第337話 火の手
時は少し遡り、晶穂はニーザの手伝いを終えて寝室に彼女を送った。
「晶穂ちゃん、あんたはまだ寝ないのかい?」
「はい。もう少ししたら、寝かせてもらいます。目が冴えているので」
欠伸を噛み殺していたニーザは、晶穂のその言葉を聞いてにやりと笑った。何か勘違いをしたらしい。
「ニーザさん……?」
「いや、いいんだよ。折角ラブラブなのに、この国に来てから二人っきりになることなんてなかっただろうからね。あまり大きな声や音をさせなければ、居間をどう使ってくれても構わないから」
「……ニーザさん!? 何かおかしいこと言っていませんか?」
うんうんと頷くばかりで晶穂の反論を聞き流し、ニーザは楽しげに今の隣にある寝室へと消えてしまった。
残された晶穂は熱くなった顔を両手で冷やしつつ、ソファーに体を沈めた。そしてニーザの言葉を思い返してしまい、顔がまた赤くなった。両手で顔を覆い、呟く。
「ニーザさん、何を勘違いしてるんだろ……」
「晶穂?」
「!」
誰も来ないと思っていた居間に、突然やって来た誰か。晶穂が顔を上げると、そこにはアルシナが立っている。彼女は少し気遣わしげな顔で、晶穂を見下ろしていた。
「どうかした? 顔が赤いけど、熱でもあるの?」
「へ!? あ、いや……大丈夫です」
「そう? 変な子ね」
ふふっと楽しげに微笑み、アルシナは晶穂の隣に腰を下ろした。彼女の顔に何か思い悩んでいる影を感じ、晶穂は尋ねる。
「アルシナさん、何か悩みでもあるんですか?」
「えっ?」
どうしてわかったのか。そう反対に尋ね返され、晶穂は目を細めた。
「だって、少し泣きそうな顔してます。里に戻って来て弟さんも帰って来ました。ヴェルドさんはまだ不安ですけど、きっとそれじゃないですよね」
「察しがいいわね、晶穂」
降参。そう言って両手を挙げたアルシナは、胸の前で両手を自分の手を握り締めた。かあっとアルシナの顔が赤く染まっていく。
「私、ね。ジェイスさんのこと……」
その時だった。爆発音が鳴り響いたのは。
「何!?」
動揺するアルシナに、晶穂は直感で指示を与えた。
「アルシナさんはニーザさんとヴェルドさんを頼みます!」
「頼みますって、晶穂は!?」
「わたしは、みんなのところに!」
「晶穂!」
アルシナの叫びを背に聞きながら、晶穂は玄関へ向けて一心に走った。リンたちなら必ず外に行く、そう信じていたから。
思わぬ爆発音にジュングが驚きのあまり硬直していると、傍で影が動いた。
「リン、克臣、起きてるか!?」
影の正体であるジェイスは声を張り上げ、仲間の名を呼ぶ。それに応じるように、部屋の戸が勢いよく開いた。
「ジェイスさん、今のは!」
「何か攻めてきたか?」
「リン、克臣。外に出よう! ジュングはアルシナさんたちを頼む!」
「あ、ああ……」
返事をするのがやっとのジュングを置いて、三人が外へと駆けて行く。彼らを見送り、ジュングはようやく我に返った。
「そうだ、姉さん!」
ジュングが身を翻したのと同時刻、ユキたち年少組も部屋を飛び出していた。廊下で二組は合流する。
「兄さん!」
「ユキ、みんな無事か?」
リンは開口一番、そう尋ねた。四人はそれぞれに頷き、春直が窓の外を指す。
「さっき外を見ましたけど、火の手が見えました。何かを焦がすにおいもします」
「おれも、さっきから鼻がきついです。誰かが火を放ったとしか考えられません」
鼻をつまむのは唯文だ。犬人や猫人、狼人といった獣人には、火事の音もにおいも辛いのだろう。
「一先ず、ここを出るぞ。現場に行こう」
リンの号令でニーザ宅の外に出る。そこには先に出ていた晶穂の姿があった。
「晶穂、ニーザさんは?」
「アルシナさんに任せてきた。……それより、あれ見て」
晶穂が指し示す方向に、旗が立っている。それは新月で見えなかったが、日が大きくなるにつれて炎に照らされ見えるようになってきた。その旗に描かれた紋章が、リンたちをぎょっとさせる。
「嘘だろ、こんなところにまで……」
竜が剣を持つデザインの紋章。それは、竜化国の国章だった。
「最早、隠すこともしないのかよ」
「議会の軍を倒し、仮里での攻防にも負けた。相手方には余程余裕がないんだろうね……」
克臣が吐き捨て、ジェイスが冷静に考察する。
「このままじゃ、この仮里まで壊されちゃうよ!」
「兄さん……」
ユーギが叫び、ユキがリンの服の裾を引いた。
今再び、ドンッと爆発音が響く。地鳴りさえも引き起こすそれは、里の人々の不安を煽っていく。いつの間にか外に出て来た人々が、不安げに火の手を見つめている。
リンは議会でのことを思い出し、奥歯を噛み締めた。
「……あいつら、まだ懲りないのか」
「リン、行こう。わたしたちはまだ、護り切れていないんだよ」
「そうだな、晶穂」
リンと晶穂は頷き合い、同時に駆け出した。その背を、仲間たちも真っ直ぐに追う。
炎の出元は里の外れだ。こんな深夜には誰もいない場所だが、近付く毎にきな臭さが強くなる。
火のにおい、悪意のにおい、殺気のにおい。
リンはペンダントから剣を呼び出し、握る手に力を込めた。
リンたちが走り去った後、爆音に叩き起こされたニーザとアルシナ、そしてジュングが遅れて家の外に出て来た。彼らの姿を見た里の人々が、彼らのもとに集まってくる。
不安げな顔をしていた人々は、アルシナの隣にいる青年を見て、驚きと喜びの声を上げた。
「ニーザさま。……って、ジュング! お前戻って来られたのか」
「わぁ! お帰りジュング。みんな心配してたのよ」
「あ、ああ。心配かけて申し訳ない……」
突然自分に矛先が向き、ジュングが狼狽する。弟の様子を楽しげに見守っていたアルシナだったが、二度目の爆音を聞き、流石に青ざめる。
「ニーザさん、ジェイスさんたちは……?」
「皆、あの火の元へと向かったようじゃな。心配か?」
「ええ。だって……」
わずかに頬を染めて下を向くアルシナに、ニーザは優しい眼差しを向けた。
「戦う力のないわしらに出来るのは、彼らが安心して戻って来られる場所を守ることだけ。……皆も、心せよ。力に屈しても、心まで折ってはいかんぞ!」
――応!
不安げに揺れていた里人たちの顔に、生気が戻る。
ニーザの手腕に舌を巻きながら、ジュングはリンたちが行ったであろうその先を睨みつけていた。
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