謎の少女

第352話 少女との再会

 目の前で泣きそうになっている少女に見覚えがあり、ユーギは一瞬動きを止めた。

「きみは、ぼくと昨日会った……?」

「お、お願い。助けて!」

 溢れかけて何とか止まっていた涙が決壊した。紺色の髪の少女は、若者に掴まれた腕をブンブンと振り回して逃れようとしている。しかし、若者の方が力が強く、自由にならない。

 少女を取り囲んでいた若者たちは、突然現れた狼耳の少年に驚く。一人がユーギを指差した。

「お、お前! 他人がしゃしゃり出てくるんじゃねぇ」

「何だよ。彼女、嫌がって泣いてるじゃないか!」

 離せよ。ユーギの剣幕に、若者たちがおののく。思わず一歩下がった者もいた。

 しかし、多勢に無勢。ユーギがたった一人だと見るや、五人の若者は顔を見合わせにやつき始めた。

「何だよ、お前。一人っきりじゃねぇか?」

「こんな獣人の子どもが一人で、オレたちに言いがかりか? 頑張るねぇ」

 少女を掴まえている青年は、舌打ちをして少女の手首をねじり上げた。

「い……痛いっ」

「ほらほーら。お前がイキるとこいつが痛がるぞ」

 ユーギが何も出来ないと高をくくり、若者は狂気めいた笑みを浮かべた。

 しかし、そんな余裕は次の瞬間に崩れ去る。青年たちの耳に、幾つかの足音が聞えてきたのだ。それはこの場を中心に三方向から。

「「「ユーギ!」」」

「……遅いよ、みんな」

 ある者は近くの屋根の上から、ある者は人だかりを跳び越えて、そしてある者は律儀に人混みをかき分けて。仲間たちの姿を目にし、ユーギはほっと肩の力を抜いた。

 ユーギの言い草に、唯文が苦笑いをする。腰に佩いた魔刀に手をかける。

「遅いとは失礼だな。……だけど、文句を言うのは後の方が良さそうだ」

「大方、多勢に無勢だとでも思ったのかな? ユーギはぼくらがいなくても倒せたと思うけど」

「ユキ、それは言わない約束だよ?」

 ユキと春直もそれぞれに構える。彼ら三人がユーギの背後を固め、若者たちを睨みつけた。

「さあ、いつでも来いよ」

「このっ―――!」

 わざと挑発めいた言葉を口にするユーギに誘われ、少女を掴むのとは違う若者が殴り込んで来る。その頭には犬の耳が生えている。

 彼を受け止めたのは、春直だ。今は猫の爪を使わず、単純な腕力と脚力のみを行使する。

「たあっ!」

 若者の右ストレートを躱し、左の回し蹴りを腰に見舞う。「ぐっ」という蛙がつぶれたような呻き声を上げ、彼は人だかりへ向かって吹っ飛んだ。

 それに驚いたのは、野次馬として集まっていた人々だ。彼らは凄い勢いで蹴り飛ばされた男から逃れるように散っていく。

「やりやがったな! ――おい!」

「今度はおれだ」

 唯文の前に現れたのは、二人の男。どちらも背丈は唯文よりは高く、その手にはナックルが嵌められている。獣人よりも力の弱い人間だから、そのような武器を持っているのだろうか。

「……魔刀を使うのもしゃくだな」

「舐めるなよ、クソガキ!」

 唯文は抜きかけた刀から手を離し、無計画に突っ込んできた片方の男の拳を頭より上に上げた足の裏で受け止めた。男が驚いた隙を突き、地に着いた方の足をバネとして跳び上がる。その落下スピードを利用し、男の背を蹴りつける。

 更に倒れかける男の背をジャンプ台として、もう一度飛ぶ。仲間が瞬殺されたのを見て固まっていた残る一人の目の前に着地し、その足を払った。

「うわっ」

 ガクンと体勢を崩し、人の男は尻もちをついた。それ以上の深追いも煩わしく、唯文はユキに後の全てを任せる。

「頼んだ」

「了解」

 倒したのは三人。残るは二人。

 一人は少女の手首を掴んだままこちらを見つめて冷汗をかいている男、もう一人は大柄なこのグループのリーダーと思われる魔種の男だった。

 リーダー男は虚勢なのか、腕組みをした泰然と立っている。その顔は険しく、元々そういう顔なのか、現状を見て渋面になっているのかは不明だ。

「……ユーギ」

「何?」

 ユキは、ユーギの傍に立って彼にだけ聞こえる声量で囁く。

「今から、奴らを足止めするから。その隙に、ユーギはあの子を連れて逃げて。真っ直ぐ、リドアスに向かって走るんだ」

「わかった」

「うん。ぼくらもすぐに行く」

 にこりと微笑んだユキは、パンッと両手のひらを胸の前で合わせ、ゆっくりと左右に引く。手の間に冷気がたまっていくのがわかった。

 急に、体感温度が下がった。五度は間違いない。捕まったままの少女が、思わずくしゃみをした。

「ごめんね、もう少し我慢して?」

 ユキはすまなそうに言うと、左の手のひらを男たちに向けた。そして、形のない冷気に実体を持たせる。

「――出でよ、氷の竜!」

 ――ガアアアァァァッ

 咆哮と共に、パキパキと氷でできた竜が出現する。それは二人の男に狙いを定めると、透明な瞳を厳しくした。

 竜の眼光は、男たちを怯えさせるには十分だったらしい。流石に、泰然としていた大男も青ざめる。

「ヒッ」

 逃げ出そうと一歩退いたのを合図に、ユキの魔力が爆発した。

 氷の竜が宙を駆け、その後には凍った大地が残る。もう一度竜が咆哮すると、男たちは蛇に睨まれた蛙のように硬直した。

「今だ、ユーギ!」

「うん!」

 突き動かされるようにユーギは走り出し、少女の手を掴んだ。それは、男に握られていたのと同じ側。男は既に自分が助かることだけに精一杯で、少女の手を掴んでいる余裕などない。

「こっちだ」

「あ……うんっ」

 少女は怯えを帯びた顔をしていたが、ユーギを真っ直ぐに見て頷いた。二人は走り出し、彼らが通るための道を確保するため、春直と唯文が邪魔者を蹴散らす。彼らに倒された男たちが意識を取り戻して駆け寄ろうとしていたのだ。

「往生際が……」

「悪いよね」

 春直と唯文に蹴り飛ばされ、再び三人は地面に沈む。それらを目にした無傷の二人が踵を返して逃げ出そうとするが、それをユキが許すはずもない。

「ひゃぁっ」

「逃がさないよ」

 二人の進行方向は氷柱で塞がれ、振り返るとそこには氷の竜がいた。いつの間にか氷に取り囲まれ、男たちはへなへなと力なくその場に座り込んだ。

「おーい! あ、やっちまったか」

 全てが片付いた時、遠くからユキたちを呼ぶ声が聞こえてきた。この市場を取り仕切る人々がやって来たのだ。

 後のことは、彼らに任せてしまえば大丈夫だろう。

「さて、行くか」

「うん。ユーギを待たせたらだめだよね」

「ちょっと暴れ過ぎたかな」

 唯文とユキ、春直は顔を見合わせ、苦笑を漏らす。それから、やって来た人々に全てを任せ、リドアスへ向かって駆け出した。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る