第296話 亡霊

「これからきみたちが相手取るのは、私一人ではないよ。……彼らも一緒だ」

 ゴーウィンの両手からそれぞれ現れた黒い玉は、少しずつ形を変えた。今、人の姿となる。

 彼らの正体に思い当たり、リンとエルハがほぼ同時に叫んだ

「ネクロ?!」

「……あれは、カグロか!」

「正解」

 ゴーウィンが微笑む。彼を真ん中に右と左にネクロとカグロと思われる人型の何かが、揺らめくように立っている。

 陽炎かげろうのようだった姿は、どんどんと鮮明になっていく。しかし影の色をして、掴みどころはない。

「……」

「……」

 二つの影は、無言だ。口もないのだから当然だろうが、その目が爛々らんらんと漆黒に輝いているために不気味さが増す。

「さあ、始めよう」

 ゴーウィンのその言葉と同時に、二つの影は真っ直ぐにリンとエルハへと向かってくる。

「くっ」

 物理的に殴りかかってきたネクロの拳を体をそらせて躱し、リンは相手の足を払った。バランスを崩しかけたものの、ネクロは床に手をついて体勢を立て直す。

 エルハはと見れば、彼は初見であるにもかかわらず、カグロの蹴りを足で受けていた。乱撃にも応じ、一瞬の隙を突いて横腹を蹴り飛ばした。

「リン!」

「あっ……っ!」

 エルハたちに気を取られていたリンは、克臣の叫びで自らの状況を把握した。目の前に迫っていたネクロの花の攻撃を受け、その暴風に体を持っていかれる。

 壁の穴から闘技場へと飛ばされ、ズササッと地面に体を打ち付けられた。口の中では砂の味がする。

「くそっ」

 膝の擦り傷など気にしている暇はない。リンは飛び起きて、直後のネクロの拳を躱した。

「……もう一度、ここでやろうってのか」

「……」

 口を失ったネクロに尋ねても、答えは返ってこない。それでも幾つもの花を創り出すネクロの様子から、リンは彼の負の感情を読み取った。

「エルハッ」

「はぁっ!」

 克臣の呼び声に応じるように、エルハはカグロの蹴りと拳を紙一重で躱した。そして、接近してきた相手の鳩尾を蹴り飛ばす。

 しかし痛がる様子すら見せず、カグロは何度でもエルハの生き根を止めようとやってくる。

 リンは外側へと飛ばされ、今ネクロと交戦中だ。エルハは小さく舌打ちすると、自らカグロの前へと躍り出てあごを蹴り砕いた。

 骨があるはずもないのだが、膝が何か硬いものを砕いた感触があった。

 よろけたカグロは、こちらを窺うように距離を取る。顎の不自然な凹みは、彼の中では問題ないようだ。

 そうこうしているうちに、ゴーウィンは一歩ずつ後ろへと下がっていく。その先にあるのは、闘技場内の通路だ。

「……さあ、彼らと遊んでいてくれ」

「エルハ、そこ代われ!」

「克臣さん!?」

 カグロの拳を手のひらで受け止めた克臣が、驚くエルハをけしかける。

「ゴーウィン逃がすわけにはいかない。ここは俺と融、リンに任せろ」

「……克臣、さ」

「お前は、遥と共にあいつを追え」

「行こう、エルハ殿下」

 克臣はエルハの返答も聞かずにカグロに対して大剣を振るい、遥は焦った様子でエルハに呼び掛けてくる。

 見れば、通路の向こうへとゴーウィンが消えるところだった。ここで取り逃がせば、父である国王を救うことも出来ず、仲間皆の頑張りが無駄になる。そして大元を叩かなければ、きっと王とリンの体を巣食う毒を除外出来ないだろう。

 くっと歯を食い縛り、エルハは振り返ることなく走り出した。

 エルハがその場を離れようとした瞬間、カグロの行動が変化する。

 今までは己に向かって来る者を全て敵とみなして攻撃対象としているようだったが、現在はエルハを行かせまいと克臣を押し退けようとしている。その指が大剣の刃にかかり、血に似た液体が垂れ落ちた。痛がる様子もないが、液体が触れている部分が少し溶けた。

「酸、か」

「克臣さん、大丈夫ですか?」

 思わず足を止めたエルハに、克臣は精一杯の笑みを向けた。年下に対しての、見栄ではあったが。

「俺のことは気にすんな。絶対に邪魔はさせないし、亡霊にはあの世に帰ってもらう。だから、行け!」

 克臣の覚悟が伝わったのか、エルハは無言で首肯すると遥共に姿を消した。室内に残ったのは、カグロに対峙する克臣と融のみ。

「おれもやりますよ、克臣さん。野放しになんてさせません」

「その意気だ。―――来るぞ!」

 カグロはエルハを追うことを諦め、克臣たちと戦うことを決めたらしい。一度克臣から距離を取ると、何処からか取り出した影のように真っ黒な剣を掴んだ。更に、身軽な動きで二人に斬りかかる。

 刃は右左に振られ、時に横に走ったかと思えば突き出される。そんな無茶苦茶な太刀筋に対応しようと融が念の盾を創り出した時、頭上に慣れ親しんだ影が差した。

「ノア!」

「ほうっ」

 呼応するように鳴くとノアは急降下し、カグロの漆黒の目をつついた。

 流石に痛みがあったのか、カグロは苦しむように頭を抱えた。まさか上空からの敵襲があるとは思わなかったのか、カグロはそれこそ剣を振り回してノアを顔からどけようとする。しかし、ノアは簡単には離れない。

 バサバサと羽ばたきながらカグロの視界を邪魔するノアに、融は声をかけた。

「よくやった、ノア」

「ほうっ」

 早くとどめを刺せ、そう言っているようにも聞こえた。

 克臣はといえば、ノアの急襲に感心していた。そして、カグロから剣をはたき落とす。

 改めて丸腰となったカグロを、背後から床に全体重を使って押さえつける。カグロも抵抗し、二人はもつれるようにして倒れてしまった。しかし克臣はうまく逃げて、カグロを下敷きにすることに成功した。

 ノアは叩きつけられる前に上空へと逃げている。

「……ッ」

「悪いが、亡霊は帰る時間だぜ?」

「―――!」

 カグロがびくっと体を跳ねさせる。今、融が克臣の援護をしようとカグロの右足を念の力で拘束したのだ。何かに潰されるように膝が凹んでいる。融の力が足の上空からかかり、足を潰そうとしているのだ。

 克臣は暴れようとするカグロの腹部を右足で押さえ付けたまま、大剣を彼の胸に突き刺した。

 その瞬間、カグロが痙攣けいれんする。剣を引き抜けば、ぽっかりと空いた穴がこちらを睨みつけている。

「……ネク、ロ。我が、息子。必ず、果たせ。我ら願、いを」

 うわ言のような言葉が、たどたどしくカグロから聞こえてくる。しかしそれを遮って、克臣はきっぱりと断言した。

「いや、果たさせはしない。これは、約定だ」

 銀の華が交わした願い、依頼。どんなことがあろうとも、必ず成し遂げる。そこに呪いの言葉が存在しようと、それ以上の温かな光で包み込むのだ。

「―――がぁあああぁぁぁああぁぁぁぁぁあっ」

 獣の断末魔のような声を上げると、カグロの体に無数のひびが入った。

 次の瞬間、パリンッと音をたてて『カグロだった者』は何処かへと消えてしまった。あまりにも呆気なく、克臣と融は目を見張った。

 欠片すら残さず、二人の前には何者もいなくなった。

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