第333話 脱出の条件

 ジュングの思いがけない言葉に、その場が凍り付く。最速で気を取り直した克臣が、ジュングに詰め寄った。

「行けない? どういう意味だ」

「そのままだ。……お前たちは、この国がどういう体制で動いているか知ってるか?」

「体制? 政府があって、それを中心に政治が動いているんだろう。違うのか」

 克臣の答えに、それは模範解答だとジュングは断じた。

「この国のトップは首相だ。だが現首相タオジは、官房長官カリスの操り人形に等しい。全ての決定権はこいつにあり、否は許されない」

 カリスは老いて思考の弱まったタオジを立てることで、自らの利を最大限に享受している。今や、彼を抑えることの出来る人物など、与党にも野党にも存在しないと思われているのだ。

「そのカリスが目をつけたのが、伝説の存在だった竜人だ。どうやったのかは知らないが、数年前には隠れ里を見つけ出して、軍まで出してきて里を制圧した。義父さんは最後まで抵抗して里のみんなを逃がしたらしいけど、僕は運悪く捕まって、ここに放り込まれたんだ」

 両手の拳を白くなるほど握り、ジュングは悔しげに奥歯を噛み締める。そんな彼に、晶穂が遠慮がちに口を開いた。

「だからって、ここから出ないなんて……」

「……一度だけ、カリスが護衛と共にここに来たことがある。奴は、僕を見て言った。『この国を再び世界の覇権を掴む国にするために、お前の竜人としての力を使わせてもらう。もしも逃げ出せば、姉や義父の命はない。――覚えておけ』とな」

 だから、僕はここを出るわけにはいかない。そう言って再び膝を抱えてしまったジュングを見て、リンが拳を格子戸に叩きつける。

「ふざけるな。『世界の覇権を掴む』ただそのために……。人の命を、思いを何だと思っているんだ!」

「何とも思っちゃいないんだろ? 自分の野望のために利用出来そうだから利用する、そんなところだろうな」

 克臣がリンの肩に手を置き、顔をしかめてそう言った。一見冷静に発言しているように見える克臣だが、こめかみには青筋が浮いている。相当怒っているのだと、ユーギは肩をすくめるしかない。

「で、でもアルシナさんはジェイスさんたちと一緒です。そこに何が来たって、ジェイスさんが必ず護り抜いてくれると思うんですけど……」

「春直の言う通りだよ! 万に一つも、殺されるなんてことはない!」

 春直とユーギが口々に言う。それに、と克臣が一押しした。

「多分だが、ジェイスはあのアルシナって子を気に入ってる。本人に自覚はないんだろうが、絶対に死なせはしないよ」

「……気に入ってる?」

 ぴくり、とジュングが反応を示す。それに気付いた克臣があともう一押しかと言葉を続けた。

「ああ。何だ、ジュングはアルシナのことが好きなんだろ? 良いのか? ここにいたら大好きな姉がどこの馬の骨ともわからん奴に盗られちまうぞ!」

「……」

 黙ってしまったジュングをかわいそうに思い、晶穂は克臣に苦言を呈した。

「克臣さん、そんな言い方……」

「まあ、見てなって」

 晶穂はパチンと片目を瞑って見せた克臣に更に言い募ろうとしたが、無言で首を横に振るリンに止められてしまう。

「リン……」

「多分、ただ煽ってるだけだから」

「でも」

「ほら、良いのか? 姉さんが取られても……」

 ―――ガシッ

 格子戸に、指がかかった。その手の主の目は、確実に据わっている。これは、怒り心頭だ。拘束され続けて衰えているはずの指に力が入り、わずかに格子を歪めた。

 ジュングの口から、小さな呟きが漏れる。少し恥ずかしげなのは、言うのに勇気のいる言葉だったからかもしれない。

「連れて行ってくれ」

 その一言で、場が変わる。リンは次にすべきことを一つずつ頭の中に描き出していた。

「わかった。少し、下がってくれ」

 ジュングの頼みを即了承し、彼を牢屋の奥へと下がらせる。本当なら、見張りの控え室でも探し出して鍵を持って来るべきだろう。しかし今はそんな時間はない。

 リンは足に自信のあるユーギと克臣を呼んだ。三人で格子戸に思いきり蹴りを入れ、蹴り開けようという算段である。

「ユーギ、克臣さん。行きますよ」

「うん!」

「ああ」

「三、二、一―――!」

 ―――ドカッ……バタン

 三人分の蹴りで、きしんだ扉はあっけなく弾け飛んだ。蝶番ちょうつがいが外れ、ジュングの足下に転がっていく。それをおもむろに拾ったジュングは、初めて少し笑った。

「すっげ」

 不器用な笑みは、彼に残った幼さを覗かせる。リンはふっと微笑んだ。

「何だ、お前笑えるのか」

「―――ッ」

 笑ったことを指摘されて恥じ入るジュングだったが、すぐに気持ちを切り替えたらしくリンたちに頭を下げた。

「助けて頂き、ありがとうございます。それから……里まで、連れて行ってください」

 真摯なジュングの態度に、リンたちは顔を見合わせて笑った。克臣が親指を立てる。

「大丈夫だ、任せろ」

「うん、一緒に行こう!」

「絶対、お姉さんに会わせますから」

「アルシナさんとは、きみを必ず連れ帰ると約束した。だから、その約束は絶対にたがえない」

「わたしたちと、一緒に帰りましょう」

 それぞれが笑みを浮かべ、ジュングに手を差し伸べる。それが嬉しくて照れくさくて、ジュングは再び顔を伏せた。


 再び地上へと出て来たリンたちだったが、既に閉館時間を過ぎて暗くなっていた。しかし、暗闇に慣れ過ぎたジュングには丁度いい。

 最初に克臣が廊下に出て、誰もいないことを確かめた。それから順に地上へと出る。

「ジュング、何処かで突然明るくなるかもしれない。これで目隠ししておいてくれ」

 そう言って、リンはジュングに黒い布を手渡した。受け取ったジュングだが、それをつけることを躊躇する。

「でも、前が見えなきゃ……」

「それは大丈夫。ぼくたちが手を引くから!」

 ユーギと春直がジュングの左右に立ち、彼の手を握った。幸い議会の建物内にはほとんど段差がない。無駄なものも置かれていないため、外に出るまでは大丈夫だろう。

 ジュングは少し安堵した表情で目隠しをつけ、その手を春直とユーギが握る。リンは晶穂と克臣と頷き合い、暗い中を外へ向かって歩き出した。




 同じ頃、議会の前には数十人の軍人がいた。彼らは、議会を包囲している。

 ジェイスに脅された将校は、無線で誰かと連絡を取っていた。無線の向こう側の誰かの指示に首肯し、全員に指示を飛ばす。

「これより、目標が出て来るはずだ。全員、捕縛の用意をしろ!」

 ―――ザッ

 国民が全て寝静まった深夜、何かが始まろうとしていた。

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