第305話 伝えるのは自由だから

 宴もたけなわとなり、少しずつ人数が減っていく。

 丁度話しかけられていた若い貴族女性がパートナーと共に会場を離れ、晶穂は一時的に一人になった。

(少し、風にあたって来よう)

 周りを見れば、仲間たちはそれぞれに話していたり食べていたりしている。晶穂は彼らに声をかけることなく、部屋の外へと踏み出した。

 ノイリシア王国はソディリスラより南に位置しているためか、気候が温暖だ。四季の変化が穏やかで、一年を通して平均気温が十五度を下らないという。

 晶穂は渡り廊下から小さな庭へ出て、ベンチに腰を下ろした。さわさわと夜風に吹かれる花々と木の葉の音が優しい。

「……」

 ただ風に吹かれていた晶穂は、近付いて来る足音に気付かなかった。傍の草むらがガサリと揺れて、初めて目を上げる。

「あ、とおるさん」

「晶穂、こんなところで何を?」

 近付いてきた融は、頭にフードを被っていなかった。安心材だからと身につけてはいるのだが、それを被ることは少ないらしい。

 ジスターニは、それを良い変化だと喜んでいた。

 近衛である融は、軍服に似たきっちりとした服装をしている。華々しい宴の席ではあまり目立たなかったが、夜には月明かりで照らし出される鴉羽色だ。

「ちょっと風にあたりたくて」

「……」

 気持ちいいですよ。晶穂がふと見せた微笑を見て、融がフードをかぶってしまった。

 晶穂は「あれ?」と首を傾げ、融の前に立つ。

「どうしたんですか? 最近は被らないって聞いてましたよ」

「そ、それはそうなんだけど。ち、近いっ」

「え? あ、ごめんなさい……」

 余りに近付き過ぎたか、と晶穂が反省していると、融は頭にかぶっていた布に手をやり、ゆっくりとはがしていく。左目は変わらず白く濁っているが、右の紫色の瞳が月光を受けて輝いた。昔ついた火傷のような顔の痕は、あまり気にならない。

