第317話 見えない船
幸いにも風は凪ぎ、リンたちを乗せた船は真っ直ぐに
「おおっ」
「見て見て! あんなところにたくさんいるよ」
「……食べたらおいしいのかな」
「春直、よだれ」
それぞれに歓声を上げるユキたち年少組の緊張感のなさに苦笑して、リンは遠くに見えてきた陸地に思いをはせた。黙って海の向こうを見つめているリンの横に座っている晶穂は、軽く首を傾げる。
「リンは、竜化国についてどれくらい知ってるの?」
「多くは知らない。鎖国状態になって久しく、外部との交渉もない。ただ所謂私貿易は許されているから、竜化国の商人がアラストなんかにやって来ることは時々あるんだ。その時、国内の様子が噂で流れる程度かな」
「噂?」
「そう。政治状況や景気の話なんかが多いけど、例えば……『竜化国は、今はなき
「竜人。ユキとユーギが調べていた?」
「ああ。既に伝説上となっている人々のことだ。……アルシナさん、あんたこの辺りのこと詳しいんじゃないか?」
「……!」
ぎくり。船の縁に手をかけていたアルシナは、目に見えてうろたえた。くるりとこちらを振り返った顔は、青白い。
焦げ茶の髪が、風に舞う。アルシナは無意識に、耳のある部分にかかる髪を押さえ付けた。
「……何故、そう思うの?」
「何故って、あなたの故郷の古い伝説だ。部外者の俺たちよりもよっぽど詳しいだろ。
人間、魔種、獣人、古来種。獣人の中には犬、狼、猫、そして鳥の血が入り込んでいる。様々な種族が暮らすソディリスラだが、その中に竜人という種族はない。
竜の力を取り込んだ人間、その血を受け継いだ者たちのその後が知りたいと、リンは思っていた。
「……竜人は、大昔に絶滅したと言うわ。その神通力を欲した時の権力者が暴走したせいで、国全体を巻き込む戦争に発展した。その結末を憂いた者は自死し、また戦火の中で殺されたと聞いてる。……でも」
「アルシナさん?」
急に口を閉ざしたアルシナの名をリンは呼ぶが、彼女は首を緩く振ると進行方向に視線を移した。
「これ以上は掟に反する。……もう少ししたら、本当に全てを話すから」
「ええ」
「おい、そろそろ陸が近付いて来るぞ!」
克臣の声を合図に、リンとアルシナの会話は絶たれた。立ち上がって故郷を見つめるアルシナに、晶穂は何と声をかけるべきかわからない。
それでも、非力だからこそ出来ることがあると晶穂は信じた。
「アルシナさん。全てが終わったら、観光案内してもらえませんか?」
「か、観光案内?」
突然近付いてきた晶穂に、アルシナは困惑する。そんな彼女をあえて無視して、晶穂は目を細めた。
「ソディリスラにはないもの、きっと竜化国にはあるんだと思うんです。今は無理でも、一緒に美味しいもの食べながら雑談しましょう?」
だからそのために、前だけを見るんです。
「そんな悲壮な顔、しないでください」
「……ありがとう」
アルシナの顔に、泣きそうな笑みが浮かぶ。晶穂は「ふふっ」と微笑むと、こちらを何となく見ていたユキたちにも声をかけた。
「絶対、助けよう。アルシナさんと手が届くものを」
「……ほんと、敵わんな」
リンはがしがしと頭をかいて、操縦席に座るジェイスの元へと移動する。ジェイスは舵を掴んで息だけで笑っていた。
「色々聞こえたけど。……リン、なんか顔赤くないかい?」
「赤くなんてありませんよ。それよりも、今後のことです」
「何処に接岸するか、ということかな」
ジェイスの手元には、アルシナの記憶を頼りに書かれた竜化国の地図がある。目的の都合上、町の傍にある港は使えないし、役人がうろついている場所も論外だ。
「となると、この辺りかな」
ジェイスが指差したのは、竜化国の首都から遠く離れた森の一角。小さな浜辺があり、隠されたスポットとなってるようだ。
「幸い、ここからならアルシナさんの里も割と近いからね。船を気で隠して、すぐに向かおう」
「了解しました」
「みんなに伝えてくれるかな。今から囲うって」
「はい」
リンは操縦室を出ると、ジェイスの伝言を皆に伝えた。アルシナのみが不思議そうな顔をしたが、これは見てもらった方が早い。
「!」
船の周りに透明な壁が構築される。中からの景色は変わらないが、外からこの船を目視することは出来なくなった。ただし空気は問題なく通るため、呼吸の安全は確保される。
どんどんと陸地が近付く。人の姿がわかるようになり、アルシナがわかりやすく顔を青くした。
「まずい。見つかっちゃ……あれ?」
誰もこちらを見ない。見ていても、目線が合わない。まるで、こちらが見えていないかのように、港の役人も見過ごした。
船は港町の真横を通り、難なく森の方面へと進んでいく。
アルシナは晶穂の服の裾を引いた。
「晶穂、これどういうこと?」
「え? あ、ああ。アルシナさんはジェイスさんの力をご存知ないんでしたよね」
「……力?」
「ジェイスさんの魔力は『気』。空気を操ることが出来るんです。さっき囲うと言ったのは、気の力で空気を固め、外側からはこちらのことが見えない壁を作ってくれたのだと思います」
「そう。だから、何人たりともこちらには気付かなかったんだ」
「ジェイスさん」
操縦席を離れて晶穂とアルシナに近付いてきたジェイスは、にこりと笑った。何故操縦席を離れたかといえば、後は波の力を利用すれば岸に接岸出来るのだという。
確かにすぐ傍に浜辺が迫っている。アルシナにとっては、見慣れた庭の一部だった。
順番に陸地に下りて、最後に降り立ったジェイスが船を隠す。
「ジェイスさん、ありがとうございます」
「いいよ。ここからが本番だからね」
ちらりとアルシナを見たジェイスが言う。それに応じ、アルシナは一行の先頭に立った。
「皆さんを、隠れ里へと案内します」
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