第343話 来世への誓い
もうすぐソディリスラに戻るのだと晶穂が言った時、アルシナは思わずこう問いかけていた。
「初めて人を好きになったの。これって、どうしたらいいの?」
「え……」
呼び止められた後、晶穂はアルシナの問を反芻した。これはつまり、やはりそういうことか。
返答に窮する晶穂に、アルシナは畳み掛けるように迫った。
「お願い、教えて! 晶穂がリンを好きになった時はどうしたの?」
「わ、わたしっ!?」
思わず声が裏返った晶穂は顔を真っ赤にして、自分のことを思い出してみた。
「わたしは……しばらく、自分のこの気持ちが何なのかわからなかったんです。リンには何度も助けてもらって、一緒に過ごして色んな面を知っていく度に、気持ちが募ったと言うか……い、いつの間にか大好きになって、ました」
顔だけでなく首も手も真っ赤に染めた晶穂を、アルシナは見守る。
「それで?」
「そ、それで……ある時に、彼を喪うかもしれないと覚悟する出来事があったんです」
古来種との戦いの後だ。リンが眠ったまま目覚めず、待ち続けていた。もしかしたらもう会えないのではないかと、絶望しそうになった。
両手で顔を覆い伏せた晶穂は、でも、と目を上げて微笑む。
「リンは目覚めて……。その時、彼がわたしを好きだと言ってくれたんです。嬉しくて、泣いてしまいそうなくらいで……わたしも好きだって伝えました」
「……好きだって伝えて、幸せ?」
アルシナの問いに、晶穂は頷いた。
「幸せ、です。初恋で、恋なんて落ちたことなかったですから」
「そう……」
私はね、とアルシナは言う。
「竜人だから、晶穂たちと時間の感覚が違う。あなたたちとは違う、長い時間を生きていく。だから……伝えても一緒にはいられない。それをわかっているから、ジュングは私を止めたんだと思うの」
どうせ悲しい思いをするのなら、そこから逃げ出せと言う。全く恥じることではないのだと、ジュングは必死な顔でアルシナに言い聞かせた。
「でもね……引き裂かれそうな程に悲しむとわかっていても、わかっているからこそ、伝えたいと思った。……あなたの言葉を聞いて、改めてそう決めたの」
きっと、生涯で一度しかない恋だから。
アルシナの強い思いが垣間見える言葉に、晶穂は強く頷いた。笑顔で背中を押す。
「ジェイスさんに、届くと良いですね」
「ありがとう、晶穂」
「どうしたんですか、こんなところで」
そろそろ帰らないとな。克臣と共にそんな会話をした直後、ジェイスは席を外した。そして何となく、里の中を見て回る。
きっとこの里は場所を戻しても、美しいのだろうなと漠然と思った。
そんな中、待ち伏せていたらしいアルシナに無理矢理手を引かれて、里の外れにやって来ていた。ここも森の香りに包まれて、安らぎを覚える。
「あ、あのね」
「はい」
「……」
しどろもどろで真っ赤な顔をしているアルシナを、ジェイスは可愛いなと感じていた。そして、そんな自分に内心戸惑う。
(これはもう、認めるしかないんだろうな)
内心苦笑して、腹を決めた。
ぱっと顔を上げ、アルシナが口を開く。
「わ、私っ」
「───もし、あなたのことを好きだと言ったら、どうしますか?」
「……え?」
ぽかんと目を見張るアルシナ。ジェイスは自分の口から転がり出た告白に驚き、手で口を覆った。
自分の顔に熱が集まっているのが、自覚出来る。このままいたら克臣にからかわれる、それはわかっているのだが、どうしようもない。
「あ、いや……」
「わっ、私もあなたが好きだから、その、困ったりはしないというか……」
「え……?」
ジェイスは目を瞬かせ、アルシナをじっと見つめた。
「本当に?」
「ほ、本当にっ」
「……わたしは、
「は……はい」
これ以上ないほどに顔を赤らめ、アルシナは頷く。ただ、それだけだ。
たったそれだけの仕草だが、目が潤み、頬に手をあて冷やそうとする姿は可愛い。ジェイスはいつものように冷静な判断が出来ていないなと自嘲しつつ、そっとアルシナの翡翠色の髪に触れた。
滑らかな髪をすき、アルシナの頬に触れる。びくっと肩を震わせた彼女がジェイスを見上げた。どうしても真っ直ぐに見ることは出来ないのか、若干の上目遣いだ。
「……このまま時間が止まれば良いのに。これ程までにそう思ったことはないですよ、アルシナさん」
ジェイスは苦笑を禁じ得ない。アルシナの熱い頬から手を離し、その手のひらを見つめる。
「わたしたちの時間の流れは、全く違います。だから、わたしは必ずあなたを泣かせる。先に逝くから。……それでも、待っていてくれますか?」
「待つ?」
「そうです。次の生を受け、もう一度あなたに出逢うまで。
ジェイスの言葉は、今だけの約束ではない。彼の来世、そしてアルシナの来世でもう一度出逢うこと、触れ合うこと、そして、結ばれることを誓うものだ。
