第340話 冷たい鉄鎚

 ──はぁ、はぁ、はぁ

 一気に森を駆け抜けたせいか、全員の息が全く喋れないほどに上がっていた。春直たち年少組も顔を真っ赤にして息を切らしている。

 リンはあごに流れ落ちてきた汗を拭い、全員の無事を確かめた。

「全員、無事、ですか?」

「あぁ。いるぜ」

 リンの問いに答えたのは、殿しんがりを務めていた克臣だ。彼もまた額を手の甲で拭い、後ろを振り返る。

「あいつ、なかなかの気迫だな」

「……はい」

 幾ら遠くへと離れても、感じるジェイスの魔力の気配。それは彼には珍しく、鋭利な刃物を思わせるものだ。相当気が立っているのだろうか。

 ぎゅっと拳を握り締めるリンのその手を、誰かがそっと包み込んだ。驚いて顔を向けると、晶穂が必死な顔をしてそこにいた。

「晶穂」

「リン。ジェイスさんは、絶対大丈夫だよ」

「───わかってる」

「うん。でも、心配だよね」

 わずかに揺れたリンの瞳を見詰め、晶穂は彼の手を取る自分の手に力を込めた。

「ジェイスさんなら、こんな時に何て言うんだろう」

「……きっと、『わたしの無事を祈るなら、まず自分たちが安全なところに行くことだね。そうでないと、わたしも安心出来ないから』。あいつならそう言うだろうな」

「晶穂、克臣さん。……そうですね」

 リンは一度目を閉じ、深呼吸した。それから目を開く。そこにはもう、迷いはない。

「里へ戻りましょう。カリスが放った刺客がいないとも限りませんから」

 再び克臣を殿として、一行は少しスピードを落として里へ向かい走り出した。

 彼らの背を追うように、ジェイスの魔力の波動が広がる。


 ───カンカンカンッ

 あえて不透明にしたナイフが、カリスのこめかみの両側を飛んでいく。それらが後方の木の幹に突き刺さった時、カリスの乗る馬が激しくいなないた。

 執拗しつようなまでの刃物による至近距離の攻撃に、耐えられなくなったのだろう。前足を高く上げて主人をふるい落とし、カリスが止めるのも聞かずに逃げ去ってしまった。

 どさりと無慈悲に落とされたカリスは、自分の体についた土を払い落としながら立ち上がった。そして、忌々しそうに舌打ちをする。

「くそっ」

「残念でしたね。でも、馬に罪はありませんから」

 あくまでも冷たい声色を保ち、ジェイスは手のひらにナイフを浮かべて口元を緩めた。ただし、目は全く笑っていない。

「まだ名乗っていませんでしたね。わたしの名は、ジェイス。あなたの計画全てを頓挫とんざさせるため、ここであなたの心を折ります」

「ジェイス……貴様は、貴様らは何者だ? 何故、私の邪魔をする」

 カリスは腰に佩いた剣の柄に手をかけ、問うた。彼にしてみれば、突然降ってわいた謎の青年たちに全てを邪魔されているのだ。尋ねたくなるのは当然だろう。

「……わたしたちは、自警団です。この度は」

 そこで言葉を切り、ジェイスはカリスを真正面から見やった。背丈は二人共同じくらいだが、より落ち着き払っているのはジェイスの方だ。カリスはせわしなく眼球を動かし、ジェイスの隙を狙っている。

 ジェイスはナイフを一本放った。カンッという高い音がして、カリスを彼の後ろに立っていた木に縫い付ける。

「貴様、離せ」

「名乗ったはずですが? まあ、いいでしょう。あなたの質問に答え終わっていませんから」

 ジェイスはカリスを留めているナイフを抜くと、再び構えて思いきり放った。何故なら、カリスが当然のごとく逃げ出したからだ。

「うわっ」

 ナイフはカリスの足元を乱し、避けようとしたカリスを転倒させる。再び土や泥まみれになったカリスは、飛び起きると改めて剣を抜いてジェイスへと斬りかかった。

 土や泥まみれになることは、彼の自尊心を傷つけるのに効果があったらしい。

 ジェイスはカリスの剣に応じ、ナイフから短剣に持ち換えて応戦する。

 ――キンッキンッ

 一合、一合。打ち合って猛攻を見せるカリスだが、ジェイスが手加減をして受けていることに気付かない。ただジェイスを目の前から排除したい一心のカリスは、剣を乱暴に振り回すばかりだ。

「わたしには、護りたい仲間たちがいるんですが……護りたい人も出来ましてね」

 その護りたい人の名は告げず、ジェイスは短剣をカリスの胸へと向けた。

「貴様、私は官房長官なのだ。……そんな私の手首を痛めさせるなど」

 ジェイスの剣撃はカリスの手から得物を奪い、彼が手首を痛めたとわめくのを無視して組み伏せる。

 カリスは顔面から地面に叩きつけられ、両手を後ろにまとめられた。背中にはジェイスが乗り、彼の動きを封じた。

「ぐあっ」

「申し訳ないが、わたしの怒りの矛先を向けさせて頂きます」

 ジェイスは軽い調子でそう言うと、その声の軽さに比例しない力の強さでカリスの腕をじ上げた。カリスが悲鳴を上げようとした次の瞬間、ジェイスは突然手から力を抜いた。

「うわっ」

 カリスが飛び起きてジェイスと距離を取ろうとし瞬間。ジェイスの気弾が飛び、再びカリスに地面を舐めさせる。口に土でも入ったのか、カリスは咳き込みながらジェイスを睨んだ。

「くっ。ごほっ」

「……」

 ジェイスは特に感慨もなく、自分と同じくらいの大きさのある弓矢を創り出した。弓に矢をつがえてカリスの足を狙う。

 ――カッ

 決して、急所は狙わない。偶然急所に当てることもない。ただただ、カリスの体に刺さる矢が増えていく。

 幾つかの矢はカリスが叩き落したが、それ以外はほぼカリスの体にあたる。しかし傷は極浅く、致命傷にはなり得ない。

 全ての矢にジェイスの魔力が宿り、少しずつ、カリスの自由な体の動きを制限していく。矢が刺さり、体の自由を奪われ、矢自体がカリスの体をしびれさせる。

 ――カッ

「うっ」

 一本がカリスの右肩深くに刺さり、その痛みにカリスは声を上げそうになる。だが足を動かし続けなければ、ジェイスに斬られて死にかねない。

 血をどくどくと流す矢を持つ傷口を抱えたまま、カリスは絶望の淵に立たされようとしていた。

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