第322話 頑なな炎
近い。アルシナは直感的にそう思った。
距離的に隠れ里に近いというだけではなく、竜の血が言うのだ。このままでは、近しい者の命が危ういと。
少しずつ、森の様子に変化が出て来る。時折、焼け焦げた幹や穴の開いた葉が落ちている。そして決定的に、においが変わった。
焦げ臭い。それだけでは言い表せない、吐き気すらもよおすにおいが鼻をつく。
ジェイスは一度立ち止まり、仲間たちを振り返った。
「ユキ、唯文。ここから先、きっと見たくないものをたくさん見ることになる。出来る限りきみたちの視界に入らないようにと願うし努力はする。だけど、覚悟だけはしてくれるかい?」
「……」
「ジェイスさん、それはこの先が戦場だってことですか?」
ユキが目を瞬かせ、唯文が冷静に疑問を呈する。ジェイスは唯文の疑問に頷き、そして言い足した。
「さっきの兵士たちの話では、惨状だ。覚えておいて。わたしたちがすべきことは、ヴェルドさんを連れ帰ることだ」
「「はい」」
「よし。……アルシナさんも、いいですね?」
「勿論」
アルシナは既に覚悟を決めている。それに、ここから最後に逃げ出したのは自分だ。最初の光景は、今でも瞼の裏に残っている。きっと、アルシナの心に生涯残り続けるだろう。
四人は少しずつ増していく危険なにおいに巻かれながら、一歩一歩里へと近付いて行った。
「うっ……」
思わず、ユキは口を手で覆った。そして絶句する。
里の建物は全て瓦礫と化し、足元には時計台の文字盤が転がっている。その短い針は、永久に八を差し続けるだろう。
ジェイスは暗に、死体が転がっているであろうことをユキたちに注意していた。しかし里の人々の死体は何処にもない。あるのは、何かが焼け焦げた跡と燃え盛る火の玉だけ。
里の体感気温は外とは比べ物にならない程に暑く、ジェイスたちは滴る汗を拭った。
郷の中心に浮き上がっている火の玉は、小さなものではない。太陽のように輝くそれは、大人の男一人分の大きさがある。コロナのような火の帯が躍り、時折その火の粉が里へ振りかかる。
「……
「え?」
アルシナの呟きに、ジェイスたちは耳を疑った。この火の玉が義父だというのか、と。
ジェイスたちの反応に苦笑し、アルシナは首を横に振った。
「勘違いさせたみたいね。あの火の玉の中に、義父さんは眠っているの。眠りながら、敵を排除し続ける」
「それは、危険な状態なんですか?」
唯文の問いに、アルシナは「ええ」と頷いた。
「危険。私も話に聞いたことがあったくらいのものだから、詳細は不明。だけど、あの状態でずっといるのは命にかかわる」
絶えず放出され続ける神通力は身を削り、破壊力の代わりに命を奪う。ヴェルドはそれを何日も続けている。
アルシナは奥歯を噛み締め、火の玉を見上げた。
「早く、取り戻さなくちゃ」
「───危ないっ!」
アルシナの前に、氷柱が何本も出現する。それに火の帯がぶつかり、一部を溶かした。
「あ、ありがとう」
「あまり、悠長に話してる時間はないみたいですね」
アルシナは振り返り、ユキに礼を言った。事前の紹介で彼のみが魔種であり、氷の魔力を持っていることを知らされていたのだ。
ユキはにこりと笑い、無傷だった氷柱を地面から引き抜いた。宙に浮いたそれら三本を、思い切り火の玉へ向かって投げつける。
───ジュッ
氷柱は当たると同時に溶け、水に戻ってしまう。しかし、これでいいのだ。
ユキは更に何本もの氷柱を生成し、火の玉の上から突き刺すように叩きつける。それらもまた水となるが、水が火の力をわずかに弱める。
「ジェイスさん、効果はあるみたいですよ」
「そのようだね。ユキ、続けてくれるかい?」
「了解です!」
絶えず氷の魔力を使い続けるユキを横目に、アルシナはジェイスが何を狙っているのかわからなかった。
ジェイスは気の力で、幾つもの壁を創り出している。その傍に寄り、アルシナは疑問をぶつけた。
「ねえ、ジェイスさん。何をするつもりなの?」
「アルシナさん、ヴェルドさんを助け出すためには、あの火の玉が邪魔ですよね?」
「ええ。あれは義父さんの力が具現化して、周り全てを拒否している状態。あれを破らなければ、義父さんを……そうか」
自分の意図に気付いたアルシナに、ジェイスはにこりと微笑んだ。火の玉を指差す。
「そう。まさに今、あの火の玉を破るために氷を水に変えているんだ」
「でも、あんなの焼け石に水……」
「なら、こうしてみようか」
ジェイスは創り出した複数の空気の壁を浮かせ、火の玉を覆うように配置した。そこに、ユキの氷が直撃する。
水が溜まり、常に火を侵し続ける。その水量が増えれば増えるほど、火の勢いは弱まるはずだ。
「……一番は、あの玉を両断出来ればってことだけど」
「無理よ、刃が火力で溶けてしまうわ。それは、あれらが証明している」
アルシナの視線の先には、溶けて
───シュウ、シュウ
ユキの攻撃は確実に成果を上げてはいるが、それはわずかだ。しかも、いつヴェルドからの反撃があるかわからない。
ジェイスがそう思い、気の弓矢をつがえた。丁度その時。
「ジェイスさんっ!」
唯文が飛び出し、魔刀で火の竜の首を叩き斬った。斬られた首は重力に従って落ち、燃やすものを失って消えてしまう。しかし胴体は再び火の玉のもとへと戻り、コロナとしての動きを再開する。
ジェイスは傍に降り立った唯文に、感謝の意を伝えた。
「ありがとう、唯文」
「いえ。……だけど、やはり来ましたね」
「ああ。存続の危機を感じて、やはり反撃してきたか」
再び火の竜がジェイスに襲いかかったが、いつの間にか創られていた空気の壁に阻まれ四散する。散った火の粉は瓦礫に燃え移り、発火した。
「いけない!」
ユキの意識がそちらに逸れる。それを待っていたかのように、竜がユキの背後に迫った。
「ユキくん、後ろ!」
「え……っ!」
アルシナの叫びで振り返ったユキは、すんでのところで回避に成功した。しかし服の袖が燃え、火傷を負う。
「ユキ、大丈夫かい?」
「平気です」
ユキは自らの魔力の一部を腕に向け、二の腕に氷をまとわせた。これで常に患部を冷やすことが出来る。
「ユキは出来る範囲で攻撃を続けて。わたしと唯文は、少しずつでいい。ヴェルドさんに近付こう」
「はい」
「わかりました」
ユキが両腕を上げ、巨大な氷の塊を創り出す。その傍で、唯文が跳躍した。ジェイスは再び矢をつがえ、放つ。
三様の攻撃が火の玉を襲った時、全員の頭に声が響いた。
「……サレ。ココカラ、サレ」
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