第295話 思い出を踏み越えて
ゴーウィンの手から放たれたのは、毒々しくまがまがしい魔力の集合体だった。迫るそれから身を守るため、エルハと遥は同時に反対方向へと跳ぶ。
目標を失った魔力はそのまま真っ直ぐに壁にぶつかって、破壊した。穴の先には闘技場があり、壁に穴が開いたり地面がえぐられたりしている。激しい戦闘があったことがよくわかる跡だ。
「次は、逃しはしない」
「エルハ殿下、オレの後ろに」
遥の盾となろうとする心意気は敬服に値するが、エルハはそれをあえて拒否した。前に出ようとする遥の肩を引く。
「いいよ。それよりも、共に戦おう」
「ともに……」
ぽかんとする遥に、エルハは苦笑した。
「何だい? 王族が戦うということが、そんなに珍しい?」
「あっいや、そうじゃない」
ハッとした遥は、数回左右に頭を振った。
「自ら戦おうとする王族は、あんた以外にもいる。イリス殿下もヘクセル姫も、幼いノエラ姫でさえも国民のためなら前に出るだろう。だが、なんとなくあんたはそんな柄じゃないと思っていた」
「……っ」
声もなく、エルハは笑った。自嘲に近いものだったが。
「僕は銀の華に出逢うまで、仲間なんてものを信じていなかったから。その雰囲気が、まだ残っているんだろう」
だけど。そう言って、エルハはゴーウィンを見据えて剣を構えた。
「残念ながらと言うか幸いと言うか、僕はもう昔のエルハルトじゃない」
「……そうか」
エルハのはっきりとした物言いに、遥はそれ以上言葉を並べることはなかった。
二人の会話がようやく終わったことを知り、ゴーウィンが嘆息する。
「最期の話は終わったか? 待ちくたびれたぞ」
「最期?」
チャキ。エルハは剣を鳴らし、不敵に微笑んだ。
「最期になんて、しやしないさ」
「負け惜しみを!」
エルハの刃と遥の蹴りを躱し、ゴーウィンはその手から魔弾に似たものを吐き出す。
それらを叩き斬ったエルハは、再び距離を詰めた。その傍では、遥が連投される魔力の塊を蹴り飛ばしている。コントロールによってエルハには全くあてず、全てゴーウィンに対して跳ばしているのは流石と言うべきか。
接近戦に持ち込まれ、ゴーウィンは舌打ちと同時に自らの剣を創り出した。エルハは初見だったが、それはネクロが使っていたものとよく似ている。ゴーウィンがネクロを吸収した結果だ。
大きく持ち上げられたゴーウィンの剣が、真っ直ぐにエルハへと振り下ろされる。
「くっ」
エルハはその重い剣を受け止め、弾き返した。ゴーウィンは構わずに、何度も剣を振り下ろす。エルハもまた、カウンターを狙って繰り返す。
傍目には、力は拮抗しているかに見えた。しかし、当人には違いがわかる。エルハは、己が押されていることを自覚していた。
金属音が一度鳴る毎に、数ミリ後ろへ下がっている。それは取るに足らない変化だが、十分過ぎる変化でもあった。
「どうした、エルハルト様? 幼き時よりサボった報いが、今この時ではありませんか?」
「そう言われると、何とも言えない───ねっ!」
力一杯ゴーウィンの剣を弾き返し、エルハは肩で息をついた。
幼い頃、エルハは日陰の王子の異名通りにほとんど人前には出ず、本を読んで過ごすことが多かった。何度かゴーウィン等に誘われて剣術の稽古をしたこともあったが、体力がついていかなかったのだ。
「懐かしいですね。あの頃、既にあなたがこの計画を練っていたとすると、やりきれませんが」
「思い出話など、不要だろう。とうの昔から、私たちは敵同士だ」
「そのようだ!」
エルハはゴーウィンの懐に突っ込もうとしたが、巧みな剣術に阻まれる。その隙を突いて遥が背後から迫るが、それもゴーウィンは後ろ手から魔弾を発射することで対応してみせた。
もはや、老年に差し掛かろうとする年齢の男の動きではない。改めて、ゴーウィンは人であることを捨てたのだと思い知らされた。
「うわっ」
「くっ」
同時に押し切られ、エルハと遥は後方に飛ばされた。壁に打ち付けられると覚悟した瞬間、柔らかなものが二人を受け止めた。
「え……」
「大丈夫ですかっ。エルハさん、遥!」
「リン?! みんなも」
エルハが衝撃を受けずに目を開けると、後ろから自分を覗き込むリンの姿があった。遥の傍には、克臣と融の姿がある。背後の柔らかいものの正体は、融の念の力によって創られたクッションだったようだ。
リンはエルハの無事な姿を見て、はぁっと大きく息を吐き出した。
「間に合った……っ」
「リン、きみも怪我して」
「今は、そんなことどうでも良いです」
エルハの心配を遮り、リンはゴーウィンと向き合った。服が破れ、血がにじんでいる。エルハはその腕や足のただれは何だと問いたかったが、リンにそれを許す気配はない。
「来たか、銀の華の連中よ」
「ゴーウィン・ウォンテッド。ネクロやカグロと共に、今ここで葬ってやる」
リンは体の痛みに蓋をして、真っ直ぐにゴーウィンを見据えた。何も知らない者が見れば、リンは無疵にすら見えただろう。
しかし、ゴーウィンはネクロをも取り込んでいた。
「そんなことをする余裕があるとは思えないがな、銀の華のリン。お前の体は、ネクロの毒に侵され続けているのだから。もう、立っているのさえ辛いのではないか?」
「……」
ちんもくをもって答えとするリンに、エルハと遥は言葉を失った。振り返れば、克臣たちも諦めの表情だ。
「お前が、こういう時は強情だってことくらい、俺たちは知ってるからな」
「すみません、克臣さん」
困った表情で謝罪したリンは、本当ならばふらついているであろう足を、しっかりと一歩踏み出した。
「安心しろ。お前たちを倒した後、いくらでも休んでやる」
そう言うと同時に、リンは剣をゴーウィンへ向かって突き出した。
神速で放たれた剣撃を真面に受け、ゴーウィンは地を踏みしめて耐え忍んだ。それでもダメージは避けられず、残った腕の一部がはく落する。
「……ふん」
ゴーウィンはぐるりとリンたちを見回し、全員が自分への戦意をみなぎらせていることを悟ると、高らかに笑い声を上げた。
「ハッハッハッ! この国に
ゴーウィンは笑いを収めると、両手を開いた。そこから、ズズズ……と異様な音が響く。
何が起きても良いよう構えているリンたちに対し、ゴーウィンはその黒々とした瞳を細めた。
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