第299話 過去との離別
エルハが息を弾ませたどり着いたのは、彼が幼い頃に師匠と鍛練した河川敷だった。
この場所は帰りの遅い幼いエルハを探して、ゴーウィンが毎度やって来る場所でもあった。
息を整え、階段を降りたエルハはぐるりと河原を見回す。ゴーウィン自身を追えていたのは最初だけで、見失った後は彼の力の気配を探りながら追いかけてきたのだ。
「……来たのか、エルハ殿下」
「ゴーウィン」
振り返ったエルハの真後ろに、暗い影を
羽毛のない骨張った黒い翼と、黒々とした全身。そして、暗黒を覗くような瞳が印象的だ。遥が引き千切ったはずの腕も、いびつながらもとに戻っている。
「ゴーウィン。何故、あなたはここを選んだ?」
「……」
あえて答えないのか、それとも答えを持たないのか。ゴーウィンはエルハの問いに無言で返した。
エルハは嘆息し、腰の剣に手を添える。
「……こうならなければいい、と何度も思った。おかしいとは思った。今更、父上が僕に里帰りを促すはずもないのだから」
故郷を捨て、リドアスに来た。それでしがらみは全て置いてきたと思っていた。
エルハの認識は、幼い頃のままだったのかもしれない。一人で生きていくのだと、もう王子ではないのだと。
「僕は、息子の中でも落ちこぼれの部類だ。頭脳も体力も、兄や姉たちには敵わなかった。それを憂えて、飛び出した。……でも、飛び出した先には、信じられないような誤算があった」
誤算とは、銀の華との出逢いだ。彼らとの出逢いがなければ、エルハは今も何処かで自分を肯定し認めようとはしなかっただろう。
カチリ。エルハは剣を鞘から抜き、ゴーウィンの喉元へ切っ先を向けた。
「得難い、大切すぎる仲間だ。彼らとの日々がこれからも続けばいいと夢見ていたけれど、僕も進まなくちゃいけないらしい」
「ススむ、とハ?」
何処か、浮世離れした声色が響く。ゴーウィンもまた、違法魔力に食い破られようとしているのだ。彼に思いを告げるために残された時間は、限りなく少ない。
「……ゴーウィンさん、僕はノイリシア王国に残ることにしました。兄のもとで、国のために僕が出来ることをしたいと考えて……いや、決めました」
ゴーウィンの両目が、大きく開く。何処かに残っているはずの、彼の良心に呼び掛ける。
「あなたには、僕の姿を見守っていて欲しかった。幼い頃からの世話役だ。そうして欲しかったことに、嘘はないんです」
でも、とエルハは苦笑いを漏らした。
「あなたとの道筋は、最初から交わることなど無かったんですね」
タンッとエルハは地を蹴った。そのまま頭上からゴーウィンに斬りかかる。一瞬呆けていたゴーウィンは対応が遅れ、後少しで首を斬られるところだった。
身を引き、ゴーウィンはその大きな爪を持つ手を伸ばす。エルハの首を掴み握り潰そうというのだ。
エルハはその腕から逃れるため、剣を持つ腕を勢い良く上げた。
───バシュッ
「ぐ……ああっ。ククッ」
骨を断つ音が聞こえ、エルハの剣がゴーウィンの片腕を切り取ったのだ。吐瀉物のような黒い血液が弾ける。
ゴーウィンはケタケタ笑いながらも悲鳴を上げ、使い物にならなくなった右腕を落とし捨てた。作り物の模型のようなそれは、軽い音をたて地面にたどり着いた瞬間に消えた。
片腕になったからといって、ゴーウィンの戦いの手は緩まない。残った腕一本を振り回し、エルハを翻弄する。
エルハは体を屈め、時に跳んで攻撃を躱した。全く当たらないことに苛立ったのか、ゴーウィンはそれまでとは一線を画する手に出た。
「グッ……かァァァッ」
「何っ!?」
一旦エルハから距離を取ると、ゴーウィンは天を仰ぐように胸を開いた。するとそこから植物の芽が伸び、先に大輪の花を咲かせた。花は黒に近い紫色をして、八重咲の柔らかそうな花びらが開く。
