第339話 想いの自覚

 リンが猛進を続けるのと同じ時、晶穂はまた別の離れた場所で戦闘を開始していた。

 氷華ひかと名付けた矛を手に兵と刃を交えた晶穂だったが、敵は相手が女と見るや急にこちらを嘗めてかかった。

「わっ」

 力で押し切り、晶穂が倒れたところでニヤリと下品な笑みを浮かべる。

「可愛らしい嬢ちゃんじゃねえか? こんな戦場に何しに来た」

「……竜人の里を護るため、あなたたちを止めに来た」

 若干の怯えを瞳の奥に閉じ込めて、晶穂は毅然きぜんと言い放つ。その強い瞳を不快に思ったのか、その場にいた複数の兵が顔を見合わせて嗤った。

「お前みたいなか弱い嬢に何が出来……っ」

 ―――ドッ

「か弱くても、出来ることはある」

 矛の石突いしづきで男の額を突き昏倒させた晶穂は、ひるんだ敵の真ん中へと突っ込んだ。そして、驚く兵たちに向かって矛を振り回した。

「たあっ!」

 兵の防具に傷が走り、石突で殴られ倒れていく。晶穂の顔には汗が浮かび、息が上がった。

 肩を上下させ、晶穂は五、六人の兵が倒れた真ん中で息をつく。彼女の肩に、優しく触れて行く者があった。

「後は任せて、晶穂」

「―――はい」

 リンと同じ方向へと走り去るジェイスの背中に武運を祈った晶穂は一人、陣を展開した。大切な仲間たちを神子の力で守れるよう、透明な花を咲かせていく。

(何なんだろうな)

