第308話 次に会う時は

「リン」

 朝食を終えて帰り支度も済ませたリンが王宮内を歩いていると、後ろから声をかけられた。振り返ると、水色の髪が目に入る。

「……とおるさん」

「もう、行くのか?」

「もうすぐ皆と合流します。けど、今は時間が出来たので軽く散歩していました」

「そうか」

「……」

「別に、恨み言を言う気はないぞ」

 何を警戒しているのかは知らないけどな。そう言って苦笑する融からは、昨夜晶穂から聞いていた悲しみの雰囲気は感じられない。

 何を言われても、リンに引く気は全くない。だからこそ、少し無駄な警戒をしてしまっていた。

「すみません。気が立ってるみたいで」

 リンは素直に頭を下げ、その場を後にしようとする。しかしその背に、融は再び声をかけた。

「お前さ、晶穂と出逢った当初はどうだったんだ?」

「どう、とは?」

 首を傾げるリンに、融は一歩近付いた。

「おれは、ただか弱い女子だと思った。そして、次に強いやつだと改めた。……最後には、あの美しさに惹かれていた」

「……俺も、似たようなものです。怯えて、戸惑って、どうしようもなく世話の焼ける後輩だとしか思っていませんでした。だけど」

 リンは目を細め、頭の中で思い出す彼女を見つめた。

「だけど、あいつの弱さを見て、優しさと強さを目の当たりにして。……いつの間にか、こいつを誰にも渡したくない。そんな風に思っていました。あいつはあいつのものであって、俺のものではないのに」

 おかしいですよね。苦笑しながら、リンは言う。

「惹かれているんだと。これは、そういう感情なのだと気付いた時には、もうどうしようもなかった。……だから、あなたに渡すことは出来ません」

 深々と、リンは頭を下げた。許す許さないという勝負ではないが、そうしなければならないような気がしたのだ。

「おれは……」

 リンの頭の上に、呟きが降って来た。顔を上げると、融が困ったような顔をしている。

「おれは、この王国を守る近衛だ。誰よりも強くありたい。……勿論、リンよりも」

 腰に佩いた剣の柄を握り、融は微笑む。

「次に会った時、おれと勝負してくれないか? ただ、強さを確かめるために」

「……ええ。わかりました」

 リンも首から下げたペンダントを見せ、微笑む。二人の間に、何かが通い合った瞬間だった。


 日の光が降り注ぐ王宮の玄関に、たくさんの人々が集まっていた。

 その半分は『銀の華』のメンバーであり、後の半分はノイリシア王国の関係者で占められている。

「もう行くのだな」

 国王シックサードの残念そうな言葉に、リンは首肯して応えた。

「お世話になりました。シックサード王がお目覚めになられたのですから、もう安心ですね」

「世話になったのはこちらの方だ。……本当に、ありがとう」

「いつでも遊びに来て欲しいな。きみたちなら、いつ何時だって大歓迎させてもらいます」

 そう言って笑ったのは、イリスだ。

 彼は近々、正式に王位を継ぐことに決まった。己の高齢と体調を憂慮した国王が、頃合いだろうとアゼルとアスタールに命じたのだ。

 幸い彼の王座に否を唱える声は非常に少なく、事はすんなりと運びそうだという。これも、銀の華と共にゴーウィンたちの悪事を覆した結果なのかもしれない。

「兄上のことは、僕が支えるから。みんなも、元気で」

「あたしたちのこと、忘れたら許さないよ~」

 エルハはイリスの宣言通りに彼の秘書に、サラはノエラ付きの侍女として王宮で職を得た。二人が銀の華から抜けることは正直痛いが、彼らが自ら選んだ道なのだから応援しないわけにはいかない。エルハはリンを始めとしたメンバーと固い握手を交わし、サラは晶穂と抱き合った。

「おにいちゃんおねえちゃんたち、いっちゃうの?」

 寂しそうな顔をしているのは、ノエラだ。全ての発端となった少女は、今やジェイスや克臣にも懐いている。ジェイスからは学問を学び、克臣からは体を動かす楽しさを学んだらしい。