体から花を生やした滑稽な姿になったゴーウィンだが、そこからの展開は笑い事では済まなかった。
次第に茎が薄れ、ゴーウィンの頭上に巨大な花だけが残る。エルハは何があっても良いように戦闘態勢を緩めずにいたが、その花を注視した。
すると花が一度蕾に戻ったかと思うと、突然再び花を開いた。その瞬間、噴き出したのは紫の液体だった。
「これはっ」
エルハは噴き上がったそれを躱すため、ゴーウィンから距離を取った。その間、雫がエルハの腕にかかったが、強烈な痛みを放った。
「クッ。毒、か」
やはり、ネクロの魔力を受け継いでいる。エルハは痛みを堪えて跳び、毒の雨が止んだのと同時に再び距離を近付けた。水たまりを蹴ると、
「そんなこと、構ってられないからなっ」
エルハは構わず駆け、爪を刃物のように扱うゴーウィンと真正面から撃ち合った。
キンキンッという涼やかにすら聞こえる金属音は、互いの命の取引だ。
真正面から睨み合い、二人は刃を交える。人としての相貌を失ったゴーウィンだが、その二つの
ゴーウィンの爪がエルハの肩を襲い、獣の爪のような傷を残す。反対にエルハの刃もゴーウィンの横腹を捉え、大きな傷を与えた。
「グ……グアアアアァァァ」
深々と刺さった刃に悲鳴を上げ、ゴーウィンはエルハの刃から逃れようと見悶えた。しかしエルハがこのチャンスを逃すはずもなく、より力を入れて深く深く刃を入れていく。
両断してしまえば、こちらの勝ちだ。
「……さよならです、ゴーウィンさん」
「グッアァァァァァッ」
腹に力を入れ、刃の挿入を拒むゴーウィン。それでも抗い切れない剣は、少しずつ彼の内部を崩し始めていた。
これで、勝てる。そう思った時、エルハは何かによって吹き飛ばされた。
「―――ぐっ」
エルハがいたところに、切れ味鋭い花びらが何十枚も通り過ぎる。尻もちをついたエルハは、どくどくと激しく鼓動する心臓を抱えて目を見開いた。
「……遥」
「エルハ殿下。……オレも戦わせてくれ。オレにも、過去との決別をさせて欲しい」
「わかった」
エルハに頷かれ、遥はほっとした顔を見せた。
二人がゴーウィンを顧みれば、よろけつつもしっかりと両足を踏み締めた男の姿があった。まだエルハが与えた腹の大きな傷は塞がっていない。
今が、本当に好機だ。
「遥。僕がもう一度剣を突き刺すから、横から刃を蹴り飛ばしてくれ」
「……了解」
「う、ウまくなど、イクものカ」
二人の計画に気付き、ゴーウィンは嗤う。それでもエルハと遥は、実行した。
遥が俊敏に動き、ゴーウィンを翻弄する。更に、近距離攻撃でこちらに注意を引き付ける。
ゴーウィンの注意が遥に逸れ、再び花による攻撃に入ろうとした。また閉じ始めた不気味な美しさを持つ花に、力が集まっていく。
その時、エルハは動いた。ゴーウィンの背後から素早く近付くと、再び剣を彼の腹に突き刺したのだ。
「グアアッ」
「今だ、遥!」
「おうっ」
遥は助走をつけると、狼人の全力で右足を振り抜いた。
―――ドッ
ゴーウィンの腹が裂け、彼は目を見開いた。
ドッと地に伏し、彼の体は塵のように細かくなって消えていく。酸素が足りないとあえぐ魚のように、ゴーウィンの口が動く。
「あ……ぁあ」
「終わりだ、ゴーウィン」
エルハの宣告を受け、ゴーウィンの顔がこわばった。
「まだ、ダ。まダ終わらない。……カミのにわを、ワが手に」
「……」
「……」
何かに手を伸ばすゴーウィンを見つめ、エルハと遥は無言でそれを見守った。
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