謎めく大地へ

第316話 船旅

 話が決まれば、そこから先は素早い。リンたちは半日で準備を終え、翌日朝には船を手配していた。船は克臣が知り合いの伝手を頼り、小さな漁船を借りたのだ。

 アラストの港に浮かべた船の上で、リンは傍で浮いている小竜の頭を撫でる。嬉しそうに体をくねらせるのは、白銀の体と闇色の翼を持つシンだ。

「じゃあ、シン。頼むよ」

「まかせて!」

 胸をトンと叩くと同時にシンの姿が変わり、巨大な竜の姿となる。

 シンは両手で船を大事に抱えると、ぐんっと高度を上げた。一気に町並みが米粒のように小さくなる。急に気温が下がり、ユーギがくしゃみをし、晶穂は身を震わせた。

 リンは慌ててシンの首を叩く。

「シン、上がりすぎだ! 大陸の反対側に下ろしてくれれば良いから」

「ごめんごめん。楽しくてつい」

 笑って謝ったシンは、今度はゆっくりと高度を下げていく。地上から見れば、こちらの姿が小さく見えることだろう。

 ロイ砂漠を越え、アラストの反対側にある海が見えてくる。風に髪を乱されながら、ユキがリンに尋ねた。

「兄さん、このまま竜化国に入ったらダメなの?」

「ダメって訳じゃない。だけどアルシナさんによれば、向こうの人たちは竜を知らないというから、変に目立つだろ。俺たちは、政府に見つかるわけにはいかない立場だからな」

「そっか。確かに船の方が小さいし、見つかりにくいかもね」

「……まあ、密航みたいなもんだから褒められたことじゃないんだがな」

 肩をすくめ、リンは後ろを振り返る。そこには真っ直ぐに故郷を見つめるアルシナと、彼女の手を握って支える晶穂の姿があった。

「アルシナさん、乗り出したら危ないですから」

「わかってるわ、晶穂。……それにしても、竜に乗る日が来るなんて思いもしなかった」

 ゴォゴォと体を打つように吹き荒れる風に吹かれながら、アルシナが呟く。

 その時、アルシナの長い髪がひるがえった。何気なく綺麗なその横顔を見ていた晶穂は、焦げ茶色の間から尖った肌色のものが覗くのを見た。

(え……?)

「どうかした?」

 何気ない仕草で耳元の髪に触れるアルシナに首を傾げられ、晶穂は慌てて首を横に振った。

(耳が、わたしたちとは違った?)

 不自然な心臓音がする。妙な緊張が、晶穂の中を走る。

 しかし、それをここで尋ねてはいけない気がした。晶穂は気を紛らせようと、迫る海に視線を移した。

 陸地の端に近付き、シンが背中に声をかけた。

「みんな、ちゃくすいするよ!」

 シンは更に高度を下げ、海すれすれまで下りてくる。そして、優しく船を水面に浮かべてくれた。そのお蔭で船はすぐに安定し、皆をほっとさせる。

「助かったよ、シン。気を付けて帰るんだぞ」

「うん。リン、みんな、またね」

 シンはリンたちに手を振ると、巨大な姿のままで空の彼方へと消えていった。

 消えたシンの姿を目で追い、克臣が苦笑した。

「あいつ、何処まで行くつもりだ?」

「一度行けるところまで行ってみたいと前に言っていたから、それを実行してるんじゃないか?」

「かもな。もう姿もないし」

「わたしたちは、やると決めたことをやるだけだよ」

 ジェイスはそう言うと、船の運転席へ腰を下ろした。燃料は満タンに入っているし、動作も問題ない。

「みんな、準備は良いかい?」

 ジェイスがくるっと振り返ると、仲間たちが頷いた。今回は年長組四人に加え、年少組四人とアルシナという九人で旅をする。リドアスのことは、文里や一香、休暇だというサディアたちに任せてある。

「じゃあ、出発しようか」

「ええ。……目指すは、竜化国りゅうげこく。その隠れ里です」

 船のエンジンがかかり、わずかに船が水面に浮く。ジェイスが気の力で空気を操り、抵抗を極力減らしたのだ。

 船は東へと舵を切り、まだ見ぬ大地へ向かって走り出した。





 竜化国、中央機関。政府と呼ばれるその一室で、老年にさしかかった男が部下の報告を聞いていた。

「……成る程。つまり、一人を取り逃がしたと」

「真に申し訳ありません。全て滅せよとのご命令でしたのに」

 部下は小さくなって頭を垂れている。しかし上司たる男は、それに関心がないのか明後日の方向を向いていた。

「何、仕方あるまい。これくらいの抵抗は、織り込み済みだ」

 オールバックにした白髪に手をやり、椅子に座っていた男は窓の外を見た。外には、無機質なコンクリートの建物が並んでいるのみだ。時折、職員が歩いていく。

 普段と変わらない、殺風景な職場である。

 男は嘆息し、部下に目をやった。目を合わせない彼に、別の任務を与える。

「では、取り逃がした者は放っておけ。ただ、外部に救援を求めないとも限らん。方々の港に警官を手配しろ。外から来るものは全て、監視対象だ」

「はっ」

 部下がいなくなり、男は空のグラスに水を注いだ。無心でその水の流れを見つめ、丁度良いところで止める。

 透明なそれの中に、小さな粒のような泡が生まれた。コポリ。音もなく水面に上がって消えたのを見届け、男は水を飲み干した。

「必ず消し去ってくれよう。時代遅れの人ならざる者たちよ」

 ククク……。男は忍び笑い、ふと部屋の更に奥へと目を向けた。そこは照明も届かない暗がりだ。

 暗がりの中に、ひとつの気配がある。男はそれへ向かって問いかけた。

「それで宜しいですか、首相?」

「……お前は、私の意見など必要としておらぬだろうに」

「まあ、そうおっしゃらず」

「……好きにせよ」

 首相と呼ばれた者は、嘆息気味にそれだけ応えた。男は仰々しく腰を折る。

「仰せのままに」

 男の退室と共に、部屋から音が消えた。

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