第344話 諦めかけた夢

「ニーザさん、伝えたいことって?」

 アルシナが首を傾げると、ニーザは「ちょっと待っておいで」と奥へ引っ込んだ。

 しばらくすると、ニーザは何やら古い書物を持ち出してくる。それは表紙が既に黄ばんでいて、書かれたの古い時代のことだと察せられた。

 紐で綴じられ、少し神秘的な雰囲気すらかもし出す。

 ニーザがページをめくると、古代文字かと思われるミミズがのたくったような文字が並んでいた。それらを見て、ジュングが嫌そうな顔をする。

「うぇ、読めねぇ」

「あんたは昔から活字が苦手だから……」

「文字が読めないみたいに言うなよ」

 眉間にしわを寄せるジュングに、アルシナは笑ってしまった。ますます嫌そうな顔をするジュングに「ごめん」と謝り、アルシナはニーザに目線を戻す。

「話の腰を折ってすみません。これ、何て書いてあるんですか?」

 姉さんも読めないじゃないか、というジュングの文句は右から左に流し去る。それはニーザも同じで、指を古びたページにはわせた。

「ここには、竜人の言い伝えが書かれているんだ。ジュングの力のお蔭か、こういうたぐいの史料はあまり世に出ないようになっていくだろうね」

「言い伝え? どんなものなんですか?」

 アルシナが身を乗り出すと、ニーザは一文字一文字追いながら呟いていく。

「『りゅうのひと、ほろびのいちぞくなり。ほろぶゆえんは、ながきとしつきをへるためなり』。つまり、竜人は長命であるが故に、滅びの一族と呼ばれているということ」

「それは、理解出来ます」

 アルシナの隣で、ジュングもうんうんと頷く。二人の反応を見て、ニーザは更にページをめくる。

「ここからが、アルシナにとって大きな意味を持つよ。……『いしゅとこころをかよわせたるりゅうのひと、そのながきいのちをへらすこと、かなり』」

「……えっ」

「つまり異種族と恋に落ちた竜人は、長過ぎる命の時間を減らすことが可能、ということよ」

「……」

 アルシナは衝撃のため、言葉を失った。

 この言い伝えが本当ならば、アルシナはジェイスと同じ時を生きることが可能になるのだ。つまり来世という不確定な未来ではなく、という時間を共有することが出来る。

 硬直してしまったアルシナに、ニーザは優しく問いかけた。

「さて、どうする? このままジェイスが生を終えるまで共にいて、死後も来世を待つか。それとも今生で共に一生を送るか。……どちらも、楽な道ではないよ」

「……そう、ですよね」

 アルシナの言葉は歯切れが悪い。一度諦めた夢を、再び提示されたのだ。

 最早呆然としたアルシナに、ニーザは結論を急がせることはない。娘のようで孫のような彼女の頭を撫で、微笑む。

「急がなくていい。時間はまだあるのだから。……いつでも良い。決めたら言いなさい」

「……はい」

 ニーザは用事があるからと言えの奥へと再び引っ込んだ。彼女を見送り、アルシナはソファーにぼすんと座り込む。姉を見下ろすジュングは、首を傾げた。

「姉さん、何を悩んでるんだ?」

「何をって……。決まってるじゃない」

「どうせ姉さんは、僕が独りになることを心配してくれてるんだろ?」

「……」

 ジュングの呆れ声に、アルシナは顔を伏せた。言葉としての答えがなくても、姉の気持ちは仕草でわかる。これは、絶対にジェイスには負けないとジュングには自負がある。

 だからジュングは、姉の背を押した。

「姉さんは、自分がどうするのが幸せか考えなよ。僕のことじゃない、自分のこと。そうでなけりゃ、僕は決して幸せとは言えない」

「ジュング……」

 アルシナの瞳が揺れている。長命を捨てるということは、ジュングやヴェルドとの悠久の時間を捨てるということだ。反対に捨てずにいるということは、無期限とも思われる時間、ジェイスの生まれ変わりを待ち続けることを意味する。

 何度も何度も頭の中で考え、そして答えが出ない。

 アルシナの両目から、涙が溢れる。

「決められるわけ、ないじゃない。私にとって、あなたも義父さんも、ジェイスさんも、みんな代わりなんていない、大切な人たちなんだから」

「……僕も、姉さんが大事だ。義父さんも早く目覚めて欲しいし、里のみんなも守っていきたい。僕には、里を見守り続けるという責任がある。だけど、姉さんは違うだろう?」

「わ、私にだって里を離れない責任があるわ」

 言い募るアルシナに、ジュングは首を横に振った。

「姉さんには、ないよ。僕が決めた。ヴェルド義父さんが目覚めたら、義父さんに任せて僕は旅に出る。一人で行く」

「そんな勝手に!」

 思わずソファーから立ち上がったアルシナの肩を押し、ジュングは再び姉を座らせた。そして覆い被さるようにして、両手をソファーの背もたれにかける。

「姉さん、あいつが好きなんだろう?」

「――……うん」

「だったら、一緒にいられる今を、共に生きればいいじゃないか。どうせ、あの言い伝えも本当かどうかわからないんだから、ダメもとで。あいつが死んだ後に後悔したって、もう遅いんだからな」

「ジュング……うん、ありがと。あなたが私の弟で、よかった」

 アルシナは両手を伸ばし、ジュングを抱き寄せた。しばし弟を抱き締め、ゆっくりと離れる。

「じゃあ、ニーザさんのところに行ってくる」

「うん。……後悔だけはするなよ」

「うん」

 頬を染めてニーザを探しに行ってしまったアルシナの気配を見送ったジュングは、大きなため息をついた。そして、ジェイスの顔を思い出して悪態をつく。

「ジェイス、あの野郎……。姉さんを幸せに出来なかったら、僕が許さない」


「ニーザさん!」

「おや、アルシナ。……決めたのかい?」

 ニーザは探し物の手を止めて、アルシナと目を合わせた。アルシナは深呼吸を一つすると、こくんと頷いた。

「はい。……教えて下さい。どうやったら、あの人と同じ時間を生きられますか?」

「そちらを選んだんだね」

 ニーザは柔らかく微笑むと、そっとアルシナの唇に指で触れた。

「ここに『しんじつのくちづけをかわしたとき、りゅうのちから、きえゆく』とある。だから、お前が共に歩みたいと願う相手との口づけが、お前の竜人の力を薄めていく。……だから、アルシナ。お前は既に竜人を離れつつあるんだよ」

「口づけ……」

 ジェイスとしたキスを思い出し、アルシナの顔が真っ赤に染まる。再び、唇に熱が集まって来た。

 そんなアルシナを見守りながら、ニーザは微笑んだ。

「まあ、わしが何故それを知っているのかは不問にしといてくれ」

「あっ、そういえば!」

 問い質そうにも、ニーザに止められてしまったために尋ねられない。仕方なく、アルシナは頷いた。

「まずは、里を見られる形にするまでは、アルシナにここにいてほしい。その後は、好きにするがいいさ」

「―――はい!」

 飛び切りの笑顔が、アルシナを彩る。

 隠れ里を復興させ、ジェイスの隣に行きたい。アルシナの胸に、新たな誓いがふわりと浮かび上がっていた。

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