第346話 異変の先触れ

 ―――もし、二度と会えない友だちに会えるって言ったら、どうする?

 そんな妄言に耳を貸してしまうなんて、俺はどれだけ疲れていたんだろうか。

 あの時、目の前に突然女性が現れた。

 彼女はこの世界では染めない限り見ることのない、透明感さえもある白い髪をなびかせていた。ブルーサファイアのような瞳を真っ直ぐにこちらに向け、疑いを持った俺の目を受け止める。

 ――どうもしませんよ。

 ――つれないなぁ。

 残念そうにベランダの柵に腰を下ろす女性だが、俺は幻覚だと無視することに決めた。現在深夜一時。夢とうつつが交わっても許される時間帯だろう。

 女性は俺が反応しないことに気付くと、しばらくは口を閉じていた。

 一時間が経った。

 もういなくなったかとベランダを見たが、そこにはいない。ほっとしてテキストを閉じた俺の耳元に、大人の女性の声が囁きかけた。

 ――。きみの親友の名だよね。

 ――どうして、あなたがそれを……っ。

 思わず振り返った俺は、魅入られたように動けなくなった。ブルーサファイアがこちらを見つめ、微笑んでいる。

 ――少し、協力してくれないかしら。

 それきり、俺の意識は途切れた。




 克臣に遅れること五分。リンと晶穂はジェイスが待つ会議室に到着した。

「やあ、二人とも来たね」

 片手を挙げたジェイスの手元には、数冊の冊子が置かれている。それら全てが報告書や調査書類であることは、タイトルを見れば一目瞭然だ。

 リンは断りを入れた上でそれらを手に取る。

「『北方大陸調査書』、『南部スカドゥラの現状報告』……? ジェイスさん、こんなのどうしたんですか」

「ああ、それは今から話すよ」

 まずは座って。そう言われ、リンと晶穂は隣同士に椅子に座った。

 克臣がコップに入ったお茶を一口喉に流し、こんっと机に置く。

「俺も詳しくは知らんが、サディアやテッカさんからか?」

「そうだよ。今朝早くに届けられたものなんだけど、三人にも読んで欲しくてここに呼んだんだ」

 サディアは銀の華の遠方調査員をしている人間の女性だ。滅多にリドアスに戻ってくることはないが、時折仲間たちと行った調査の報告書を寄越してくる。

 テッカも同じく遠方調査員だが、彼はチームを組まずに一人で気ままに旅をしている。ユーギの父であるが、彼もまた、あまり帰って来ない。

 ジェイスに差し出された冊子を流し読みした克臣は、ふととある文章に目を止めた。

「おい、これはどういうことだ?」

「これって?」

「これだよ。『スカドゥラ王国が神庭かみのにわを手に入れようと調査を開始した模様』って、大問題じゃねぇか」

 パンッと冊子を叩き、克臣が大声を出す。ちなみに、彼が読んでいたのは『南部スカドゥラの現状報告』という冊子だ。

 国名を聞き、晶穂は以前ジェイスから教わった内容を思い出す。

「スカドゥラ王国って、確か軍事国家ですよね」

「そう。南海なんかいの更に南に位置する島国で、昔から他国との戦争や侵略を繰り返してきた国なんだ。その島自体も昔は幾つもの国に分かれていたものを、今のスカドゥラが侵略して統一したって話があるよ」

 これを見て。そう言ってジェイスが机の上に広げたのは、この世界・ソディールの地図だ。

 北にソディリスラ、南にスカドゥラ王国、東に竜化国、西にノイリシア王国が描かれている。竜化国とスカドゥラ王国は島国だが、ソディリスラとノイリシア王国は同じ大陸にある。しかし二つは『神庭』と呼ばれる未開の地で隔てられており、行き来には船が使われているのだ。

 スカドゥラ王国を指差し、ジェイスは話を続ける。

「地図で見るとわかり辛いけど、この島は大きいんだ。多分、地球で言うところのオーストラリアくらいかな」

「それ、ほぼ大陸じゃねえのか……?」

「オーストラリア大陸って言いますもんね」

 克臣と晶穂が言い合うのを横目に、リンはじっと報告書を読み込んでいる。

「こっちは、スカドゥラが狙っているという神庭に関する報告書ですね。ノイリシア王国側の山裾やますそに、怪しい動きをする人々が何人も目撃されているって。……これは、スカドゥラの調査員?」

「そう考えるのが自然だと、わたしも思うよ」

「これが本当なら、スカドゥラに関するもう一冊の信憑性はかなり高いということになりますね。……やつら、何をするつもりだ?」

 リンは腕を組み、眉間にしわを寄せる。隣に座る晶穂は、ノイリシア王国でのことを思い出して手を挙げた。

「考えられるのは、神庭にあると言われるモノを手に入れる事ではないですか?」

「巨万の富に匹敵する宝、か」

 克臣が天井を仰ぐ。ギシリ、と椅子が悲鳴を上げた。

「それ、ノイリシアでもあったよな。結局何なのかはわからずじまいだったけど」

「物なのか生き物なのか、それすらも不明ですからね」

 リンも苦笑いを浮かべるしかない。情報があまりにも少な過ぎる。

「今更なんですけど……」

 晶穂がおずおずと躊躇いがちに口を開いた。リンたちが注目すると、彼女は羞恥に頬を染めた。

「神庭って、どんなところなんですか?」

「……説明したことなかったか」

「多分、あるんだけど……。あまり詳しくは教わらなかった気がする」

 覚えていなくてごめんなさい。顔を伏せる晶穂の頭を、リンは優しく撫でた。

「気にするな。それに、俺たちだって神庭について知っていることなんて極わずかだから」

「そう、なの?」

「リンの言う通りだよ」

 上目遣いに仲間たちを見上げる形になった晶穂に、ジェイスも頷く。

「神庭。ソディリスラとノイリシアの北部に位置していて、一年中雪に覆われた白い世界だ。木々が生い茂り、人を寄せ付けない程険しい山々が連なる未踏地帯。更にその険しさから、神が住んで人を拒んでいるんじゃないかっていう噂まである」

「本当に、謎の場所なんですね」

 晶穂の素直な感想を受け、ジェイスは「そうだね」と首肯した。

「だからこそ、人々は神庭と呼んで神聖視してきたんだ。誰も庭を侵すことのないように。……でも、その注意勧告も踏みにじられようとしているのかな」

「神庭を侵略しようとしたノイリシア王国の先代は失敗しているんですけどね。……兎も角、俺たちは警戒するしかないでしょう」

 神庭が特定の誰かの手に落ちれば、この世界がどうなるかもわからない。リンたち四人はサディアやテッカたちに、引き続いて危なくない程度の調査続行を依頼することに決めた。

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