神庭世界編
夫婦喧嘩の始まり
第345話 想いは巡っても
季節は巡り、花咲き誇る春となった。
桜に似た淡いピンク色の花が風に舞い、晶穂の髪も遊ばせる。風に乱された髪を押さえ、晶穂は思わず目を閉じた。
「大丈夫か?」
「あ、うん。大丈夫。風、強いね」
現在、午前七時過ぎ。晶穂はリンと共に朝練を終え、そのままベンチで過ごしていた。
ここ数週間は、今までの忙しさが嘘のように静かな日々を過ごしている。こんな日が続くのも嬉しい、そんなことを思っていると、晶穂の目の前にリンの指が伸びてきた。
「ちょっと目を閉じててくれるか?」
「は、はい」
きゅっと晶穂が目を閉じると、リンの指が髪をすいた。とくん、と晶穂の胸が鳴る。
「……よし、取れた」
「あ、花びら」
晶穂が目を開けると、リンの手には小さなさくら色の花びらがあった。それが晶穂の髪にくっついていたようだ。
「ありがとう、リン」
「……ああ」
ふわりと微笑んだ晶穂を真面に見てしまい、リンは少し視線をずらす。そうしなければ、熱を帯びた顔を彼女にさらしてしまうからだ。
リンは照れ隠しに、何気ない仕草で取った花びらを風の中に返そうとした。その手を、晶穂が止める。
「待って。……それ、わたしにくれない?」
「
「そう。……綺麗だから、栞にしたいなって」
「なら、これも持っていけよ」
リンは一枚の花びらを晶穂の手のひらに乗せると、ベンチを立った。それから数歩行き、しゃがみこむ。
「これも、一緒にしとけ」
「わぁっ」
晶穂の手のひらに乗せられたのは、五つの花びら全てが揃った一輪だった。強い風によって落ちてしまったのか、綺麗な状態だ。
リンの思わぬプレゼントに、晶穂は頬を染める。花びらを壊さないよう、手のひらの中に収めた。
「……戻るか」
「うん」
少し躊躇して、リンが右手を差し出した。それにおずおずと重ねられた晶穂の手を、リンは優しく、しかし力強く握った。
指と指が絡まり、より密着する。きっと、誰かがいる場所ではその手を離してしまうだろう。公認だとはわかっていても、リンと晶穂はまだ堂々と恋人らしく振る舞うことは出来ない。
だからこそ、二人っきりの時だけの特別甘くて暖かな空気感が、二人とも好きなのだ。
「何だ?」
ぼうっとリンを見つめていたのがバレたのか、リンが晶穂の顔を見て首を傾げる。かっと頬を染めた晶穂は、かろうじて首を横に何度か振った。
「何でもない。ただ……」
「ただ?」
「ただ、リンとこうやって手をつなげて、幸せだなって思っただけ」
花びらを持った左の手の甲を唇を隠すように挙げて、晶穂は照れ笑いを浮かべた。
「……そう、だな」
彼女の仕草全てが愛しくて、リンは晶穂の手を握る自分のそれに力を入れた。独りで何処かに消えてしまわないように。
(俺も、晶穂がいて幸せだから)
「……行こう。腹減ったし」
素直な気持ちを口に出すことはなく、リンは晶穂の手を引いた。
例え口に出さなくても、リンは目元が優しくなる。引く手の力が強くなる。それでも、絶対に晶穂が痛がる力は出さない。
「うん、行こっ」
だから、晶穂は心から微笑んだ。
花びらを晶穂の部屋に置いてから、食堂へと向かう。そして、食堂の手前でどちらかともなく手を離す。名残惜しくないわけではないのだが、恥ずかしさが先行するのだ。
リンと晶穂が食堂に入ると、克臣とジェイスが向かい合わせに座って朝食を食べていた。克臣は和定食で、ジェイスはサンドイッチとサラダである。
リンと晶穂もそれぞれに朝食を受け取る。リンは克臣と同じ焼き魚の定食、晶穂はおにぎり二つとだし巻き卵等のセットだ。
味噌汁をすすっていた克臣が、リンたちを見付けて片手を挙げる。
「おう、二人とも」
「おはよう。朝練してきたのかい?」
動きやすい服装をしている二人の様子からそう推測したジェイスは、ツナと葉物野菜のサンドイッチを手にしていた。
「おはようございます。そうです、朝練していました」
「おはようございます。……そういえばジェイスさん、アルシナさんはお元気ですか?」
竜化国のアルシナとジェイスが恋仲であることは、もうリドアスに関わりのある誰もが知っている。大半の人々はアルシナ本人を知らないが、ジェイスの人望によってか、誰もが暖かく受け入れていた。
「昨日、丁度話をしたよ」
いつも以上に目元を和らげ、ジェイスが笑う。本人は気付いていないが、アルシナの名を口にする彼は嬉しそうだ。
「里の復興も少しずつ進んで、家はほとんど建ったそうだ」
「凄い! あんなことがあってから、まだ一ヶ月位しか経っていないのに」
「それだけ、急ピッチで進めなきゃいけない理由でもあるのかもしれないな」
急いでいるとは言え、手抜き工事などもっての他だ。勿論そんなことをする里人は誰もいないのだが。
「アルシナさんはそれについては何も?」
「ああ。……何か、いずれ驚かせるから待っていて、そう言われたよ」
楽しみだな。そう言って、ジェイスは目を細める。そんな幼馴染を放っておくはずもなく、克臣がニヤつきだした。
「全く、この前までリンや俺をいじってた奴がな。世の中、わからんもんだな」
「基本的にいじってたのはお前だろ、克臣。……でも確かに、気持ちは変わったよ」
ジェイスは最後のタマゴサンドを食べ終えると、三人より先に席を立った。
「先に行くのかよ?」
「ああ、克臣たちも後で来てくれ。少し、気になることがあるんだ」
「わかったよ」
「はい。食べ終えたらすぐに行きます」
「わ、わたしも」
「急がなくていいよ。じゃあ、また後で」
トレイに空の皿を乗せたジェイスが、返却口へと去る。彼が食堂から姿を消した後、克臣は苦笑を漏らした。
「あいつも変わったよな。いい方向に」
「はい」
「……でも、大切な人より先に逝くってわかってるって、辛くないんでしょうか」
わたしなら、耐えられないかもしれません。晶穂が胸に手を置いて、その指をきつく握り締めた。
「それでも、共に生きていくと決めたんだろ、あいつは」
来るかもわからない不確定の未来を待つ、待たせる。互いに心が砕けそうな程に辛いはずだ。
それでも、二人は決めた。だから、傍で見守る自分たちは見守り続けるしかない。
「……俺は、真希が生まれ変わって別の人になったとしても、必ず見付け出すけどな」
珍しく
「……」
「……」
残されたリンと晶穂は、黙々と食事を終えた。ご馳走さまと手を合わせた後、リンがぼそりと呟いた。
「……俺も、何があっても探し出すから」
「……うん。わたしも、探し出すよ」
二人は互いに照れて、はにかんだ。
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