第304話 別れの宴
王宮の大広間には、たくさんの鮮やかな色が散りばめられていた。それは食べ物の色であったり、装飾品の輝きであったり、人々の服装の色彩であったりした。
この会場に集められたのは、王族とその側近たち、更には主だった王族派の貴族と各省の
シックサード王は王座に腰を下ろし、隣の貴婦人と語らっている。彼女の焦げ茶色の美しい髪は、後頭部で編まれて大きなお団子となっている。勝気そうなつり目が印象的な女性は、王の正妃であるアイリスラ・ノイリシアであった。
彼らの傍にいたイリスが、会場にやって来たリンたちを見付けてアイリスラに教えている。リンは正妃の視線に気付き、ぺこりと軽く頭を下げた。
「あなた方が、我が夫を救って下さったのですね。本当に、感謝してもし切れませんわ」
リンたちの傍まで息子と共にやって来たアイリスラは、優雅に腰を折った。その姿に、リンは苦笑いをにじませる。
「いえ。俺たちは、したいことをやっただけです。それに、ご無事で何よりでした」
「
真摯な正妃の言葉に、リンたちは言葉を失う。
「……
「あなた」
三人の子持ちとは思えないほど若々しく美しい彼女は、ゆっくりとした動作でやって来る夫の体を支える。まだ足下が不安定ながら、シックサード王は王らしい威厳のある顔つきでこちらへと近付いて来る。
「この祝宴は、きみたちを歓迎し、この国の未来を背負う若者たちへの激励の宴だ。存分に楽しんでくれると、とても嬉しい」
「ありがとうございます。王様、お后様」
如才ない仕草で礼をしたジェイスが二人の前に出る。年上の扱いに長けた彼は、あとは自分に任せろとリンに目で示した。
リンが頭にクエスチョンマークを浮かべていると、後ろを見ていた克臣にぐるんと体の向きを変えられた。
「うわっ?」
「リン。ほら、行って来い」
トンッと背中を押されたリンが体勢を崩しかけて慌てて顔を上げると、目の前に花緑青のフレアスカートが広がった。
「リ、リン? 大丈夫?」
「えっ……あ、ああ」
腰をかがめてリンの顔を覗き込んだのは、ドレスに身を包んだ晶穂だった。ふわっとした布地の重なったスカートは、人を包み込む優しさを持つ晶穂によく似合っている。ドレスの上半身部分は露出が少なく、控えめなレースがあしらわれて可愛らしい。髪を一部編んだ場所には花の髪飾りがつけられ、一層彼女の魅力を引き立てていた。
思わず魅入っていたリンに、晶穂が声をかける。
「リン?」
「え? あ、ああ……ごめん。大丈夫だ」
我に返ったリンは苦笑しつつ、体を起こした。そこでようやく、晶穂の傍にサラがいることに気付く。
「サラ」
「ふふっ。リン団長、晶穂可愛いでしょ?」
「ちょっ、サラ!」
赤面する晶穂の両肩を掴んでリンの前へと押しやるサラは、晶穂の抗議を無視してウインクした。
リンの前に押し出され、晶穂は顔を真っ赤にして顔を伏せてしまった。子犬のように縮こまる彼女にどう言葉をかけたものかと悩んだリンは、どぎまぎしながらもぼそりと呟いた。
「……かわいいよ、晶穂」
「―――っ。あ、ありがと。リンも、似合ってる。かっこいいよ?」
「あ、ああ……」
夕日に照らされたような顔で、二人は互いに照れながらも笑い合った。ここだけ時間が止まったように感じられる。
彼らの姿を目に止め、複雑な顔をしている娘の姿には誰も気付かない。
しかし、止まった時間は動き出すのは早かった。
シックサード王が賑やかな会場の注意を集め、挨拶をしたのだ。照明もまた、彼に集められた。
「皆さま、ようこそお越し下さいました。今日は、我がノイリシア王国再出発の日。どうか、今宵は楽しんで下さい。―――では、乾杯」
そこかしこでグラスのカツンという音が鳴る。挨拶の前よりも更に賑やかになった会場内で、リンと晶穂はボーイから受け取ったノンアルコールのジュースの入ったグラスを傾けた。
宴も中頃を過ぎたが、賑やかさは変わらない。酒が入ってより騒がしくなった感すらある。
