両に向かって飛び出した。彼らの背後では、何処からか落ちてきた白蛇がうじゃうじゃとしている。
乗客の誰かが悲鳴を上げ、子どもが泣き出す。
数えると、その小型蛇は全部で十五匹。ユーギと春直は顔を見合わせ、それぞれの獲物を手に構えた。
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