第347話 神の訪問

 スカドゥラ王国が神庭かみのにわを狙っているという一報を得てから数日後、リンは早朝から一人で中庭に立っていた。

 呼吸を落ち着け、風の流れを読む。剣を持つ手を動かすことなく、踏み締める足を引くこともなく、ただ目を閉じて立つ。

 ふと、散る木の葉を感じた。頬の傍を撫でるように落ちていく。それが剣に触れたと感じた時。

「――はっ」

 剣を一気に引き上げ、リンは木の葉を両断した。

 ―――パチパチパチ

 何処からともなく聞こえてきたのは、一人分の拍手。その手の主を探そうと、リンは目を開けた。

「……誰だ?」

「久し振りだな、銀の華のリン」

「あなたはッ」

 背後から聞こえた声に、リンは振り返る。するとそこには、白銀の瞳と髪を持つ青年が立っていた。

「扉が消えて以来ですね。……レオラ」

「丁寧に話さなくてもいい。お前たちに敬われるとこそばゆい」

「そうで……そうか」

 苦笑気味に言葉遣いを改めたリンは、剣をペンダントのトップに戻してレオラと向かい合う。

「どうしたんだ? あなたがここに来るなんて、珍しいこともあるな」

「少し、な。……お前たちに相談というか、頼みがある」

「頼み?」

 何やら躊躇しているらしいレオラの様子に、リンは首を傾げた。神であり、不遜な態度も似合う彼が、何をそんなに悩んでいるのだろうか。

「神であるあなたが俺たちに頼みなんてな。出来ることなら、引き受けるけど……とりあえず、話してもらえないか?」

「助かる」

 余程疲弊しているのか、レオラは素直にベンチに腰を下ろした。彼の隣に座ったリンは、じっとレオラの横顔を見つめる。

 レオラは指を組み、何やら深刻そうな顔をして足下を見つめていた。しかし覚悟を決めたのか、リンに「なあ」と尋ねた。

「……妻に愛想を尽かされそうなんだが、どうすべきかな?」

「―――は?」

 思わぬ相談内容に思わず聞き返してしまったリンは、目を丸くした。

「いやだから、女神ヴィルが何かに怒っているんだが、我にはその理由がわからないんだよ」

「……何故そんな夫婦喧嘩を俺に相談するんだ?」

 リンはまだ、誰とも結婚していない。だからわかるはずもない。そう言って断るのだが、レオラは何故かきょとんとした。

「なんだ、お前ら。まだ結婚してなかったのか?」

「してないわっ」

 カッと顔に熱が集まるのがわかる。リンの反応を意外に思ったのか、レオラは何故かニヤリと笑った。

「そんなに放置してたら、いつか誰かにかっさらわれるぞ?」

「ふざけんな。あいつは俺に必要なんだ」

 至極真面目な顔で、リンは言い切る。自分が何を言っているのかわかっていないわけではないだろうが、普段のリンからは想像もつかない台詞を吐いた。

 それから「はぁ」と息をつくと、レオラに呆れた声で呼び掛ける。

「なあ。そんなことを言いに来たんじゃないんだろ? 俺はあなたの話を聞いていたはずなんだかな」

「忘れかけてたよ」

 レオラは後頭部をかくと、改めて事の始まりを話し出した。


 我がヴィルの傍へ行くと、彼女は何やら頬を膨らませていた。彼女が機嫌を悪くするのは、時折あること。そう高をくくった我は、いつも通りに尋ねたのだ。

「どうした? 何かあったのか、ヴィル」

「……あなた。わたくしが何に腹を立てているのか、お分かりですか?」

「わかれば苦労しまい。我はヴィルではないのだからな」

 真っ当な返答をしたはずなのだが、ヴィルは大きな嘆息を洩らした。そして寂しそうに、眉を寄せる。

「あなたはいつもそう。……どうせ、わたくしよりもソディールという世界の方が大事なのでしょう?」

 ふてくされたのか頬を膨らませるヴィルに、今度は我がやれやれと肩をすくめた。

「世界とヴィルを比べることは出来ない。我の伴侶として最も大切なのはヴィルだし、見守らなくてはならない世界はソディールだ」

「わかっています。わかっていますが……」

「ヴィル?」

 急に黙ってしまったヴィルに、我は内心慌てた。何かを胸のうちに抱え込んでいるらしいが、言ってもらわなければ何もわからない。

 こんな時相手の心が読めればと願うが、神であってもそんな力はない。心はその人自身のものであり、基本的には不可侵なのだ。

 我がヴィルに手を伸ばすと、彼女はその手を払った。触るなとでも言うように。

「ヴィル……」

「レオラさま。わたくしは、今からソディールへ降りますわ」

「は?」

「降りて、あなたを困らせて差し上げます。覚悟してくださいませ!」

 ビシリと人差し指を我に向けたヴィルは、その青い目を険しくした。

「は?! おい、何を考えているんだヴィル!」

 我の制止を振り切り、ヴィルは天界から地上へと降りてしまった。我は呆然とし、一先ず彼女を追ったのだ。


「……だが、全く見つからない。なあ、リン。ヴィル探しを手伝ってはもらえないだろうか?」

 神に手を合わせられるという奇妙な経験をしたリンは、ふむと腕を組んだ。正直、ヴィルの行方を探し出すには時間がかかる。しかし、彼女が何を言いたかったのかは何となく察せられた。

「レオラ、もしかしてヴィルさんは……」

「何だ?」

「いや、何でもない。……理由は、ヴィルさんから直接聞くべきだろうから」

 後半を呟き程度に留め、リンはレオラと向き合った。

「神であっても困っているのなら、銀の華は手を差し出す。ただ、一つ約束してくれ」

「約束?」

「そう。……何故ヴィルさんがいなくなったのか、その理由を考え続けろ。そうしないと、見付かったとしても適切に謝ることも出来ないだろう?」

「……わかった。では、頼む」

 我も引き続き探す。そう言うと、レオラは風の中に姿をくらませた。

 レオラを見送り、リンは額に指を当てた。

「何で、問題が重なってくるんだよ……」

 とりあえず、仲間たちにレオラの依頼を受けざるを得なかったことを報告しなければなるまい。

 リンは立ち上がって伸びをすると、晶穂たちに声をかけるべく建物の中へと向かった。

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