第311話 サラの手紙
晶穂がサラの実家を訪れたのは、帰宅した翌日だった。
現在エンジュ家にはサラの父と母がいて、春直が居候をしている。猫人である春直がリドアスでの生活に慣れるまでという話であったはずだが、サラの家族と良好な関係を築き、今も世話になっているのだ。
とはいえ今では春直もリドアスに部屋を貰っているため、帰って来るのは週に一度くらいだとサラの母は笑っていた。
訪問前に連絡を入れていたが、サラの母は晶穂を見るなり、何かを察したらしい。少し痛そうな笑みを浮かべて、晶穂を迎え入れた。サラの父はまだ仕事から帰って来ていない。
「入って、晶穂ちゃん」
「お邪魔します」
リビングに入ると、暖色でまとめられた家具が晶穂を包んだ。ソファーに導かれ、紅茶をご馳走になる。
他愛もない会話をしたかったが、その前に晶穂には役割があった。
「あの、サラからこれを預かってきました」
ショルダーバッグから、封筒を一つ取り出す。可愛らしいクローバー柄の封筒に、猫の顔のシールで封がしてある。表には「お父さんとお母さんへ」、裏には「サラより」と書かれている。
「あの子、晶穂ちゃんにお使いを頼んだのね」
全く、困った
便箋は二枚あった。何度も書き直したのか、少し紙にしわが寄っている。
お父さん、お母さん。お元気ですか? 私は元気です。
今、ノイリシア王国にいます。エルハの故郷だって話はしたよね? 簡単な報告は未来のあたしが水鏡を使ってしているはずだから、ここでは割愛するね。
でも、色々あったんだってことはきっとわかってくれているはず。
それでね、二人に報告があるんだ。
この手紙を届ける人は、きっとあたしじゃない。晶穂とかに頼む予定にしています。
実は、あたしはノイリシア王国で生きていこうと決めました。
エルハがノイリシア王国の王子で、彼は兄上のもとで働くと決めました。
あたしはエルハと一緒に生きていくと決めているから、彼と共にこちらに残ります。直接言うことが出来なくて、ごめんなさい。
あたしは、お父さんとお母さんが大好きです。今度、エルハと一緒に家に帰るね。その時お叱りも受けるから、どうか認めて下さい。
大好きなお父さんとお母さんへ
「『どうか認めて下さい』って、誰もあなたたち二人を認めないなんて言ってないわよ」
くすっと笑い、サラの母は晶穂に微笑みかけた。目元に光るものを拭い、持っていた便箋を封筒に仕舞う。
「ありがとう、晶穂ちゃん。あの子はあの子で、自分の道を見つけたみたいね」
「はい。すごく頑張っていて、わたしも見習わないとなって思ってます」
紅茶のカップを両手で持ち、晶穂はサラの笑顔を思い出した。
「いつも傍にいてくれて、いつも勇気づけてくれる。わたしの大切な親友です」
「……そんな風に思ってくれる友達がいるなんて、あの
これからも仲良くしてやってね。サラの母に両手を包まれ、晶穂は「はい」と明るく答えた。
それからは、他愛もない話が続いた。幼い頃のサラの失敗話や面白かったエピソード、更には晶穂がやって来た日のサラのことなど、晶穂の知らない親友の姿を教えてもらった。
「本当に、嬉しそうだったわ。『新しい友だちが出来たの!』って言って飛ぶように帰って来たのよ、あの娘。それが異世界から来た女の子で、今じゃ銀の華の団長くんの恋人、そしてサラの大事な親友ですものね」
「う……」
悪戯を考える少女のようなサラの母の笑みに、晶穂はわずかに顔をそむけた。恋人や親友という言葉が少し恥ずかしかったのだ。
にこにこと晶穂の反応を楽しんでいるのが、彼女の耳の動きを見ればわかる。ぴくぴくと、楽しいことを聞き逃すまいと動いているのだ。
「簡単にはノイリシア王国でのことは聞いたけれど、サラのこと、晶穂ちゃんからも聞きたいな」
手紙の通り、一週間ほど前にサラから連絡が入ったという。その頃はまだ、向こうに残る決断をしていなかったのかもしれない。
晶穂は乞われるがまま、ノイリシア王国での出来事を語った。サラのことに主軸を置きながらも、王国に巣食っていた黒いものを誤魔化しながらも説明する。全てを部外者である彼女に語るわけにはいかない。サラの大切な家族であるから、尚更だ。
「本当に大変な思いをしたのね。みんな、よく頑張ったわ」
「……ありがとう、ございます」
心からの賛辞は、こそばゆい。晶穂は心の何処かで、親がいたらという仮定を想像していた。
「あのっ」
羞恥心を少し横に置き、晶穂は手元のカップを包むように持ち上げた。温かな紅茶は、晶穂の心をも温める。
「どんな時もわたしの味方でいてくれて、支えてくれています。サラは、絶対に大丈夫です」
「うん。ありがとう、晶穂ちゃん」
サラの母は、柔らかく目を細めた。そして、手紙を優しく撫でる。
「ふふっ。次にあの娘が帰って来る時が楽しみね」
サラと同じ茜色の髪を揺らし、女性は愛しげに微笑んだ。
息が上がる。もう疲れた。体ではなく、心が悲鳴を上げている。
それでも止まれない。止まれば、それが示すのは―――死。
森を抜け、池を跳び越え、走り続ける。
翡翠色の髪は色を変え、この国では当たり前の焦げ茶色へ。
同じく翡翠色の瞳の色は変えられないが、髪だけでも変われば目立つまい。
何かを探す複数人の気配と声がする。遠いが、それは安心材料にはならない。
奴らは、何処にでもいる。
海の香りが鼻をつく。異国の、誰も知らないにおいがする。
「あれに紛れれば……」
夕刻。何も知らない人々は、帰路を急いでいる。みすぼらしい女が一人その辺りを歩いていたからといって、誰も気にも留めまい。
人の流れが途切れた。
女は素知らぬふりをして船に近付き、荷に紛れてうずくまった。
荒い息を沈め、静かにその時を待つ。
やがて、船の汽笛が鳴った。
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