第300話 走馬灯に見えし夢

 走馬灯、というものがある。

 死ぬ間際に脳裏に浮かぶ人生の記憶の数々だと耳にしたが、実際に経験すると感慨深い。

 幼き頃より、王宮に仕える父の背を、兄と二人で追いかけてきた。いつかあの大きな背中に追い付くのだと、勉学も武術も手を抜かなかった。

 父は思慮深く、どろどろとした王宮の裏側も知りつつ、広い人脈を持っていた。常に作り物の微笑を浮かべ、その時の王にも頼りにされていた。

 母は没落貴族の娘であったが、慈悲深く、花を愛でるのが好きな人だった。父よりも一年早く亡くなったが、その時の父の落胆ぶりも私たち兄弟の悲しみも深かった。

 兄は、明るく社交的。また剣を扱わせれば、いつしか達人の域にも達した。自慢の兄だった。

 だからいつの間にか、兄が王と共に世界を覆す何かを計画していると打ち明けられた時は、協力を惜しむつもりはなかった。喜んで、汚れ仕事にも携わった。

 その企てが封じられていたはずの違法魔力を創り出し、神の領域と伝わる神庭かみのにわへ踏み込む世の理に触れる行為であったとしても。兄を喜ばせ、王の期待に応えたかったのだ。


 年を経て、私は王の息子の代で王族の執事となった。兄と王は企ての途中、命を落とした。私の行いは彼らがひた隠していたためか、誰も知らなかった。だからこそ、執事となることが出来たのである。

 何人かの王子と王女を見てきたが、今目の前で私に剣を突き刺した王子よりも目をかけた者はいなかったように思う。

 彼は、臆病だった。人前を恐れ、兄姉の才覚に怯えていたのかもしれない。それとも、己の先の運命を知っていたのだろうか。

 私は、彼の世話を焼いた。世話役であることもあったが、おとなしく本を読み込む王子を見ていたかった。

 不思議なものだ。平たく言えば王国転覆を計る私が、少年の帰りが遅いことにやきもきしていたのだから。

 しかし彼は、己の力だけを信じて国を飛び出した。誰も追う者はいなかった。私でさえ。

 改めて気付いた。これが、好機だと。兄と王の野望のために動き出す好機だと。

 私は甥を巻き込み、育てていた計画のための息子たちも巻き込み、密かに動き始めた。

 だが、今その壮大な計画は破綻した。イズナやネクロを始めとした多くの協力者を得ることは出来たが、はるかやエルハルト、更には銀の華というイレギュラーに遭遇した。

 更には私自身が、消え行こうとしている。もう、夢に手を伸ばすことは叶うまい。


 目の前には、育てた青年たちがいた。

 エルハルトも遥も、大きく成長した。もう、己の足で地に立つことが出来る。

 私の夢は、誰かが継ぐのだろうか。もしかしたら、彼らが形を変えて継いでくれるかもしれない。

 私は消え行く手を伸ばし、二人に触れようとした。だが、遠すぎた。私は地に倒れているのだから。

 消えていこうとする自意識の最後に、私はふっと微笑んだ。

 ───大きくなったな、と。




 砂塵が風に運ばれ、静寂が訪れた。川の流れだけが耳朶を打ち、エルハは遥と目を交わす。

 その時、二人の肩を叩く者たちがいた。

「お疲れでした」

「お疲れ、二人とも」

「融、克臣さん……」

「団長も来てたのか」

「俺は、見届けるためだけにですけどね。エルハさん」

 克臣に担がれたまま、リンは苦笑いを浮かべた。彼の顔色が青白いことをエルハが指摘すると、リンの代わりに克臣が呆れ顔をした。

「こいつはちょっと、一人で立たしとく訳にはいかなくてな。毒を体に長時間受けすぎた。外宮で休ませようと思ってる」

「そうしましょう。……僕も疲れましたし」

 あはは。エルハは乾いた笑い声を上げた。

 笑いをおさめ、エルハは遥と共に振り返った。そこには既にゴーウィンの影かたちすらなくなり、ただ川原があるだけだ。

 身体中の痛みをとりあえず横に置き、エルハは仲間たちに笑みを向ける。

「終わりましたね、全て」

「ああ。……だが、本当の終わりは国王が目覚めてからの話だろう」

 克臣の指摘に頷き、エルハが帰りましょうと号令をかけようとした時、克臣のズボンのポケットから着信音が聞こえた。そこに端末を入れていたのだ。

 画面に表示された名は、ジェイス。何事かと通話ボタンを押すと、克臣は話し始めた。

「どうした、ジェイス? ……あ、ああ。終わったぞ、こっちは。……おう、そうだ。そっちは……うん、うん……」

 長くなりそうな通話の横で、リンは自分をじっと見つめる視線に気が付いた。

「どうしたんですか、エルハさん」

「うん。この前の話、覚えてるかい?」

「……決勝の前に、俺に話したいことがあると言われていたことですか?」

「そう、そのこと。……リンの体調が落ち着いたら、きちんと話すよ」

「それは別に、今でも……」

「おおっ! そうか!」

 今でも良いですよ。リンがそう続けようとした矢先、言葉は克臣の叫びにかき消された。顔のすぐ横での大声に顔をしかめつつ、リンは「どうしたんですか?」と尋ねる。

 克臣は端末を切り、「それがな」と嬉しそうに目を細めた。

「王宮でついさっき、国王が目覚めたんだと。まだ安静が必要ではあるけど、目覚めた。体の毒も、晶穂によればもう残っていないらしい」

「よかった。……父上」

「ああ、本当に」

 ほっと安堵したエルハと遥、それに無言で頷く融は、一秒でも早く王宮に戻りたがった。声ではなく、態度がそう雄弁に語っているのだ。

「おし、じゃあ戻ろうぜ。ことの仔細を報告しないとだしな」

「ですね。でも、よかった。ほんと……」

「お、おい! リン!?」

 突然脱力して肩から落ちかけたリンを掴まえ、克臣は焦った。体調が悪化したのかと案じたが、リンの表情を見て「何だよ」と苦笑した。

「寝てやがる」

「本当に、疲れたんですよ。体の限界をとっくに越えて、それでもこの国のためにと戦ってくれたんですから」

 エルハの掩護射撃に、克臣は「わかってる」と笑った。

「王宮じゃ、晶穂も安心して倒れたらしいからな。今、客間で休ませてるらしい」

 克臣は「よっ」とかけ声をかけ、リンを背負い直した。幼い頃のように、背負ってやる。

「エルハ、融、遥。帰るぞ」

 克臣の言葉で、三人も動き出す。

 河川敷を離れる直前、エルハはふと立ち止まって川を見下ろした。堤防の上からは、さらさらと流れる浅い川が見える。

 何故、ゴーウィンはここでエルハたちを迎え撃ったのか。それは永遠にわからない問いとなった。

「……さよなら」

 呟かれた言葉は、何処にも留まらずに風が連れていった。

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