 融はその右目でじっと晶穂を見つめた。晶穂がその意図を捉えられずに首を傾げると、彼は大きなため息をついてうずくまる。

「え? 大丈夫ですか。人酔いですか?」

「……違う」

 くぐもった声がして、融は立ち上がった。晶穂は彼を見上げ、目を瞬かせる。

「本当に大丈夫……」

「あんたが好きだ」

 言葉を遮られ、晶穂は驚いて融を見る。融の赤く染まった顔を見ながら、徐々に自分が何を言われたのかを理解して、晶穂は真っ赤になった。

「え……ええええぇぇっ!?」

「そんなに驚くのか」

 呆れとも取れる融の台詞に、晶穂は「そ、そんなにって」と慌てぶりをあらわにした。

「わたし、言われるなんて思ってなくて……」

「逆に思ってたら自信あり過ぎだろう」

 くっくと笑い、融はテンパる晶穂の髪をすくった。灰色の一房が融の指の間を滑る。

「あんたが振り向くことのないことくらい、わかってるけどな。……言うのは自由だろう?」

 ノエラを奪うというミッションの時は、何とも思わなかった。しかし普通とは違う自分に対し、怯えることなく仲間だと笑って近付いて来る娘など、今までいなかった。

 融の想いを決定付けたのは、素顔を見られたことによる暴走を晶穂が止めた時だった。それが決して叶わぬ想いだとしても、無駄ではないとわかっている。

「ごめんなさ……」

 融は少し痛そうに笑い、晶穂の額に触れた。

「!?」

 何をされたか察した晶穂が、ゆでだこのように顔だけでなく首まで真っ赤に染める。

「え、え、えっ」

「ふふ、お前のそんな顔が見れたんだ。伝えてよかったな」

 またな。悪戯が成功したかのように、融は晶穂に手を振って去っていった。

 その場にぺたんと座り込み、晶穂は胸の前でぎゅっと手を握り締めた。

「……ごめんなさい」


 同じ頃、リンは晶穂の姿がないことに気が付いた。

「晶穂……?」

 仲間たちにそれとなく尋ねるが、皆知らないというばかりだ。

 まさか彼女に悪さをしようなどと考える輩はいないだろう。そう思いながらも、心なしかそわそわしていたリンの服の裾を引く者がいた。

「リン、ちょっとよろしいかしら?」

「ヘクセル姫。どうしたんです?」

 ヘクセルはリンの腕を取ると、耳打ちした。

「わたくし、晶穂が何処へ行ったか知っていますの。案内しましょうか?」

「本当か? 頼む」

「ええ、こちらですわ」

 リンの腕を引き、ヘクセルは会場を出た。

「あの、何処まで行くつもりですか?」

 ぐいぐいと引っ張られて来たはいいが、ここは王宮の中心部にある噴水庭園だ。誰もいない夜であっても水を噴き上げることを止めない噴水が、生い茂る木々を養っている。

 こんなところまでは流石に来ていないだろう。いるとすれば、宴の会場を出た時反対に曲がるとある小さな庭の方が考えられる。

 リンが戻ろうとすると、ヘクセルは「待って!」と彼の足を止めた。

「お願いですわ。少しの間でいい、わたくしと共にいて下さいませ」

「どうしたんです、ヘクセル姫? 晶穂はここにはいないようですから、別のところを探しま……」

「……嫌、ですわ」

 ヘクセルはリンに後ろから抱きつき、ぎゅっと彼のジャケットを掴んだ。豊かな胸が背中に押し付けられる。大抵の男はそれで自分を意識するはず、とヘクセルはそう自信を持っていたが、リンに対してはそれが上手く作用しない。

「何が、何が負けているんですの? あのよりも魅力不足だとは思えませんわ」

 わずかにヘクセルの指が震えている。『あの娘』が晶穂を示していることを察し、リンはヘクセルに何と言おうか逡巡した。

「ヘクセルひ……」

「わたくしは、あなたをお慕いしているのです。一目見た時、その容姿に惹かれたことは認めます。けれどそれ以上に、知り合って間もない、そしてノエラを使ってあなた方をおびき寄せたわたくしなどに思いをかけて下さったその心に、わたくしは惹かれたのです。……どうしたら、あなたは振り向いて下さるの?」

「……すみません、ヘクセル姫」

 リンはそっとヘクセルの手を取り、自分から離れさせた。それからくるりと振り返ると、目の前には涙をいっぱいに溜めたヘクセルの姿があった。

 これから自分は、この姫君を傷付ける。リンは胸に痛みを覚えたが、彼女の気持ちに応えることが出来ない以上、期待を持たせるわけにはいかない。

 細く美しい手を包み込むように握り、リンはもう一度「すみません」と繰り返した。

「俺には、心に決めた人がいます。だから、あなたの気持ちに応えることは出来ません」

「……わかって、いましたわ。あなた方二人の間に、付け入る隙がないということくらいは」

 涙が溢れそうになるのを我慢して、ヘクセルは自らリンの手を離れた。リンの表情を見て、くすりと笑ってみせる。

「何ですの? まるであなたの方が振られたような、傷ついた顔をなさってますわ」

 優し過ぎます。ヘクセルは痛みを堪える表情で、笑った。

「あの娘は、宴の部屋を出て右に行った先にある小さな庭に行きましたわ」

「……え?」

「何をぼさっとしていますの? あなたの姫君は、あなたにしか迎えに行けませんわよ?」

「……ありがとう」

 リンは踵を返し、真っ直ぐに元来た道を駆け戻って行く。その後ろ姿を見送って、ヘクセルは「あ~あ」とため息をついた。

「そこにいるのはわかっていますわよ、クラリス?」

「バレましたか」

 物陰に隠れていたクラリスは、自分の胸に飛び込んできたヘクセルを抱き締め、その薄い背中を優しく撫でた。小さく震え、声を殺しているのがわかるから。

「よく、頑張りましたね」

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