第329話 見学

 リンたち五人が受付前に立つと、受付嬢がにこりと営業スマイルを浮かべた。

「こんにちは。議会見学をご希望ですか?」

「はい。五人なのですが、お願い出来ますか?」

 克臣が受付嬢に尋ねると、彼女は一行を軽く確認して手持ちの資料に目を落とした。そこには案内人名簿があり、今手が空いている案内人を探しているのだろう。

「勿論でございます。少々お待ちください」

 受付嬢と克臣が手続きを進めている間、リンは何となく議会の建物を見上げていた。お堅い議論よりも芸術作品が似合いそうな建物である。この人工的な美しさの下に、古き時代の遺産が残されているのだ。

 ぼおっとしていたリンは、頭に何かが乗って初めて克臣の呼びかけに気が付いた。頭に手をやると、1枚のチケットが手の上に落ちてきた。

「おい、リン。行くぞ」

「あ、はい」

 向かう先に、案内役を務めるという初老の男性が待っていた。見たところ、武器等は持ち合わせていない。油断する必要はないが、ちょっとした安心材料だろう。

「今回、案内役を務めさせて頂きます。ゼファルと申します。今回は他のお客さまも館内におられますので、道順が前後することもありますが、ご了承ください」

 きっちりとしたスーツを着こなす白髪が目立ち始めた柔和な男性、それがゼファルの印象だ。

「こちらこそ、よろしくお願いします。ゼファルさん」

 にこやかに応対する克臣と彼の連れを見比べ、ゼファルは相好を崩した。

「見たところ、ご家族……ではないようですね。親戚の世話でも頼まれましたかな?」

「あ、わかります? そうなんですよ。女性たちはどこかで観光を楽しんでいるはずなんですがね、俺は子守を頼まれました」

 あははともっともらしい笑みを浮かべる克臣だが、勿論のこと、真っ赤な嘘である。ゼファルが都合よく勘違いしてくれたため、それに乗っかったに過ぎない。

 春直とユーギもあからさまに顔を見合わせず、目だけで今の状況を理解し合った。どうやら自分たちは、克臣の親戚の子どもらしい、と。

 克臣の軽い調子にすっかり騙され、ゼファルは柔らかく微笑んだ。

「ふふっ、それだけ頼りになるということでしょう。―――話し込んでもいけませんね。早速ご案内します」

「お願いします」

 五人はゼファルに導かれ、入り口の装飾から一つずつ説明を受けていく。建築された当時最高のデザイナーと呼ばれた人や、装飾具の職人だった高名な人の名を交え、ゼファルの説明はこちらの心を沸き立たせる。

「さあ、ここからは開会期間中に議員たちがすれ違う建物のホールですよ」

「……綺麗」

 晶穂が思わず口にした通り、美しいシャンデリアが照らす室内は、木の質感を大切にしてデザインされた落ち着きのある空間だった。余計な装飾はなく、中央に初代首相のものだという胸像が置かれているくらいのものである。

 ふと他の話し声を耳にして周囲を見回すと、数組の見学者が見えた。彼らもリンたちと同じように専門の案内役を立てて、説明に聞き入っている。

「お嬢さんは、装飾などは好きですか?」

「え? あ、はい。綺麗なものは好きですよ」

 急に話を振られ、晶穂は慌てつつも返事をする。それならば、とゼファルは突き当たりの壁に彫られたレリーフを指差した。

「これは、大昔にこの国に持ち込まれ、いつしか失われたと伝わる植物をかたどったものです。木の色しかありませんからわかりませんが、きっとこの花は美しかったと思いますよ」

「……ええ、そうですね」

 細かな装飾がなされた幾つかのレリーフが並んでいる。そのどれもが同じ題材をテーマとしていることは、火を見るよりも明らかだ。竜胆である。

 ゼファルがこの建物の歴史について説明し始めた時、レリーフを見ていた晶穂の顔にかかる影がある。顔を上げると、リンが晶穂と同様に竜胆のレリーフを覗き込んでいた。

「竜胆は、この世界にはない。……昔、向こうから来た誰かが伝えたんだろうな」

「うん。竜の名を持つ花だから、この国の人に教えたかったんだろうね」

「そうだな」

 レリーフに触れ、ふと表情を柔らかくするリン。その横顔に、晶穂は思わず見惚れてしまった。

 こんな時でなければ、綺麗なものも楽しいものもたくさん彼と共に見に行きたい。そんな願望が脳裏をよぎる。動物でも植物でも、何でも良いのだ。

「お前ら、次行くぞ」

「あ、はい!」

「はい、行きます」

 克臣に呼ばれ、リンと晶穂は急いで彼らの後を追う。次に向かうのは、地下牢への階段がある議会下院の方面だ。


「こちらは、議会下院。法案はまずこちらで審議され、次に向かう上院で結論が出されます。先程よりも少し、落ち着いた雰囲気があるでしょう?」

 ゼファルの言う通り、シャンデリアのあったホールとは違う雰囲気がある。少し照明を落としたオレンジ色の空間に伸びる廊下に、一定の間隔でドアが並んでいる。

 ドアにはそれぞれ、「○○対策本部」や「○○委員会」の文字が白い板で掲げられている。幾つかの十字路があり、それらは巡り巡って最初のホールにつながっている。

 そして廊下の最奥に、議会会場があるのだ。丁度、議会会場の見学を終えたらしい一団とすれ違った。

「この先が、議会会場ですか?」

 ユーギが無邪気な様子で尋ねる。するとゼファルは孫に向けるような目で、頷いて答えてくれた。

「ええ、そうです。……その前に、この建物の昔の姿を少しお話しましょうか」

 ふと声色を変え、ゼファルは下院の扉を開く直前に立ち止まった。彼が立ち止まったその傍には、ロープで立ち入り禁止を示している階段の前だ。

「ここは大昔、この場所に収容所があった頃の名残です。二度と間違いを犯さぬよう、残されました」

 収容所は、政治犯が主に入れられた。そのほとんどは冤罪で、時の支配者に反旗を翻した者だったというだけの話だという。

 ゼファルの説明では、もう使われていない地下牢が並んでいるということだ。しかし、ここが今も使われているとは知る由もないのだろう。

 少し、リンの中に罪悪感が湧いた。しかし彼を振り切らなければ、ジュングを助け出せないこともまた、事実。

「上院を見に行く前に、休憩しましょうか」

 ゼファルの提案を受け、リンたちはこの休憩中に計画を実行に移すことに決めた。


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