追憶の望み
第294話 偽りの笑顔
エルハは闘技場の建物内で、とある人物を探していた。
一時的に大量の人々が外へ向かった気配を感じたが、エルハはその時通路から外れた場所にいたために大混雑とは無縁だった。先に進むためには通る必要があったのだが、数分間時間をずらすことで巻き込まれずに済んだのだ。
幾つかの通路を横切り、部屋の前を過ぎる。
「さて、どうするかな。……ん?」
よく知る男の後姿を見た気がした。その背を追い、エルハはとあるスペースに入り込んだ。
そこは、物置の傍にある空きスペースだった。誰も近付きもしないこんな場所に、一体何の用があるというのだろうか。
「……ゴーウィンさん」
「エルハルト様、何故」
「それは、こちらの台詞ですよ。どうしてあなたがこんなところにいるんですか?」
「……」
虚を突かれたらしいゴーウィンは黒目を彷徨わせた後、わざとらしくにこりと微笑んだ。
「どうして? 武術トーナメントというものが気になりましてね。この国を支える未来の武人たちの成長を……」
「もう、偽るのはやめませんか?」
「エルハルト様」
「ゴーウィンさん、あなたはネクロ側の人なのでしょう? それどころか、ネクロを裏で操っていたのはあなただ。亡き兄の無念を晴らすため、僕の父上を殺そうとしている。また、国を乗っ取った暁には、
「……」
エルハの追及に沈黙を守っていたゴーウィンは、ふっとため息をついて諦めたように笑った。
「……ばれてしまっていましたか」
その笑みは、企てが露見したことのみを憂いていた。
「では、あなた様を消さねばならないようだ」
その時、邪悪としか言えない気配がエルハの背後を襲った。鳥肌を自覚して振り向けば、何処から現れたのか、黒い塊が宙に浮いていた。
「来たね、ネクロ」
「ネクロ、だって?」
そこにはあの、違法魔力を扱う男の姿はない。しかしながら塊がまとう気配の中に、あの男のものが交じっているのは間違いないのだ。
更に別のものも混ざっているような気がするのだが、エルハにはわからない。しかしその答えは、ゴーウィンからもたらされる。
「……ああ、我が兄もそこにいるようですね」
「カグロ・ウォンテッドか」
ゴーウィンの声に呼応するように、塊が彼のもとへと向かう。それを手の中に収め、ゴーウィンは影のある笑みを浮かべた。
「これで、私たちは一緒だ」
「何っ」
手のひらから、塊がゴーウィンの中に吸い込まれていく。
全てが己の中に吸収されると、ゴーウィンは「うっ」と胸を押さえた。その瞬間、空間が震えた。ドクン、と鼓動した。
「……なん、だ?」
エルハは動揺しながらも、ゴーウィンの変化から目を離すことが出来ないでいた。
手のひらを起点にして広がる黒い気配、ピリピリと肌を焼くような緊張感、そして真っ黒な双眸が覗く。人の背であったはずの場所からは、人ならざるものの角ばった翼が肌を破るように生えていた。
「……っ!」
───ビュンッ
目の前の何かから、弾丸のような攻撃が繰り出される。エルハは咄嗟に避けることが出来ず、その場で身を固くした。
「エルハ殿下っ!」
「きみはっ」
身を挺してエルハを守ったのは、ゴーウィンのもとにいた
ガクッと体勢を崩す遥に、エルハは駆け寄った。
「大丈夫か?! 何でここに」
「イリス殿下からの
「兄上が?」
「ここはもういいから、弟を頼む。そう言われた」
「……なら、兄上は無事なんだな」
「あんたの仲間もな」
遥の言う仲間とは、リンたちを指す。エルハもそれを承知で、にやっと笑った。
「それは、何となくわかってたよ。ゴーウィンがネクロとカグロを吸収したからね」
「……吸収?」
どういうことだと詰め寄る遥に、エルハは正解を持たないと前置きをした。
「少なくとも、ネクロは負けた。そして、その力の残骸だけがここにあるんだ」
「……」
ごくり、と遥が喉を鳴らす。目の前にいる敵が、自分を慈しんでくれたゴーウィンだと言われても、素直に受け入れることは難しい。
「……本当に、あんたはゴーウィン様なのか?」
「ククッ。遥、お前がまさかそちら側に寝返るとはな」
誤算だったよ。そうゴーウィンは言った。本当に残念そうに、またこの結末がわかっていたかのように。
「遥とイズナは、分け隔てなく育てたはずだったが。……さて、何処で間違えたかな」
「あんたに、一つだけ尋ねたい」
エルハの前に出て、遥はゴーウィンを真っ直ぐに見た。狼の耳は、何も聞き漏らすまいとするかのように地面と垂直に立っている。
「……あんたは、オレとイズナをこの計画のために育てたのか?」
「そうだ。二人をそれぞれ王都の端で見つけた時、底知れない可能性を感じた。この二人ならば、我が野望に役立ってくれると確信したんだよ」
イズナは捕まったようだがね。さほど悲しんでもいない声色で、ゴーウィンは嘆いた。そして、黒々とした太く鋭い爪を持つ手を遥へと伸ばした。
「また私のもとへと戻ると言うのなら、まだ許そう」
「……そうかよ」
「遥?!」
遥はエルハの横を通り過ぎ、ゴーウィンへと近付く。それを止めようと手を伸ばしたエルハの手は、弾かれる。
「……遥」
「ククッ。やはりお前も、我がむす……」
───ザンッ
ゴーウィンの腕が千切れた。その瞬間を視覚出来ず、ゴーウィンは呆然と動きを止めた。
しかし、次の瞬間には血のような黒い液体が切り口から噴き上がった。
「グッ……。はる、か、貴様!」
「あんたとの縁は、今別たれた」
一蹴した遥が着地する。その足には、獣のような鋭い爪がかかとについた靴を履いていた。後ろ蹴りをした時、この爪によって腕を千切ったのだろう。
思わぬ反撃にあって唸るゴーウィンを尻目に、遥はエルハへと片手をさしのべた。
「オレは、あんたたちの側で戦うよ。育ての親と兄弟の罪を、オレが断じてやる」
「……ありがとう、遥」
エルハは遥の手を取り、ぐっと強く握った。二人の盟約は成り、一つの敵へと向かい立つ。
「残念だ。真に、残念だよ」
ゴーウィンは千切れた腕を捨て、残った手のひらをエルハたちへと向けた。そこに、彼の中にある違法魔力が濃縮される。
「さよならだ」
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