照れて、目をアルシナから逸らし、ジェイスは頭の後ろをかいた。
「どうやらわたしは、あなた以外を愛せる自信がありません」
「愛って……」
アルシナの心臓は限界寸前だ。ドクンドクンという音が耳の傍で聞こえる。身体中が心臓になってしまったかのようだ。
頭が真っ白になる。このまま夢を見られたら、幸せだろうか。否、とアルシナは自答する。
「……待ってます。あなたが今生を終えても、再び出逢えるのを」
「まあ、もしわたし以上に愛する男が見付かったなら、待つ必要はありませんよ」
ジェイスは肩をすくめ、そう言って笑った。冗談か本気か判断がつかないが、アルシナは
「きっと、待ってる」
アルシナの決意を秘めた瞳に見つめられ、ジェイスは目を見張った。そして、優しい笑みを浮かべた。
「……そう、ですか。なら、これはあなたとの誓いの印です」
「え、ジェ……っ」
急に近付いてきたジェイスに戸惑い、どうしたのかと問おうとしたアルシナ。しかし、その唇は塞がれた。
抱き締められ、熱を感じて、体から力が抜けそうになる。これほど安心出来て、幸せで、心地良い気持ちになったことはない。
アルシナは瞳を閉じ、ジェイスにすがった。彼の胸元の服を握り、その身を委ねる。
「……」
「……」
どれほどの時間、そうして熱を感じていただろうか。
不意に二人の距離は離れ、互いをまじまじと見て、どちらともなく吹き出した。
「ふっ、ふふ」
「ははっ」
笑い転げるでもなく、腹を抱えるわけでもなく、忍び笑うわけでもない。ただ、明るい声を上げる。
笑い疲れ、アルシナはその額をジェイスの胸につけた。ジェイスの手が、彼女の背に回る。
体を預けて微笑むアルシナの耳元に、ジェイスは顔を近付けた。
「……好きだよ、アルシナ」
ジェイスの囁きに、アルシナは花のように微笑んだ。
アルシナと共に里へ戻ったジェイスに気付き、リンが手を振った。
「ああ、来ましたね」
「遅いぞ、ジェイス」
「悪かった。ちょっと大事な用があってから」
普段と変わらない穏やかな笑みを浮かべ、ジェイスはリンの頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「ちょっと、ジェイスさん?」
「いや、ようやくお前の気持ちがわかったから」
「?」
乱された髪を整え、リンは首を傾げた。そして、傍にいたアルシナの様子を見て、何となく結末を察した。晶穂と顔を見合わせ、笑い合う。
「よかったですね。気付けて」
「……そうだね」
いつもとは少し違う雰囲気のジェイスに、克臣も茶々を入れる。
「なんだよ、ジェイス。顔が赤いぞ?」
「ほっとけ」
ジェイスは苦笑し、少し離れたところにいたジュングに目をやった。ジュングもそれに気付き、睨みつけてくる。
想定通りの反応に苦笑いし、ジェイスはアルシナの肩を抱いた。アルシナの顔がカッと赤く染まる。
「ジュング、姉さんは貰うぞ」
「……ああ。その代わり、泣かせたら殺す」
「努力はしよう」
長命なアルシナをジェイスが泣かせないという保証は無に等しいが、ジェイスはあえてそんな言い方をした。そう言わなければ、今すぐに殺されてしまいそうだ。
「おや、揃ったようだね」
彼らのやり取りを何処かで聞いていたのか、姿を消していたニーザが自宅から現れた。その手には、一枚の紙がある。
その紙をリンに手渡し、ニーザは笑いじわを刻んだ。
「それは、この仮里と本来の隠れ里へと至る道を描いた地図。もう一度ここに来る時のために、持っておいて欲しい」
「はい、ありがとうございます」
リンはそれを荷物の中に大切に入れ、仲間たちを振り返った。皆、無事にここにいる。それが何よりだった。
「じゃあ、俺たちはこれで」
「ああ、達者でな」
リンたち一行は、アルシナたちに見送られて港を目指した。
リンたちが見えなくなり、ジュングはアルシナに問いかけた。
「一緒に行かなくてよかったのか?」
「うん。いいの」
アルシナは自宅に戻る足を止めて、ジェイスたちが消えた方角を振り返った。
「私たちには、長い時間があるから」
約束したのだ。手紙や置いて行った水鏡でたくさん話をしようと。里の復興を願うアルシナは、まだジェイスと共にいるわけにはいかない。
だから、離れていても平気なのだ。
そう言って微笑むアルシナに、寂しさはない。あるのは代えがたい愛しさと、堅い覚悟だった。
「……そう」
そこまで言われてしまえば、ジュングに言えることは何もない。
姉弟の様子を見守っていたニーザは、とある言い伝えを思い出し、アルシナを呼んだ。
「アルシナ、あんたに伝えておきたいことがある」
ニーザの言葉を聞き、アルシナは目を見開いた。
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