第313話 サロ

 まだリンの部屋にいた克臣に出掛ける旨を伝え、ジェイスは唯文と共にサロの畑へと向おうとした。克臣と話し込んでしまったが。

 ちなみにリンはと克臣に問うと、晶穂と共に少なくなっていた事務用品の買い出しだという。

「こっちに帰ってから、仕事漬けだったからな。気分転換だよ」

 克臣は楽しげに笑う。紙やインクが減っているのは確かだが、これは確実に気を遣った結果だろう。彼の手元には処理済みの書類のみがあるため、もう仕事も終わりのようだが。

「克臣こそ、真希まきちゃんたちと過ごしてるのか?」

「勿論。というか、昨日は午後からいなかっただろ?」

「家族で公園に行ってたんだろう。楽しかったと明人あきとくん、はしゃいでたから」

 克臣の息子、明人は今年二歳になる。早々と舌足らずな言葉を喋るようになり、年少組がお兄さんの様に接している。

 昨日も遊び疲れた様子でてちてちとジェイスに近付いてきて、にこーっと笑った。

「明人、楽しかったかい?」

「うん! たのちかった」

「そうか。よかったね」

「へへーっ」

 無邪気な笑顔ほど、人の癒しになるものはないだろう。ジェイスは柔らかな笑みを浮かべ、明人のまだ髪の薄い頭を撫でてやった。

 近くには母親である真希がいて、ジェイスと明人のじゃれあいを楽しげに見守っていた。克臣はと問えば先に戻ったと言っていたため、その日は昼過ぎから会っていなかったのだ。

「家族と過ごす時間を持っているならよかった。お前はわたしたちと行動することが多いから、気を付けろよ?」

「大丈夫だよ。心配すんな」

 くすくすと笑うジェイスにそう言って手を振りかけた克臣は、ふとその手を止める。既にジェイスはドアノブに手を掛けていたが、その後ろ姿に問いかけた。

「お前は?」

「何が?」

「……お前は、家族を持とうとか思わないのか?」

「わたしが?」

 心底驚いたという顔で、ジェイスが克臣の顔を凝視する。冗談だろう? 彼の顔はそう語っているが、克臣には冗談のつもりはなかった。

「子どもの時から、お前は無意識に周りと距離を保っている。俺たち銀の華の連中とはそれ以下のだが、短くとも距離があるだろ。まだ、昔よりはマシだけどな」

「……」

 ジェイスが答えないことには何も言わず、克臣は続ける。

「別に責めてるわけじゃないさ。必要な距離感ってもんもあるからな。……あの光の洞窟の件以来、お前が少し軟らかくなったように思えるから、心配はしてないけど」

「あれは、わたしの存在を根底から覆したような出来事だったからね」

 懐かしげに、ジェイスは目を細めた。

 トレジャーハンターとの競争で銀の花を探す中、ジェイスは己の生い立ちと向き合うことになった。そこには、力ゆえに恐れられて虐げられたある種族の物語が眠っていたのだ。

 一度は己と仲間を信じられずに銀の華を飛び出した。しかし紆余曲折あって、ジェイスは今ここにいる。

「それに、わたしは独りではないから。特定の人を作るつもりは、今のところないよ」

 それじゃあ、行ってくる。ジェイスは克臣に手を振り、部屋を出ていった。

 一人残された克臣は、軽く嘆息して書類を片付ける。

「お前、モテるのにな」

 別にそんなことを言いたいわけではないのだが、克臣の口から出た言葉は軽口のようなものだった。


 玄関ホールにいた唯文と合流し、ジェイスはアラスト郊外へと出る。一時間も歩けば、町並みは消えて里山のような景色が見えてくるのだ。

 サロの畑には、文月堂の主人がいた。店はと尋ねれば、スタッフに任せていると言う。

「店長は時々いない方が、うまく回るんだよ」

 そう言いつつ主人はランドセル大の麻袋に、美味しそうに熟れたサロを溢れんばかりにくれた。それも二袋分である。

 オレンジよりも赤みの濃いサロは、美味しい印だ。

「ありがとう、祖父じいさん」

「たくさん頂いて嬉しいです。ありがとうございます」

「喜んでほしくて作っているだけだから。是非みんなで食べてくれ」

 もう少し畑仕事をしてから帰るという文月堂の主人を残し、ジェイスと唯文は帰路についた。

 唯文はサロの袋を抱え、少し前が見えづらそうだ。それでもしっぽが揺れているから、嬉しいのだろう。ちょっとだけ、頬が緩んでいる。

「唯文は、サロをどうやって食べるのが好きなんだい?」

「おれですか? ……うーん。定番のケーキやサラダに入れるっていう変わり種も好きですけど、やっぱり新鮮なやつを生で食べたいです」

 唯文は以前、菜とサロ、それから幾つかの野菜をえたサラダを食べたことがあるという。果物をおかずに使うという発想に、ジェイスは目を丸くした。

「サラダか、それは考え付かなかったな。……うん、食後のデザートってことでみんなに食べて貰おうか。晶穂や真希ちゃんに頼めば、ケーキも作ってくれそうだ」

「……楽しみです」

 控えめに声を踊らせた唯文だったが、突然びくっと歩くのを止めた。犬の耳を真っ直ぐ立て、周囲の音を拾って動かす。

「どうした?」

「ジェイスさん、悲鳴が聞こえました。……うん、男の怒号も聞こえる。この先」

 唯文の人差し指が真っ直ぐに指し示したのは、アラストの入口近くの森の中だ。獣道しかなく人の通る道は整備されていないはずだが、山賊等の真似事をするやからは、いつの時代にもいるようだ。

 ジェイスには聞こえない何者かの声を、唯文はその耳で拾い上げた。

「この先の、森の中。女一人に、複数で乱暴しようとしています!」

「行こう」

 サロが入った袋を、街道沿いの木の根もとに置く。それから再び、唯文が向かうべき方向を指し示した。

 決して遠くはない。必ず間に合わせてみせる。

 ジェイスは唯文を伴って、森へと駆け出した。

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