第348話 ゆびきり

「つまり、あれか? 創造主と女神が喧嘩したっていうのか?」

「はい」

 克臣は頭をかき、ぼそりと「マジかよ」と呟いた。

 ここは、リンの執務室兼自室だ。レオラと別れた後、リンは克臣とジェイス、晶穂に声をかけていた。年少組にも協力をあおぐべきなのだが、最初に伝えるのはこの三人だろう。

 ジェイスは克臣とは異なり、くすっと笑った。

「喧嘩というには、一方的なようだけどね」

「ジェイス、そうは言うけどな。女ってのは何でかんしゃくを起こすかわかんないんだぜ? この間も……っと、これを言ったら今度こそ雷が落ちるな」

「また真希まきちゃんに叱られたのか? 喧嘩するほど仲が良いとは言うけど、それもあまりに回数が多いと事だと思うけどな」

「……真希の誕生日をサプライズで祝おうと思って、忘れたふりをしたら泣かれた」

「それは……泣きますよ」

 真希への同情の眼差しを自分に向ける晶穂に、克臣は慌てて手を振った。

「その後、サプライズをするつもりだったと謝ったぞ! プレゼントも渡したし! なのに、ちょこちょこトゲを刺すみたいに辛辣なんだよ」

「素直におめでとうって言ってほしかったんですよ、真希さんは」

 肩をすくめ、晶穂は苦笑する。真希はおそらく、ただ克臣に「おめでとう」と言ってほしかっただけなのだ。

「それだけでいいのかぁ?」

「良いんです。……好きな人に誕生日を覚えていてもらえた、それだけで嬉しいものですから」

 はにかむ晶穂の確信を持った言葉に、克臣は「そうなのか」と納得する。

「じゃあ、改めて誕生日祝うかな。で、真希の気持ちを考えていなかったと謝ることにする」

「それが良いと思います。きっと、機嫌直してもらえますよ」

「ああ、さんきゅーな」

 真希の誕生日は二月十日。本当に最近の話だ。早めに関係を修復しておく必要があるだろう。

 話が克臣の夫婦喧嘩の話に大きく逸れ、ようやく本題へと戻る。

「リン。そのヴィルさんが行った場所について、レオラは何か言っていたかい?」

「いえ、残念ながら手掛かりなしです。だから、ここ最近あった報告の中で不思議な現象や見慣れない人物の情報なんかがあったらと思ったんですが」

 机の上には、ここ数日から数週間に寄せられた文書の束がある。リンは事前に目を通したものの、めぼしいものは見付けることが出来なかった。

「なかなか、すぐにとは行きませんね」

「わたしも、よく耳を澄ませておくよ。レオラという創造主の頼みだからね」

「俺も、気を付けておこう。ユキたちにも伝えるんだろう? リン」

「はい。彼らは頼りになりますから。夕方には学校から帰って来るはずですから、その時にでも」

 竜化国から帰って来た後、ユキたちは変わらず学校に通っている。日本の高校に通っていた唯文もまた、ソディールの学校に編入しているのだ。

 この時点で決められることはそれ以上なく、克臣とジェイスは見回りに出ると言って外へ出た。晶穂もまた、リンの仕事の邪魔をしてはいけないと退室しようとする。

「晶穂」

「ん? どうしたの、リン」

 くるりと振り返ると、リンが気まずそうな顔をして目を伏せていた。彼がそうする理由が思い当たらず、晶穂はかくんと首を傾げる。

「扉の件やノイリシア、竜化国のことがあったからって言い訳は良くないんだけど……。晶穂の誕生日、忘れてたわけじゃないからな」

「あっ―――」

 晶穂は口を両手で覆い、思わず声を上げた。晶穂の誕生日は十月十五日。丁度、ごたごたとしていた時期だった。

 ソディールと地球をつなぐ扉が閉じてしまい、互いにもう会うことは出来ないのだと絶望した頃、季節は秋だった。

「……気にして、くれてたの?」