 リンと晶穂のことも最初から慕っていただけに、今にも泣きそうだ。

 リンは身を屈め、ノエラと目線を同じにする。そして、小さな姫君の頭を撫でた。

「ノエラ。今は離れるが、俺たちは心まで離れるわけじゃない。寂しいかもしれないが、ノエラには兄も姉も、クラリスさんたちもいるだろう?」

「悲しんでくれるのは嬉しいな、ノエラ。でも、笑ってくれた方がもっと嬉しい」

 晶穂もリンを真似して、ノエラの前で笑みを見せる。

 ノエラは涙がたくさんたまった瞳を瞬かせ、歪んだ笑顔を作る。それでもぽろぽろと落ちる涙は止められず、晶穂が抱きついてきた彼女をあやした。

「リン、忘れるなよ。おれとの約束」

「ああ、融。必ず果たそう」

「おや、いつの間にか仲良くなったんだね?」

 拳を突き合わす融とリンに、ジェイスが楽しそうに問う。事の全てを知っているわけではないにせよ、思うところはあるのだろう。克臣もにやにやが止まらない。

「男の友情ってのは、そんなもんだぜ」

「何だい、それは?」

 ジェイスの呆れ顔をきっかけに、笑い声が広がる。原因を作った克臣はきょとんとしたが、すぐに笑いの渦へと身を投じた。

「……みんな

 笑いが収まった頃、はるかがリンの前に出た。藍色の瞳が真っ直ぐに向く。

「お前たちのお蔭で、オレは道を踏み外さずに済んだ。これからは、王宮の警吏として役割を果たすよ」

 手始めに、ネクロの配下であったゴウガたちを捕えたのだと言う。ゴウガもキリスも激しく抵抗したが、ネクロがもういないことを知らされると、簡単に捕縛された。

「それに、イズナのことも見守るつもりだ」

 イズナは更生のために、労役と兵士としての訓練を受けている。イリス配下で行われているため、逃げも隠れも許されない。最も、彼に逃げる意志はないのだが。

「ああ、頼むよ」

 リンと握手を交わし、遥は笑った。

 ソディリスラ行きの船が出るまで、後三十分。もうそろそろ船着き場に向かわなければいけない時間となった。

「では、またお会いしましょう」

 リンの挨拶を最後に、集団が二つに割れる。

 王国側はリンたちに手を振り、リンたちはそれに応じつつも港へと真っ直ぐに足を進める。それらは、リンたちの姿が道の向こうに見えなくなるまで続いた。


「よかったのですか、ヘクセル姫?」

「きゃっ……なんだ、ジスターニとクラリスですの」

 王宮の門よりも内側、木の陰にいたヘクセルは、二人の側近の気配に驚きを隠せない。ばくばくと鳴る旨に手をあて、先程のクラリスの問いに応えた。

「近くで見送れば、未練を断ち切った心が戻って来てしまいますもの。わたくしは、ここで充分です」

 しおらしい言葉と態度に、クラリスとジスターニは目を丸くした。顔を見合わせ、それぞれが芝居がかった態度を取る。

「いつのまにか、大人になられたのですね。ヘクセル様」

 よよ、と感動の涙を流すふりをするクラリス。

「うんうん。オレも嬉しいですぞ」

 まるで父親のようにバシバシとヘクセルの背中を叩くジスターニ。

「ちょっと、子ども扱いしないでもらえるかしら!?」

 肩を怒らせるヘクセルだが、本気で怒っているわけではない。二人の気遣いがわかっているから、それに乗っかっているだけだ。

「必ず、わたくしだけの王子様を見付けてみせますわ。ふふっ。あの子が羨むほどの、ね」

 心の中に最後まで残っていた涙が、一筋ヘクセルの頬を伝う。それに気付かないふりをして、ヘクセルは身を翻した。

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