第341話 ジュングの力

 目指す里の姿が見えてきた。ニーザの自宅の前に、ニーザとアルシナ、そしてジュングの姿が遠目に出来る。彼女らもこちら気付いたらしい。

「みんな!」

「アルシナ、さん」

 必死な顔をしたアルシナが駆けてきて、息を切らせた晶穂の肩に手を添える。

「みんな無事? ……ジェイス、さんは?」

「―――ッ。ジェイスさんは、わたしたちに先に行けって」

「え……」

「ま、待ってアルシナさん!」

 晶穂たちの横をすり抜けて行こうとしたアルシナの手首を、晶穂がつかむ。「手を離して」と叫ぶアルシナは振り解こうとするが、晶穂の手は離れない。

「晶穂……」

「お願いです。待って。絶対、絶対帰って来るから! 大丈夫、だから」

「……」

 泣きそうに歪む顔をしたアルシナに、晶穂は懸命に説得する。すると、息を整えたリンも加勢した。

「俺からもお願いします、アルシナさん。……あの人は、決して約束を違えたりしません」

 アルシナは晶穂とリンを見比べ、更に克臣たちのことも見回した。誰もが頷き、動こうとはしない。そうしてようやく、アルシナは息をついた。

「わかったわ。……ごめんね、なんか焦っちゃって」

「いえ、良いんです。アルシナさん、ジェイスさんのこと想って下さってるんですから」

 その気持ちはわかるつもりです。そう言ってリンを見、彼と照れ笑いを浮かべ合う晶穂の様子に、アルシナははたと固まる。カッと体温が上昇した気がする。

「え。……バレてた、の?」

「むしろ、何でバレてないと思ったんですか」

「え……えぇぇ」

 アルシナの顔が真っ赤に染まる。頬を手のひらで押さえ、テンパっている。その様子が可愛くて可笑しくて、晶穂はくすくすと笑い出した。

 笑われているのに気付いたアルシナが、照れ隠しに眉間にしわを寄せた。

「あ、晶穂~」

「ごめんなさいっ。でも、わたしより大人に見えるアルシナさんが、そんなに可愛らしい反応をするんですもん」

「確かに。こんな顔をするアルシナを見たことはなかったね」

「ニーザさんまで!」

 赤い顔で慌て出すアルシナに微笑み、ニーザは言う。

「ふふ。若者をからかうのは、老人の特権だよ。まあ、アルシナたちにこれはけどもね」

 何でもない風に、老女は爆弾を投下した。

「へ?」

 この言葉を発したのは誰だっただろうか。晶穂かもしれないし、春直か、克臣か。兎も角、誰かが発した。

 目を瞬かせ、春直がおずおずと片手を挙げた。

「あの、アルシナさんって……」

「私? 竜人は長命でね、私は三百二十五歳なんだ」

 てへっと可愛らしく舌を出したアルシナに対し、ニーザとジュング以外の全員が思わず叫んだ。

「え……えええっ!?」

「うっせぇな。ちなみに僕は三百十九歳だ。聞いてただろうが、竜人は長命なんだって」

「ジュング、みんな竜人に会うのは私たちが初めてだったんだから、知らないのも無理はないわ」

 アルシナは苦笑し、改めて竜人について教えてくれた。

 竜人は長命で、年を取るのが極端に遅い。寿命は千年と言われ、三百歳はまだ若造なのだと言う。

義父とうさんですら、四百三十二歳。そして先祖は神通力っていう、特殊な魔力みたいな力があったんだって」

「ヴェルド義父さんのあれが、神通力の残りカスみたいなものだって聞いたことがあるから、大昔は凄まじかったんだろうな」

「あれで残りカス……」

 ジュングの言葉に、唯文が呆然と呟いた。彼とユキ、ジェイスはヴェルドの力を目の前で見て戦ってもいるために、思うところがあるのだろう。

 竜人の特殊性に改めて驚いている一同を見回し、ジュングは姉に向き直った。

「姉さん」

「何?」

「……姉さんは、あの銀の髪の男が好きなのか?」

 直球の問い。ストレートにぶつけられた弟からの質問に、アルシナは目を見張った。そして顔を真っ赤にしてしまう。

「……」

 彼女の反応こそが答えを雄弁に語っていたが、ジュングは何も言わない。言葉で答えが欲しかったからだ。

「わ、私は……」

 スカートの裾を握り締め、アルシナは目線を彷徨わせる。真っ直ぐに弟を見ることが出来ない。彼の真っ直ぐな目が、自分の心を見透かしているように感じるから。

(でも、いつまでも逃げてても、ジュングは待ってるんだろうな)

