第354話 姫神候補と神庭
リンは頬をかき、気を取り直した。
「えーっと、甘音?」
「はい」
「……申し訳ないんだが、きみがここを目的地とした理由を教えてくれないか?」
誰かが、甘音にここを目指せと教えたのだとリンは推測した。しかし、誰が何のためにか全くわからないのだ。もう本人に問うしか道はない。
甘音は瞬きを数回して、一人の名を口にした。
「レオラさん、です」
「レオラ……?」
それは、人ですらない。創造主とも神とも呼ばれる存在の名である。
甘音はリンの復唱に「はい」と元気に答える。
「レオラさんが、一度
リンは額に指をあてた。うーんと一度考え、隣にしゃがんでいるジェイスに尋ねる。
「……ジェイスさん、レオラ呼べます?」
「創造主だし、呼ぶのは難しいな。だけど、この子を呼び出した本人なら」
「──ここにいるが?」
突然聞こえた声に驚き、リンたちは一斉に振り返る。すると食堂の入り口に背中を預け、レオラが立っていた。
「いつの間に……」
いつの間にも何も、神であるレオラに人が創った結界などないにも等しい。それをわかっていながらも、リンは問わずにはいられなかった。
レオラはリンの問いには答えず、ずんずんと食堂に入ってくる。そして、甘音の前に立った。
「久しいな。姫神候補、甘音」
「お久し振りです、レオラさん」
物怖じすることもなく笑顔で甘音に挨拶され、レオラは嬉しそうだ。
「ここまで来られたか。よくやったな」
「えへへ~」
レオラに頭を撫でられ、ご満悦の甘音。二人の世界に没入しかけた彼らを、ユーギが無理矢理現実へと引き戻す。
「ちょ、ちょっと!」
「何だよ、きゃんきゃん言うな」
「失礼だな! って、それは今どうでも良くて」
眉間にしわを寄せたレオラに、ユーギは問う。
「あなたと甘音はどういう関係なんだよ」
ここにいる全員が気になっているんだ。ユーギはそう言うと、ずいっとレオラに大きく一歩近付いた。
レオラが来たために立ち上がって離れていたリンも、レオラに目を向ける。
「俺も知りたい。教えてくれないか、レオラ」
「何だ。甘音は何とも言わなかったのか」
「レオラさん、自分が全て説明するからって言ってましたよね?」
「そうだっけか。なら、その責務を果たすかな」
甘音にも言われてしまい、レオラは苦笑した。そして、その場に立つとぐるりと一行を見回す。
ぽんっと甘音の頭に手を置いて、レオラは言った。
「甘音は姫神、つまり神の世界と地上世界の連絡役候補に選ばれた娘なんだよ」
「連絡役……」
「そうだ。お前はユーギとか言ったな。この娘を助けてくれたこと、礼を言う」
「い、いや。ぼくだけの力じゃないし……」
まさか、神に礼を言われる日が思いもしなかった。若干しどろもどろになったユーギの背を、唯文が支えてやる。
「そもそも、姫神なんて役割聞いたことがない。何なんですか、それは?」
「当然と言えば当然の問いか」
唯文の質問に頷き、レオラは立とうとした甘音を再び座らせた。
「姫神。その名は、『神に準するもの』という意味がある。古来より、地上には神の世界─天界─に最も近い場所が存在する。そこに独りで生きながら、地上の様子を始めとした様々なことを我に報告するのが仕事であり、存在意義だ。姫神の報告一つで、今後のソディールの在り方は幾らでも変化する」
レオラはテーブルの上にあった水の入ったコッブを手に取り、飲み干す。
「……今後、甘音には適切な時節を選んで
「神庭……」
それは、渦中の場所の名だ。もしやという嫌な予感を覚え、リンはレオラに尋ねる。冷や汗が、背を伝った。
「レオラ。一つ、聞きたいことがある」
「何だ? 言ってみろ」
「……神庭にあると伝わる宝物とは、姫神のことか?」
その問いは、激震を引き起こした。勿論、実際にではない。その場にいた全員が、ハッと顔を上げた。
「リン、もしかして……」
「はい、克臣さん。もしも姫神という存在が、スカドゥラの狙う宝物と同義なら……」
もしも同義なら、甘音を決してスカドゥラ王国に渡してはならない。
「彼らが姫神を手に入れてしまえば、天界にいるレオラたちに自分たちのことをねじ曲げて伝えることが可能となります。もしも天地を揺るがすようなことを
「少なくとも、自然界の自浄作用は機能しないだろうね」
ジェイスの補完に、リンは頷く。
レオラは先程言ったではないか。『姫神の報告一つで、今後のソディールの在り方は幾らでも変化する』と。つまり姫神が誰かのものとなれば、その者の思う通りに世界は動き出すのだ。
固唾を飲むリンたちの前で、レオラは嘆息した。そして、返答する。
「……そうだ。スカドゥラ王国以前から、ノイリシア王国の先代王も狙っていたな。真実の姿は伝説にすら残っていないだろうが、リンの言う通り、姫神を手に入れればこの世は思いのままとなる」
我ら神は、地上のことになど執着しない。レオラはそうも言った。
「我らがソディールを創り出してより以後、ほとんどの干渉を拒んできた。今後もその姿勢は変わらない」
「……無慈悲だと思うけど、それはあなたが人ではなく、神だからでしょうね」
「神子、そう捉えてもらって構わない」
神とは、無慈悲で自分勝手、そして人の理解の及ばない存在だ。近くにいても遠く、ただ見守り
甘音は、場の空気がピンと張り詰めたことに戸惑い、レオラの服の裾を掴んでいる。彼女は、自分が一体どういう存在なのか、知るよしもないのだろう。
レオラは彼女の頭を撫で、話を戻した。
「神庭は、姫神のための場。清く美しく保ち、穢れを持ち込むことは許されない。……時節を選ぶとは言ったが、もうあまり時間は残されていない。先代姫神の命の
姫神は、命の樹という大木に力を注いで祈ることで、その使命を果たすのだという。その大木は、神庭の奥深くに凛と立っている。
「ここを甘音に目指すよう言ったのには、訳がある。……ヴィル探しを頼んだ手前で悪いが、甘音を護衛し、神庭まで送り届けてはもらえないだろうか?」
全ての時間が惜しい。そう言うレオラに、リンは絶句した。
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