第332話 格子戸の向こう

 ユーギと春直は後退りかけ、思い留まる。カビ臭い中ですることでもないが、深呼吸して気持ちを落ち着けた。

 震える春直の代わりに、ユーギが誰何する。

「そこにいるの、誰?」

「お前たちこそ、何者だ?」

 暗闇で光っていると思ったのは、人の双眸だった。たった一つ堅牢な格子戸の向こうの壁際に、一人の男がうずくまっている。青年、と言っても過言ではない。

 薄汚れた髪は伸び、灰色にくすんで本来の色がわからない。それでもわずかに覗くのは、綺麗な緑色。

 ユーギたちを睨み付ける瞳は翡翠の色をして、怯えと諦念と失望に彩られていた。

「ここは、子どもが来て良い場所じゃない。さっさと親元へ帰れ」

 しわがれた声に張りはないが、喉さえ潤せばアルトの声色をしているのだろう。

 ユーギが「子どもって言うな」と文句を言おうとした途端、青年が咳き込んだ。何度も繰り返されるそれは苦しげで、ユーギの勢いが削がれてしまう。

「大丈夫、ですか?」

 ユーギな影に隠れていた春直は、おずおずと格子戸の前に膝をついて問う。どうにかして手を伸ばそうとしたが、青年に睨み付けられて畏縮する。

「触るな」

「ご、ごめんなさい」

「おい、そんな言い方ないだろ」

 ユーギが春直をかばって食って掛かるが、青年に反省の色はない。それどころか、暗い瞳で絶望を吐くだけだ。

「どうせ僕は、生物兵器として使われる未来しかない。……けほっ。が無事なら、それで良い」

「ちょっと待って。……もしかして、あなたはジュングさん?」

 春直の問いに、青年は目を見張った。それまで伏せ気味だった顔を上げ、初めてユーギたちと目を合わせる。

「待て。何故僕の名を知っている?」

「……ぼくらは、あなたを探しに来たんです。ジュングさん」

「そう。あなたのお姉さん、アルシナさんに頼まれてね!」

「……アルシナ、姉さん……」

 ジュングの目が大きく開き、翡翠色の瞳が輝く。彼はそれまでの無気力が嘘のように立ち上がり、格子越しに二人に尋ねた。

「教えてくれ。姉さんは無事か? 義父さん……ヴェルド義父さんは?」

「え? えっと、アルシナさんは元気だよ。今、ぼくらの仲間と共に隠れ里に行ってるはず。そのヴェルドさんって人を助けるために」

 突然詰め寄られ、ユーギは混乱しつつ応じる。するとジュングは「そうか」と言ったきり、黙りこくってしまった。

 ユーギと春直は顔を見合わせ、一先ずはジュングをここから出そうと格子戸を揺らした。

 しかしガチャンガチャンとびくともせず、鍵がないと開かないことを悟る。狼人の脚力で蹴り破ろうかとしたが、ジュングに止められた。

「やめとけ。これは鉄製だから、足を痛めるぞ」

「だからって、やめることは……」

「ユーギ、あれ!」

 春直に袖を引かれ、ユーギは自分たちが来た道に目を凝らした。すると、小さな明かりが見えるではないか。

 二人は顔を見合わせ、同時に叫んだ。

「「おーい!!」」

「バカ! 見張りだったらどう……?」

 無邪気な二人を止めようとしたジュングは、明かりの主たちを見て固まった。どう見ても、日に一度来るか来ないかの見張りではなかったからである。

 それは、リンと晶穂、克臣の三人組だった。ユーギと春直は、リンの魔力の波動を覚えているから、躊躇なく手を振ることが出来たのである。

 最初に二人に気付いたのは、克臣だ。指差して、リンの背を叩く。

「おい、リン。あれ見てみろ!」

「見えてますよ、克臣さん。全く、心配かけて……」

 嘆息するリンに、晶穂はくすくすと笑いながら「でも」と言った。

「無事でよかったね、二人とも」

「そうだな」

 晶穂に同意し、リンもユーギたちに手を挙げて応じる。するとユーギたちは、何かを指差し始めた。

「何してるんだろう?」

「近付かないとわからないが……」

 リンは魔力の光をもう一つ創り、ユーギたちのもとへと飛ばす。それは淡く、暗闇に慣れた目にも優しいオレンジの光の玉だった。

 オレンジの光によって、ユーギと春直に外傷はないことが見てとれる。更に玉を壁際へと移動させると、格子戸があり、その奥に何かがいることがわかった。

 どうやら二人は、その誰かを指差しているらしい。リンたち三人は、少しずつでも歩くスピードを速めた。

 ユーギと春直は、リンたちがこちらへ真っ直ぐ向かってくるのがわかり、表情を明るくした。獣人のしっぽを隠すことも忘れ、パタパタと左右に動かす。

「ジュングさん、もう大丈夫です!」

「はい。団長たちが来てくれたから、もう心配は要りません!」

「……僕はまだ、お前たちを信頼したわけじゃないからな」

 そんなジュングの抵抗をなかったことにして、ユーギと春直は三人を迎えた。

「三人とも会えてよかっ……」

「何故待っていなかった?」

「……っ」

「それは……」

 リンに静かな口調で問われ、ユーギと春直はビクリと反応した。そして、今更ながらに自分たちが勝手に動いたことに気付く。

「ごめんなさい……」

「勝手に動いて、ごめんなさい」

 体を小さくして頭を下げる二人の頭を、リンはよしよしと撫でてやった。少しだけ、声のトーンを上げる。

「俺も明言しなかったかもしれない。だけど、お前たちに何かあってからじゃ遅いんだ。……最初に言っただろう? 誰一人欠けることなくって」

「……うん」

「はい」

「わかれば宜しい。……無事でよかった」

 素直に返事をしたユーギと春直を許し、リンは二人に顔を上げさせた。

 少し涙目になってしまったユーギと春直に、晶穂が耳打ちする。

「リンはね、本当に二人のことを心配してたんだよ。だから、口調も強くなってるだけだから」

「もう、勝手なことはしないよ」

「ぼくも」

「うん。ありがとう」

 晶穂は微笑み、立ち上がる。それから格子戸の奥を見ているリンの傍に寄り、どうしたのかと尋ねた。

 リンは何でもないと首を横に振り、格子戸の奥に座る青年に問いかけた。

「きみは、ジュングか?」

「ああ。あんたはダンチョウと言うんだろ?」

「俺はリン。その通り、銀の華という自警団の団長をしているんだ。……ジュング、お姉さんが待ってる。必ずそこから出すから、一緒に里へ戻ろう」

 リンの言葉を受け、ジュングはゆっくりと立ち上がった。そしてリンから順に晶穂と克臣、春直とユーギを見つめ、息を吐く。

「僕がここから出れば、姉さんが殺される。だから、行けない」

 それは、明確な拒否だった。

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