 目の前で真剣な眼差しをしている弟を、姉が待たせて良いわけがない。

 アルシナは一つ息をつくと、きちんとジュングの目を見つめた。そして、胸の上に手を置いて微笑む。

「好き、よ。あの人が好き。共に里へ行き、義父さんをユキと唯文と共に止めてくれて、今も仲間を逃がすために一人で戦っている。彼の心に惹かれて、あの人がいないとこんなにも不安になる。……それくらいには、ジェイスさんのことが好き」

 顔を真っ赤にして、幸せそうに話すアルシナ。姉の表情と言葉に、ジュングはもう何も言えなかった。俯き、姉の言葉を心の中で反芻する。

「……わかった。姉さんは、ここでみんなと居て」

「ジュング? 何処に行くの!?」

 ジュングはきびすを返し、アルシナの制止を振り切って駆けて行く。それは、今までリンたちが来た道筋だった。

 たった一人で行かせるわけにはいかない。ジュングもまた、カリスの獲物なのだ。リンは彼を守るため、地を蹴った。

「俺、様子を見て来ます。克臣さんも晶穂も、アルシナさんたちを頼みます」

「わかった」

「気を付けてっ」

「リン団長!」

 アルシナに呼び止められ、リンは立ち止まる。振り返ると、彼女は必死だった。

「弟を、ジュングをお願いします」

「――はい」

 リンはジュングを追い、森の中へと入り込んだ。


 物心つく頃には、アルシナが姉だという自覚はあった。彼女が綺麗で、心根の優しく強い姉だとわかっていたから、ジュングは可愛がってくれる彼女が大好きだった。

 その感情を姉弟愛というだけで片付けることは出来るのだが、ジュングはアルシナを姉以上に慕い続けた。百年、二百年と里で人の生き死にを見てきたが、姉と義父だけは何も変わらず安心出来た。

 それなのに、姉は一人の男と出逢ってしまった。

 彼と竜人である自分たちの流れる時間は違う。必ず、姉は悲しむことになる。だから止めたかった、そっちを見ないで欲しかった。大切な姉の泣き顔なんて見たくなかった。

(でも、もう止められないな)

 ジュングはため息をつきたい衝動に駆られながら、必死に足を動かしていた。後ろから自分を追って来るリンの気配を感じていたが、彼が今からすることを邪魔することはあり得ない。放置することにした。


 しばらく駆けて行くと、荒くれ回る魔力の気配が鮮明になっていく。それがジェイスのものであると、直感が告げた。

 カリスの気配はと探れば、ほとんど虫の息だ。かろうじて急所を避けられ続けてはいるが、命が消えるのは時間の問題だろう。

 敵の大将をそこまで追い詰めるほどに、ジェイスの怒りが深いことを知る。それ程怒るくらい、彼もアルシナを想っているのだろうか。

 このまま放っておけば、カリスという自分を閉じ込め利用しようとした男はこの世からいなくなる。それで、この戦いは終わる。

 あくまでも、

 これ以後、全ての争いから竜人を遠ざける手段が、ジュングの中にある。祖先の置き土産だと知っていたから、生まれてこの方誰にも告げなかった。

 しかし、頃合いだろう。

「―――ジェイス!」

「きみは……ジュング?」

 ジェイスの目前に現れたジュングは、カリスの前で両手を広げた。カリスを守る気かと、ジェイスは眉をひそめた。その問いに、ジュングは否定を返す。

「違う。全てを終わらせに来た」

「全てを……?」

 ジェイスに頷き、カリスに向き直る。体中傷だらけで座り込んで掠れる息をする彼は、見下ろすジュングを忌々しげに睨みつけた。

「何を、しに来た。竜人の、末裔。我が力と、なりに来たのか?」

「違う。……お前たち全てから、記憶を消しに来た」

「記憶、を」

 ジュングはカリスの額に人差し指をあて、目を閉じる。彼の指の先端から淡く白い光が溢れ出し、一気に世界を白に染めてしまった。

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