第306話 想いを受け止めて
リンが息を弾ませながらたどり着いた先で、晶穂は地面に座り込んで泣いていた。泣きじゃくるというのではなく、静かに涙を流している、そんな印象だ。
思いもよらなかった場面に、リンは普段からは考えられないくらいに動揺した。
「晶穂? お前、どうしたんだ!」
「リ、ン……。ううん、何でもな……」
「何でもないようには見えない」
ふるふると頭を左右に振る晶穂を抱き締め、リンは膝立ちになった。腕の中では、晶穂が小さく震えている。
しばらくリンが背中をさすっていると、晶穂は少しずつ小さな消えそうな声で語り出した。
「……融さんが、ね。わたしのこと、好きだって」
「……うん」
「でも振り向いてくれないのはわかってたからって言って、いなくなっちゃった」
「うん……」
「わたし、びっくりして、謝ることしか出来なかった。そうしたら……」
「そうしたら?」
「……」
急に押し黙ってしまった晶穂を不審に思ったリンが顔を覗き込むと、晶穂は額を押さえて真っ赤な顔をしていた。真っ赤な上に、非常に困った顔をしている。
(もしかして、キスでもされたのか……?)
晶穂が手で押さえているのが額であることから、唇へのものではないことはわかる。しかし、それでもリンの心に嫉妬が生まれるのは止められなかった。
「……晶穂」
「な、何?」
びくっと体を震わせた晶穂に、リンは先程ヘクセルに会ったことを明かした。
「姫が、俺を慕っていると言ってくれた。……勿論嬉しくないわけはないけど、俺には心に決めた人がいるからって、断った」
それが誰かわかるか? 顔をリンに覗き込まれ、晶穂は顔を伏せ遠慮がちに頷く。
「応えることが出来ないと言ったら、優し過ぎると文句を言われたよ。それで、お前が何処にいるのか教えてくれた。……まさか、晶穂も融さんに告白されてるなんて思わなかったけどな」
それで。リンは相変わらず額を隠している晶穂の右手を取り、はっと顔を上げた彼女に問う。わざとにこりと笑みさえ浮かべて。
「この手は、どうして額を隠してるんだ?」
「あ、う……」
かあっと晶穂の頬が上気する。それが面白くなくて、リンは眉をひそめた。
「晶穂は、俺の彼女だから。で、俺は晶穂の彼氏だよな」
「う、うん」
互いの指を組むように握り、リンは晶穂の目を見つめた。のぼせたように潤んだ晶穂の瞳が、リンを誘う。
普段は顔すら見せない独占欲に似た感情が、ふと頭をもたげる。リンは晶穂が抵抗しないことを良いことに、そっと彼女の額に顔を近付けていく。
心臓の音が
「……っ」
「上書き、しといて」
「はい……」
か細い肯定の言葉が、晶穂の唇から漏れた。リンは自分の行動に照れながらも、晶穂の答えにほっとしていた。
晶穂以上に自分の顔が赤いことに、リンは気付いていなかった。
改めてベンチに座り直し、二人は月を見上げた。満天の星の中に、満月が浮かんでいる。
「……何日か前だよな。同じベッドで目覚めたの」
「―――っ。そう、だったね」
あの時は本当に驚いた。リンは笑う。
晶穂と共に同じ布団の中で眠っている。そんな幸せな夢を見ていると思ったら、起きてみれば現実だったのだから。
「わ、わたしもリンが傍にいてくれる夢を見てたから、本当に寄り添ってくれててびっくりしたよ」
晶穂は何度か何かにすり寄った気がしていたが、その相手がリンだったということに思い当たった。それが恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。
「後で聞いたけど、先に寝てたのは晶穂らしいな。で、客間でお前が寝てるのを知って、克臣さんが俺を放り込んだ、と」
あの人ならやりかねん。リンが腕を組んでぼやいた。
その姿をくすくす笑いながら、晶穂も同意する。
「きっと、ジェイスさんも止めなかったんだよ。克臣さんに隠れて目立たないけど、あの人もかなり面白がってるもん」