リンは時折貴族や武官たちに絡まれそうになりながら、適当に相手をしていた。そこにジェイスや克臣がいれば彼らが相手をしてくれたが、彼らが他に手を取られている時は仕方がない。
武官の中には銀の華を知っている者もいて、その活動内容などを質問された。貴族には「うちの抱えにならないか」との打診も受けたが、丁重に断っておく。
晶穂はサラやクラリス、ノエラと共に食事やお喋りを楽しんでいた。
ノエラはようやく不安なく皆と過ごせることが嬉しいのか、はしゃいでケーキやクッキーなどのお菓子を大量に皿に載せている。それをクラリスに見咎められて、頬を膨らませた。その姿が可愛いと晶穂たちに微笑まれ、ますます膨れてしまう。
エルハはイリスやヘクセル、更に正妃アイリスラ、シックサード王と語らっていた。五年もの長い時を隔てての再会だったが、互いに距離を感じずにいられるのは、やはり血のつながった家族だからだろうか。妙な安心感のようなくすぐったさを感じ、エルハは苦笑した。
そろそろお開きの時間が近付いて来る。はしゃぎまわって眠くなったのか、ノエラはクラリスに付き添われてソファーで眠ってしまった。
不意に会場が暗くなり、王座にのみ照明があたる。何事かと客たちが声を潜める中、イリスが姿を現した。
「ご歓談のところ、申し訳ございません。今宵、改めて皆様に紹介したい人がいます。……おいで、エルハルト」
―――ざわっ
特に年配の貴族や武官を中心に、どよめいた。「日陰の王子か」という声も聞こえるが、よくその名を覚えていたものだなとエルハは感心してしまう。
エルハはイリスの隣に立ち、ふっと微笑んだ。
「こんばんは、皆さん。僕はエルハ・ノイルと申します。……本名はエルハルト・ノイリシア。シックサード王第三子にして、一度この国から消えた者です」
ざわめきが大きくなる。最近王宮に仕えだした者は首を傾げるばかりだが、ある程度の年数を経ている者は見覚えがあるのだろう。どうして今更、そんな声も聞こえてきた。
「様々な声があることは承知しています。僕自身、ここに戻って来るつもりはありませんでしたから。……しかし、状況がそれを許しませんでした。父が倒れ、国が倒されようとしていると聞き及び、ソディリスラで得た仲間たちと共に再びここへと足を踏み入れました」
エルハの視線がリンたちに及ぶ。仲間たちはそれぞれの仕草で、エルハに無言のエールを送った。
「結果、企ては断ぜられ、国は守られました。……このことがあり、僕は改めて考えました。そして」
サラ、とエルハの唇が動く。心得ていたのかサラは音もなく滑り出ると、エルハの斜め後ろに控えた。エルハは彼女の笑みに頷き、再び固唾を呑む人々の方に向き直る。
「もう一度、このノイリシア王国の一員として、このサラと共に生きていくと決意しました。……皆様にはご指導のほど、お願い申し上げます」
「あた……わたしからもお願い致します!」
エルハに加え、サラも深々と頭を下げた。
しん、と静まり返った会場に、イリスの咳払いがこだまする。
「……さて、我が弟の紹介も済みました。エルハルト……いや、エルハには私の秘書を務めてもらいます。そうすれば王宮内の様々な方とのつながりも出来ますし、互いに良い刺激となるでしょう」
イリスは同意を求めるように、シックサード王を振り返った。王も頷き、王座から立ち上がる。
「聞いての通り、エルハとサラを王宮の新たな仲間として迎え入れる。……しかし、仕事は甘くない。アゼルやアスタールには申してあるが、エルハが王族だからと言う理由で甘く接することは禁ずる。良き同僚として、新人として扱ってくれればそれで良い。―――宜しいか、皆?」
―――はい、シックサード王。
一瞬にして、場の雰囲気が変わる。ただ賑やかだった宴の場は、今や静謐とした王の間となっていた。エルハは緊張感に身を震わせ、サラと手を取り合っていた。
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