第307話 終止符を

 リンたちがノイリシア王国を去る日、朝から快晴に恵まれた。

 晶穂は朝食前、部屋に挿し入れられていた手紙に従って王宮の東側にある庭に来ていた。この王宮には、大小様々な大きさの緑豊かな庭園が幾つもある。今晶穂がたたずんでいるのは、その中でも小ぶりの場所だ。

 子ども用のブランコが風に揺れ、その足に蔦が絡んでいる。季節の花々が咲き、何処か花園のようだ。

 晶穂は庭の美しさに圧倒されながらも、自分を呼び出した相手を探す。

「えっと、何処に……」

「ここは、ノエラもお気に入りの庭ですのよ」

「あっ……おはよう、ございます」

 振り返ると、そこには普段着用のシンプルなドレスを着たヘクセルが立っていた。長く癖のある髪は結ばず下ろして、いつもよりも大人びた印象すらある。

 対して晶穂は、いつでも出られるようにとこの国に来た時に近いワンピースすがただった。王宮という場所にはそぐわないとわかってはいたが、自分は貴族ではないのだと開き直った結果である。

「おはよう、晶穂。……ちょっとここに座って下さる?」

「あ、はい」

 ヘクセルに指定されたのは、小さなブランコだ。二つあるそれに並んで座る。

「……」

「……」

 無言。当然のようにどちらも口を開かない。

 いや、開けない。少なくとも、晶穂は背中に冷汗が伝っている自覚があった。

(ヘクセル姫、昨日リンに告白したって聞いたけど……。わたしに何の用なんだろう?)

 まさか「別れろ」などと言われるとは思っていない。そういうことはリンが嫌うことであるし、晶穂自身も首を縦に振る気はない。

 そうして沈黙が数分は続いた後、ヘクセルが「ふぅ」とため息をついた。

「……あなた、わたくしが昨日の夜にリンに想いを伝えたことは知っていて?」

「う……はい」

「そう」

 それきり再び口を閉ざすヘクセルにかける言葉もない晶穂は、沈黙に耐え切れずに疑問を投げかけた。

「一つ、聞いてもいいですか?」

「何?」

「どうして、今わたしを呼び出したんですか?」

「……それは、ね」

 憂いを残した瞳を空へ向け、ヘクセルはようやく口を開いた。ギッと年代物のブランコが音をたてる。ヘクセルが地を蹴ったのだ。

「……わたくしの想いに、終止符を打つためよ」

「終止符?」

「ええ。わたくしは昨日、リンに言ったわ。お慕いしている、と」

 ズキン、と晶穂の胸に痛みが走る。自分だけだと思っていたリンへの恋心を他人に明かされるというのは、どうにもダメージが大きいようだ。

 これまでも大学にリンのファンクラブがあり、そこのメンバーに脅されたこともあったが、それとはまた別の痛みを伴う。

 晶穂が胸を痛めていることなど知るわけもなく、ヘクセルはブランコをこぐ。

「見事に振られたわ。その時の言葉はあえて言わないけど、あなたを心から思っていることがよく分かった。……負けたって、認めないわけにはいかなくなった」

 こんなことを考えても仕方のないことだけど。そう前置きして、ヘクセルは苦しそうに微笑む。

「『もしもわたくしがあの子よりも早くあなたに出会っていたら、あなたはわたくしを選んでくれたかしら』。なんて尋ねたら、どう返されていたのかしらね」

 もしもはもしもでしかなく、それ以上でも以下でもない。幻ですらない仮定の話だ。それに可も不可もつけられないことはよくわかっているわけだが、人は「もしも」を考えたくなる。

 返事の出来ない晶穂を気にすることなく、ヘクセルは続けた。

「仮定は仮定でしかないから、それに答えなんて無いの。わかっていても、期待を求めてしまうのは、よくないことだわ」

「……もしも、リンと出逢っていなければ。その未来を考えることは、今のわたしには出来ません」

「……そう」

 胸の前で手をぎゅっと握り締め、晶穂はまなじりを下げた。

「彼といることが、当たり前だとおごることは出来ない。だけど、ずっと一緒に過ごして傍にいたいと願い、そのための努力は惜しみたくないのです。……例え過去に戻ってヘクセル姫がリンとわたしよりも先に出会ったとしても、きっとわたしは、リンと共にいるために生きます」

「……それも、『仮定の話』でしかないわ。でも、あなたの気持ちはわかったつもりよ」

 ヘクセルはブランコから立ち上がると、晶穂の前に立った。目を瞬かせる晶穂に、すっと右手を差し出す。細やかで美しい、王族の姫の手だ。

「友人となりましょう、晶穂。わたくしが、あなたを選んだことをリンに後悔させるために」

「……は?」

 思わず手を出してしまった晶穂は、ヘクセルの言う意味がわからずに困惑する他なかった。それでも、共に困難を乗り越えたヘクセルと友人になれるのなら喜ばしいことなのだが。

 その時、朝食の時間を知らせる鐘が鳴り響いた。

 ぽかんとしたままの晶穂にクスッと笑いかけ、クラリスは彼女の手を引いた。晶穂はブランコから離れ、座っていた木の板が揺れる。

「行きましょう。あなた方が今日立たれると聞いたシェフが、腕によりをかけて下さるそうだから」

「あ、はい!」

 そこへ、丁度食堂へ向かうために自室を出て来たノエラが駆けて来る。彼女の傍にはクラリスの姿もあった。

 クラリスはヘクセルの身を案じて一瞬だけ顔を歪ませたが、彼女の顔にいつもの勝気な笑みが浮かんでいるのを見てすぐに表情を戻す。

 そんなことはつゆ知らず、ノエラは姉に抱きついていく。

「あねうえ! あきほおねえちゃんも、おはようございます」

「おはよう、ノエラ。よく眠れたかしら?」

「おはよう、ノエラ。元気いっぱいだね」

「ふふっ。よくねたし、げんきだよ! ねえ、いっしょにごはんにいこう!」

 ぐいぐいと小さなお姫様に引っ張られ、晶穂とヘクセルは顔を見合わせた。

 同時に、噴き出す。

「ふふっ。そうですわね、行きましょうか」

「ノエラ、競争する?」

「する! まけないよ」

 よーい、どん。クラリスの合図で、三人は走り出す。

 晶穂は兎も角ヘクセルとノエラまでもが廊下を駆け、使用人たちは驚いていた。それでも構わず、三人は食堂まで走り切ったのだった。

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