第324話 二人のヴェルド

 弓から燃え上がる矢が射られ、アルシナの胸を貫くかと思われた。

「……あんた、本当にアルシナの義父ちちおやか?」

「ジェイス、さん」

 涙でぐちゃぐちゃのアルシナの頭を抱き寄せ、ジェイスの顔に険が宿る。アルシナへ向かった矢は、ジェイスの気の壁が受け止めたのだ。

「義理とはいえ、娘があんたに会いたがってるんだ。それ相当の迎え方があろうもんじゃないのか?」

「くっ……くく」

 ヴェルドは忍び笑っていたが、いつしか腹を抱えて笑い始めた。ユキと唯文は顔を見合わせ、気味悪そうにヴェルドを見つめている。

 やがて「ひーひー」と過呼吸を起こしそうになりながら、ヴェルドはジェイスたちを見下ろした。目のふちに溜まった涙を拭い、眉を片方上げた。

「わしは、ヴェルドだが……お前が望むそののだよ、アルシナ」

「……義父とうさんでは、ない?」

「そう。……可哀そうになぁ、お前たち姉弟は」

 涙が止まったアルシナに近付き、ヴェルドは手を伸ばす。しかし、その手をジェイスが拒む。アルシナを守るようにヴェルドに背を向け、ジェイスは魔法陣を展開した。複数の文字を陣に並べ、高度な魔力を発する。その陣が二つ重なっていることを知っているのは、書いた本人だけだ。

「……アルシナさん、離れていてください」

「えっ?」

 待って。アルシナの唇がそう動いた気がするが、もうわからない。ジェイスは彼女をニーザの元へと強制的に移動させたのだ。以前、扉が存在した頃に使っていた陣を応用したものである。

 扉を開いたままで、ジェイスは成り行きを見守るしか出来ないユキと唯文を顧みた。

「二人はどうする?」

「どうって……」

「ニーザさんの元に戻るなら、今なら送ってあげられる。でもこの機を逃したら……」

「おれは残りますよ、ジェイスさん」

 ジェイスの言葉を遮り、唯文は言い切った。

「おれは、銀の華の一員です。今、この里を救うために出来ることを全てしたいんです。おれが出来ることなら」

「それなら、ぼくだって同じです。ここから撤退するのも一つの選択で、恥じるものではないです。だけど、ぼくはジェイスさんと唯文兄と一緒にヴェルドさんを救い、その後には兄さんたちを加勢しに行く」

「わかった」

 陣を一つ閉じ、ジェイスは隠されていたもう一つを『ヴェルド』の真っ正面に展開した。

 八重の花と文字が描かれた陣は、銀色に輝く。

 ジェイスは戦いの場でのみ見せる冷酷な表情で、『ヴェルド』を見据えた。

「どうしてだろうな。お前を見ていると、気分が悪いんだ。……ヴェルドさんの皮を被っているだけなのだろう?」

「えっ」

「まさか、そんな」

 ユキと唯文の視線が、『ヴェルド』へと向く。彼は二人の目を受け止め、天を仰いだ。右手を顔にあて、くっくと嗤う。

「参ったな。……どうして、ヴェルドではないと気が付いた?」

「わたしたちは、ヴェルドさん本人を知らない。だからその姿で判断することは不可能だ。……しかし、わたしたちは『声』を聞いた」

「声?」

 何のことかわからない、そんな気持ちが透けて見えるような顔をした男に、ジェイスは教えてやった。

「『ここから去れ、さもなければ殺してしまう』。わずかに魔力を帯びた声は、わたしたちをここから遠ざけようとした。それに応じずここにいることによって、お前と邂逅することとなったんだ」

 つまり、とジェイスは『ヴェルド』を指差した。ユキと唯文も何かを察したのか、改めて戦闘態勢を取る。

 二人の頼れる仲間を背後に感じながら、ジェイスは言い放つ。

「あなたは、アルシナさんが探しているヴェルドさんではない。……おそらく、ヴェルドさんはお前の『うつわ』として選ばれてしまったんだろう」

 本物のヴェルドは、アルシナの言う通りの人物であるはずだ。アルシナとジュングを心から愛して共に暮らし、世話を焼いてきた。

 どの段階で入れ替わったのかは、全く不明だ。しかしジェイスから見れば、目の前のヴェルドは他人の世話を喜んで焼くような人格にない。

 ただ殺すこと、戦うことのみを欲しているように見える。

 現に、『ヴェルド』は再び宙に浮いた炎の弓矢を三本引き絞り、ジェイスたち三人を狙っている。

 ジェイスの言葉を聞き、『ヴェルド』は感心したのか「ほうっ」と感嘆の声を上げた。少し前屈みになり、ジェイスと目線を合わせる。

「お前、名は?」

「……ジェイス」

「ジェイス、お前の推測は大きくは間違っていないよ。だが、完全な正解でもない」

 にやつきながら、『ヴェルド』は三本の矢を射た。ジェイスとユキ、唯文はバックステップを駆使して躱す。彼らの身のこなしにまた感心したヴェルドは、楽しげに言った。

。しかし、こいつの中に長い間眠らされていた、荒ぶる竜人の人格だと言えば、わかりやすいか?」

 時折生まれるのだと、男は言った。

「基本的に、人は一つの人格を持って生まれる。だが時として、裏の人格を持つ者がいる。……わしは、ヴェルドが四百年以上封じ続けてきたもう一人のヴェルドだ」

「四百年……」

 ユキの呟きに、『ヴェルド』はにやりと反応した。再び矢を引き絞りながら、嗤う。

「そうだ、坊主。竜人は、お前たちよりも長い時間を生きる。こいつはな、最後の最期までわしに刃向かった。だが」

 一人に向かう矢の数が、二本となった。

 ジェイスは二本とも気の壁で寸止めし、ユキは氷柱つららを作って叩き落とし、唯文は魔刀で切り落とした。

 それでもユキは氷柱を逃れた一本を頬に受け、小さな傷を作ってしまった。つ、と流れた血を拭い、ユキはえる。

「だが、何だよ!」

「まあ、待て。楽しみは後に取って置くものだ」

「……さっさと言え。でないと首と体を分けてやる」

 唯文も苛々いらいらと魔刀を構え、問う。

 そんな二人の様子を面白そうに見て、『ヴェルド』はようやく言った。

「負けたのさ、わしに。ジュングとアルシナを失い、里を攻撃され、精神がもたなかったんだろう」

 今、ヴェルドは死んでもういない。男は確かにそう言った。

 その言葉を聞くと同時に、ジェイスの陣が光を放つ。

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