「余裕がなくて、ずっと気にしていたわけじゃない。だけど、さっき晶穂は言っただろう? 真希さんは『素直におめでとうって言って欲しかっただけ』だって」

 たった一言だ。それを伝えずにいたのは、寂しいではないか。

「次の誕生日、絶対に祝うから。だから――」

「リンの誕生日は五月二十日、だよね」

「――ッ。あ、ああ」

 思い切って、晶穂は一歩リンに近付いた。自身の誕生日を口にされたリンは、びっくりして目を瞬かせる。

 今年の五月はまだ来ていない。今はまだ春になり切らない季節で、寒さを感じる朝もある。だから、と晶穂は照れ笑いを浮かべた。

「わたしも、一度もお祝いしたことなかったよ。だから、今年こそ一緒にお祝いしよう。ね、約束」

 右手の小指を立て、晶穂がえへへと微笑む。リンは晶穂の申し出に驚きはしたものの、ふわりと優しい笑みを浮かべた。彼のファンが見れば卒倒しかねない、そんな愛しげな笑み。

 男性としてはまだまだ細く、でも傷が走る手を挙げ、リンは小指を晶穂のそれを絡めた。顔を見合わせ、指切りをする。日本の有名過ぎる歌は、気恥ずかしくて歌えない。

「ああ、約束だ」

「うん」

 一秒だけ、指を絡める力が強まる。ただそれもほんの一瞬のことで、二本の指は離れていった。




 その日の夕刻。

「じゃあね、ユーギ」

「うん、またあとで!」

 いつものように授業を受けた放課後、ユーギは他の皆よりも先に校舎を出た。

 春直は別のクラスであるし、ユキと唯文は年上だから学年が違う。同じ時間に靴箱で会えれば一緒に帰るのだが、今日はそれぞれに用事があるらしい。

 委員会の用で先生のところに行くという春直と先程ばったり出くわし、先に帰ると言ったところだ。

「そういえば、さっき団長から連絡が入ってたな」

 道の端に寄り、ユーギは端末のスイッチを入れる。連絡用にと持たされた端末だが、ユーギはこれを使わなければならない緊急事態に遭遇したことはなかった。

 ――ポンッ

 ピアノのような音が鳴り、リンのメッセージが呼び出される。そこには『伝えたい依頼があるから、用事が済み次第俺のところに来て欲しい』と書いてある。

「依頼かぁ。最近大きな事件が多いけど、今度は何だろ?」

 狩人という組織との対立から始まった流れは、いつの間にか国家内の対立にまで発展している。時々怖い目にも合うが、ユーギは仲間がいれば大丈夫だと心強く思っていた。

(とりあえず、早く帰ろう)

 端末をリュックに仕舞い、ユーギは駆け出そうとした。

 ――どんっ

「うわっ」

「きゃっ」

「ご、ごめんなさい!」

 前をきちんと見ていなかったためか、ユーギは通りがかった人とぶつかってしまった。相手は尻もちをついていて、ユーギは大慌てで彼女の手を引いて立ち上がる手伝いをする。

「こちらこそ。ぶつかってごめんなさい」

「あ、いや。ぼくも見てなかったから……」

 ユーギは、立ち上がった相手を初めてしっかりと見る。水色の瞳と紺色のボブヘアを持つ同年代の可愛らしい少女だ。獣の耳を持たないところから、人間か魔種かだろうと見当をつける。

「あの……?」

「え? あ、ごめんなさい!」

 ぴょこんと耳を立て、ユーギは少女に頭を下げた。

「ぼく、急いでるんだった。何処も怪我してないですか?」

 見たところ、擦り傷もなさそうだ。それでも何かあってはいけないと、ユーギは少女に尋ねる。すると少女は首を横に振った。

「大丈夫、ありがとう」

「よかった。……じゃあ、ぼくはこれで!」

「あ」

 少女が呼び止める前に、ユーギは走ってその場を去った。流石に狼人には追いつけない。

「―――ま、いいか」

 苦笑を漏らし、少女もまた踵を返した。



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