 ジェイスは敵陣の中央へと駆けながら、内心首を傾げていた。

 この国に来た直後から、ずっと胸の中にもやもやとした何とも言い難い感情が溜まっている。それが意味するところを理解するのを、頭が拒否している。

 決していだいてはいけないと、警告音が鳴る。抱いたところで報われないと、許された時間が違い過ぎると、何かがため息をつく。

 何度も何度も、心に問う。お前は何を思い続けているのかと。

 ジェイスの投げたナイフが、向かってきた兵の腕に突き刺さる。敵は悲鳴を上げて倒れた。この戦場において、最も敵を傷付けているのはおそらく彼だろう。

 一度だけ、克臣に相談したことがある。ある日寝る前に、一度だけ。

「この国に来てから、何かもやもやするって?」

「そうなんだ。ずっと、はっきりとしない。時々痛みまで発する」

「お前、マジで気付いていないのか?」

「何に?」

 何かに瞠目した克臣の瞳と、きょとんとするジェイスの瞳とが交差する。

 それから、何故か克臣は腹を抱えて笑い始めた。ひーひーと過呼吸でも起こしそうな勢いで。

「おい、流石に失礼だろお前!」

「失礼なもんかよ。ウケるわ、本気で」

 笑い涙まで流し、克臣はしばらく笑い続けた。どうして良いかわからないジェイスは、彼を放置してため息をつく。

「もういい。お前に打ち明けたのが間違いだった」

 くるりと克臣に背を向け、ジェイスは布団を被る。言い過ぎたかと後頭部をかき、克臣は少しだけ真面目な声で親友に問いかけた。

「悪かったよ。でも、本当にわからないのか?」

「……だから、何がだよ」

「ジェイス。その感情を抱く時、誰と共にいる? 誰のことを考えている? 誰のために動いている? ……きっとそれに気付ければ、答えなんてすぐに出るよ」

「誰と?」

「そうだよ。……まあ、お前がそんなに鈍感だとは思わなかったけどな。俺やリンにはすぐに気付いたのに」

「……は? おい、克臣!」

「おやすみ」

 その後、いくら揺すっても克臣は起きなかった。彼は昔から寝付きが良い。一度寝れば何もなければ朝まで起きないのだから、揺すったくらいでは起きるはずもない。

 その夜のことを思い出しながら、ジェイスは考え続けている。でも心が頑張っていて、答えはもやの向こう側だ。

「……」

 ジェイスの足を払おうとした槍を反対に踏み割り、勢いをつけて跳び上がる。あんぐりと口を開けている敵兵の顔面を蹴り倒すと、ジェイスは再び地を駆けた。

 誰のことを考えて、この場所にいるのだろうか。誰のためにこんな戦場にいるのだろうか。

「───あ」

 ジェイスの黄金の目が見開かれる。たった一人の姿が浮かんだのだ。唐突に。

 翡翠色の髪を風になびかせ、同じく翡翠のように光る瞳で故郷を救いたいと願った女性。恐ろしいであろうはずの燃える里に自ら足を踏み入れ、義父の無事を乞うた人。弟の無事に安堵し、涙を流して笑った……アルシナ。

 ぶわっとジェイスの顔に体に、熱が広がる。心臓が跳ね、ドクンと音をたてる。足を止めることはしなかったが、思わず口を手で押さえた。

「嘘だろ。わたしは……」

「ジェイスさんっ!」

「リン!?」

 いつの間にか、ど真中に到達していたらしい。ちらりと後ろを振り替えれば、自分が通った道に倒れる敵兵が何人も見えた。

 どうやら無意識のうちに、倒して進んでいたらしい。

「ジェイスさん!」

「! お前かっ」

 ザザッと滑る足を止め、ジェイスは馬の前に立つ。見上げれば、こちらを憎々しげに睨み付けてくる壮年の男の姿がある。

 リンもジェイスの斜め後ろに立ち、ジェイスに聞こえるくらいの音量で呟いた。

「こいつが、この軍の大将のようです」

「……わかった」

「な、何なんだお前たちは?!」

 名も知らぬ男は、わなわなと身を震わせて二人に指を突き付ける。周囲の彼を守るべき兵たちはといえば、ユキたちに倒されて伸びきっていた。

「突然現れて竜人の里を氷で囲み、竜人を奪い、果ては今、私の目の前に立っている。……何なのだ、お前たちは!」

 かんしゃくを起こした子供のように、わめき散らす少年のように、男は怒り狂っていた。

 そんな男の様子を見ていたジェイスは、不気味なほど静かな声で呟く。

「……そうか、全てはお前の差し金か」

「ジェイス、さん……?」

 ジェイスを昔から知っているリンでさえ、聞いたことのない静かな、冷徹な声。ましてやジェイスを知らない男にとっては、恐怖を覚えるのに十分だったらしい。

「な……何だ」

 わずかな怯えと自尊心とを両立させた男の顔を、ジェイスは見詰めた。

「お前、名は?」

「か、カリス」

「では、カリス。───死する方がましだと思い知る準備は良いか?」

 そう言うが早いか、ジェイスは跳躍した。驚き固まるカリスの面前、正しくは馬の後頭部に足を置く。

 置いたとはいえ、馬に負担はかけていない。白銀の翼を広げ、浮いているのだから。

「ジェイスさん……」

「ごめん、リン」

 穏やかとも困っているとも取れる笑みを浮かべ、ジェイスはリンに頼んだ。

「ユキに、大砲を頼むと伝えてくれ。そして、出来る限り速く、遠くへ逃げろ」

「わ、わかりました。……待ってます」

「帰るよ、きみたちのもとに」

 ジェイスの返答に頷き、リンはユキを呼ぶ。ユキは瞬時に呼ばれた意味を理解し、近くにあった砲台に触れた。その辺りにいた兵は、軒並み倒している。

「……凍れ」

 パキパキッ。砲台は氷に包まれ、使用不可能な長物と化した。

「みんな、行くぞ!」

 リンの号令を受け、ユキを始めとした六人が一斉に離脱する。駆け出す直前、晶穂はちらりとジェイスを見た。しかし、彼の首肯に応じてその場から消える。

 仲間全員がいなくなり、立っているのはジェイスとカリスのみとなる。

 ジェイスは空中にナイフで円を描き、カリスを冷たく睨み付けた。

「悪いが、本気で行かせてもらう」

「─────ッ!!?」

 カリスの断末魔とも取れる悲鳴は、森のざわめきにかき消された。

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