「全く。……あの人たちには何されても怒る気失せるんだよな」
「絶対勝てないよね。ジェイスさんと克臣さんには」
「別のネタを持って来られるに決まってるからな」
ガシガシと頭をかいて、リンは苦笑する。
温暖とはいえ、夜の空気は昼よりも冷たい。遠くで聞こえていた宴の最後の喧騒は、既に聞こえなくなっていた。
リンはベンチを立ち、晶穂に手を差し伸べる。
「そろそろ戻ろう。明日はリドアスに戻るんだからな。寝不足じゃ、留守番してくれてるあいつらに示しもつかないだろ」
リンの言う「あいつら」とは、リドアスにて彼らの留守を守ってくれている少年たちのことだ。ユキとユーギ、春直、唯文の四人は、年少ながらも銀の華になくてはならない大切な仲間たちでもある。その戦闘能力は折り紙付きだ。
晶穂は「うん」と頷いて彼の手を取った。引き上げる力に手伝われ、慣れないヒールで真っ直ぐに立つ。
その時だった。
「―――痛っ」
「どうした?」
「ううん、何でもないよ」
晶穂は足元を気にしながら、リンの問いに首を横に振った。それから、踵を返して歩き出そうとする。
「それじゃあ、またあし……」
「一旦座れ」
「はい……」
有無を言わさぬリンの言葉に、晶穂は素直に再びベンチに腰を落とした。リンは彼女の前に膝をつき、彼女の靴を足ごと持ち上げる。そして「あぁ」と何かに納得した。
「靴擦れだな。痛かっただろ、これ」
「だ、だいじょう……」
「血が出てる。これじゃ歩くのは危険だな」
ヒール五センチの白いサンダルに似たパンプスの履き口が
「ちょっとまっ……それじゃ帰れな……きゃっ」
「これなら大丈夫だろ」
ふわりと晶穂の体が浮き、リンに抱えられた。お姫様抱っこである。恥ずかしさのあまり顔を赤くする晶穂に構わず、リンは彼女の靴を手に持った。
そのまま、颯爽と歩き出す。
「は、恥ずかしいからっ」
「夜中だし、誰も見てないだろ。ちゃんと送り届けるから、大丈夫だ」
「そ、それはわかってるけど……」
きゅっと目を閉じてリンにしがみつき、晶穂は羞恥に耐えていた。
勿論リンも恥ずかしくないというわけではないのだが、緊急事態だと自分に言い聞かせている。
幸い誰ともすれ違うことなく、晶穂が借りている部屋の前までやって来た。器用に靴を持った方の手で戸を開け、リンは晶穂をベッドに下ろす。
ほっと息を吐いた晶穂の頭を軽く撫で、リンはその足で部屋に備えてあった救急箱から消毒液と絆創膏を持って来る。それらで処置し、リンは「よし」と言って立ち上がった。
「それじゃあ、戻る。また明日な、晶穂」
「あ、うん。また明日」
胸のところまで挙げた手を小さく振る晶穂に笑みを見せ、リンの姿が部屋から消える。晶穂は髪飾りを外し、それを見つめて小さく息を吐いた。
その時、再び部屋の戸が開く音がする。びくっと反応した晶穂が顔を上げると、リンが戸から入ってこちらを向いて立っていた。
「どうしたの? 何か……」
忘れ物? そう尋ねる前に、リンが自分の後頭部をかいた。
「……その髪飾り、昼間に店で買ったものだろ? 似合ってる」
「!」
「それだけ、言い忘れてたから」
おやすみ。そう言葉を置いて、リンは晶穂の言葉を待たずにいなくなる。
置いていかれた晶穂は目を丸くして硬直していたが、手の中の髪飾りを握り締め、胸に抱いた。
「……嬉しい」
震える声が、晶穂の喜びを伝える。
銀と青の花で彩られた髪飾りは、昼間に王都へ遊びに行った際に装飾品の店でリンが選んでくれたものだった。克臣とジェイスに冷やかされたが、晶穂はそれを宴に身につけて来て欲しいとリンに願われ、喜んでつけていたのだ。
照明で明るく照らされた室内を、月が更に明るく照らす。何ものにも平等に射す光が、今晩もまた降り注いでいた。
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