第361話 旅立の朝
雪の結晶が葉と化した樹氷が大地を覆い尽くす場所。一人の女性が薄手のドレスを身にまとって、何かを待っていた。
すると、何処からともなく羽ばたく音が聞こえてくる。それはどんどんと近付き、やがて目の前に降り立った。風が起き、彼女の白い髪を
「お帰り」
女性がそう言って微笑むと、白いドラゴンは喉を鳴らす。頭を押し付けてきたため、撫でてやった。
「連続でお出掛けを頼んで、悪かったわね」
ドラゴンは首を横に振り、大丈夫だと鳴き声で示す。それは、リンたちの前に現れたのと同じものだった。
「さっきはわたくし自ら見に行ってしまったけれど、流石にあの光の中では見つかっていないと良いわね。それとも、姫神は気付いてしまったかしら?」
どちらでも良いことだ。女性は木々の枝の間にぽっかりと空いた青空を見上げ、微笑む。
「レオラさま。あなたは期限までに姫神を連れて来たいようだけど……間に合うかしら?」
女性─ヴィルは、ふふっと笑って振り返る。そこには、結晶に閉ざされて祈りを捧げる仕草をしたまま固まった一人の女性の像が建っていた。
未だに成長している結晶を撫で、ヴィルは口角を上げた。歌うように、言葉を紡ぐ。
「天歌。あなたとした、果たされない約束を、今もう一度結び直しましょうか」
白いドラゴンが猫のように喉を鳴らし、ヴィルから離れて天へ舞う。それを見届け、ヴィルは懐から幾つかの白い玉を取り出した。
玉の中では一つだけ、真っ二つに割れている。それをもう片方の手で摘まむ。
「一つは壊されてしまったけれど、使徒はまたいる。……銀の華よ、全てを
パシュン。指を合わせて割れた玉を潰し、ヴィルは残った白玉から一つを選び出す。
「次は、あなたとしましょうか」
ヴィル以外は生き物の気配のない、樹氷の世界。それが神庭の奥地だと知る者は、一握りだ。
泣いている。哭いている。
誰かが声を殺して泣いている。
どうして、と。寂しい、と。
声無き思いが心をかき乱す。
晶穂はたまらなくなって、手を伸ばした。
「まっ……夢、か」
上半身を起こすと同時に伸ばした手を下ろす。悲しい夢をみていたようだ。
「……あれ?」
ぽたり。頬から雫が布団に落ちる。触れてみれば、晶穂は自分が涙を流していることに初めて気付いた。
「何で? いつの間に……」
夢のことは記憶の彼方へと去ってしまった。思い出そうとしても、夢の側がそれを拒否して出てきてくれない。
晶穂は涙を拭い、顔を洗った。カーテンを開けて窓の外を見ると、心地よい青空が広がっている。
「……さあ、行かなくちゃ」
手早く支度を終えると、晶穂は朝食を摂るために部屋を出た。
廊下を歩いていると、後ろから聞き慣れた少年の声が聴こえてきた。
「おはよう、晶穂さん」
「おはよう、ユーギ。良く眠れた?」
「とっても。……とは言いがたいかな。緊張してたから」
「今日だからね、それも仕方ないのかな」
今日、晶穂たちは新たな旅へと出る。目的地は、北の大地の更に先。神庭と呼ばれる未開の地だ。
二人して食堂に入ると、お馴染みのメンバーが既に揃ってご飯を食べていた。
和食と洋食に分かれてはいるものの、皆朝食を抜くということはない。腹が減っては戦ができぬというのは本当だ。
晶穂とユーギがそれぞれにトレイを持って近付くと、最初に彼女らに気付いたジェイスが手を振ってくれた。
「おはよう。晶穂、ユーギ」
「おはよう、ジェイスさん!」
「おはようございます。みんな早いですね」
晶穂がトレイを持ったままそう言うと、近くに座って卵かけご飯を食べていたリンが隣を示す。座れ、ということだろう。
晶穂が素直に腰を下ろすと、リンは再び箸を動かし始めた。
「なんせ、神やら国やら何と戦うかわかったもんじゃないからな。腹ごしらえはしておいて損はないだろ」
山賊むすびを片手に味噌汁を飲んだ克臣が、そう言って笑う。その隣に座ったユーギは、行儀良く「頂きます」と手を合わせた。
ユーギの隣では、緊張した面持ちの甘音がパンを食べている。彼女の背を叩き、ユーギは「大丈夫だよ」と微笑んだ。
「最初に向かうのは、北の町ですか?」
既に食べ終わった唯文が、牛乳を飲み干して尋ねる。
そうだな。そう言って応じたのは、卵かけご飯を食べ終わったリンだった。
「まずはアラストから汽車で行く。……出来れば、北の大陸におけるスカドゥラ王国の動向や噂も集めたいんだ。そして、出来れば古来種と情報を交換したい」
「……クロザたち、ですか」
食後のヨーグルトにサロのジャムを入れていた、春直の手が止まる。その顔がわずかに渋くなったのを見て、リンは「すまない」と謝った。
「春直の気持ちを汲めば、彼らとの接触は出来る限り少なくしたい。だが北における情報網は、少なくとも俺たちより広いんだ。……だから、春直はその時だけ別のことを頼むことにするよ」
「団長のせいじゃありません。これはぼく自身の、ぼくが乗り越えなきゃいけないことですから……大丈夫ですよ」
「ありがとな。だけど、無理はするなよ?」
「はい」
不安を心の奥底に封じ、春直はにこりと微笑んだ。それでも残ったものが、春直の強く握られた両手に宿っている。
春直の隣に座っているユキが、彼の顔を心配そうに見つめた。晶穂もまた、後で声をかけようと心に決める。
ジェイスもまた少し気遣う表情をしたが、今ではないと話を戻した。
「スカドゥラが北にまで進攻していた場合、どうする?」
「それは、少数がということですか?」
そうだと言われ、リンは考える。
「……出来るなら、神庭の領域から遠ざけます。甘音を渡すわけにはいきませんし、尚更神庭の奥地へ入り込ませるわけにはいきませんから」
「そうだね。……じゃあ、これの出番かな?」
ジェイスは楽しげにそう言うと、椅子の後ろに隠していた箱を取り出した。それは一抱えはある大きめの箱で、伝票のようなものが貼られている。
伝票をじっと見ていた晶穂が、えっと声を上げた。
「『ノイリシア王国』の『サラ』から、わたしたち宛てになってます!」
「そう。何処から聞き付けたのか、さっき届いていたんだよ」
「あそこはノイリシア王国中央部です。国同士のことですから、外交ルートがあるんじゃないですか?」
それにしても何が届いたのか、とリンも身を乗り出す。宛名は書かれているが、中身は「秘密!」と書かれているために不明だ。
一先ず朝食のトレイを全て片付け、テーブルの上を空にする。カッターを持ってきたユキが、代表して封を切った。
「……わぁっ!」
感嘆の声を上げるユキ。彼のキラキラとした顔に誘われて箱の中身を見た一同は、同様の声を上げるしかなかった。
そこに入っていたのは、サラ特製の衣服だったのである。
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