第297話 広がる、赤
荒く、激しく肩が上下する。リンは頬を伝った冷汗を拭った。
(そろそろやばいか……)
ネクロとの再戦が始まって五分ほど経つ。リンは不注意で負った二の腕の傷に顔をしかめ、胸元を握り締めていた。
ドッドッと不自然な鼓動が耳に響く。己の治癒力と毒がせめぎ合っているのだ。
本来ならば、既に昏倒して体を休めて治癒に専念すべきなのだろう。しかし、状況はそれを全く許さない。
リンは目の前で軽くジャンプする男を睨みつけた。男――ネクロは一度その命を失ったはずだが、何故かゴーウィンの力で新たな姿を手に入れている。
影のような真っ黒な肢体と暗黒のように光る双眸を持ち、そして何よりもやり場のない強大な怨恨の感情がネクロから発せられている。
―――ヒュンッ
ネクロの姿をした何かが、軽い動作で強力な拳を撃ち込んできた。それを紙一重で躱し、リンは回し蹴りを放つ。
一応は敵の横腹にヒットしたが、ほとんどダメージは与えられない。よたつく様子もなく、ネクロは再び拳を突き出した。
「くそっ」
真っ直ぐ胸に向かって来ると思われた拳は逸れ、右肩に着弾する。バキッという嫌な音が聞こえたが、リンは肩の具合を気にすることなく相手の勢いを利用して後方へと投げ飛ばした。
骨にひびでも入ったか。毒の作用がなければ瞬時に回復させることも出来るが、今はそれに期待出来ない。リンは肩に手を置いて、ふっと息を吐き出した。
「お前、ネクロだろ。何で、俺の目の前にいるんだ?」
「……」
「って、答える口もないか」
気になったことを尋ねてみたのだが、ネクロに反応はない。やはり、完全なる殺人マシーンとなってしまったと考える方がよさそうだ。
リンは、後ろを振り返りたい衝動にかられた。
エルハや克臣たちの様子が知りたい。もう一人の
みんなが無事でいるのか。ここではない場所にいる、ジェイスと晶穂のことも気にかかる。
(会いたい)
無性に、仲間に会いたかった。大切な人に会いたかった。これは、本当にやばいのかもしれない。そう思った。
そんなことを考えていたのが、いけなかったのだろうか。
「―――かはっ」
肉体技ではない。視界の端に、紫の花びらが舞う。
ネクロの得意技だ。毒を多分に含んだ花から飛び出す嵐。その切っ先が、リンの鳩尾をえぐった。
けほけほと腹を押さえて咳を繰り返すと、口にあてた手のひらに血の塊が落ちていた。そのまま唇を拭うと、手の甲に赤が広がる。
「……」
思った以上に、衝撃的だった。生まれて初めて、死を意識した。
くっと奥歯を噛み締め、リンは鉄の味を喉の奥へと押し込んだ。
気付けば、こめかみからも血が流れている。じわりとした痛みがあるが、それは気を失わないための最後の綱だ。
足首のただれは、少し落ち着いてきている。その代わりに増えていく外傷と、静かに広がる内部の損傷。それら全てを抱え込んで、それでもリンは地を蹴った。
勢いよく飛び出す蔓を剣で斬り、絡みつきそうになる花びらを払い落とす。ネクロは無感情なままに、幾つかの花を創り出した。
花々からは、
「これも、か!」
リンは翼を広げ、風を起こして粉を散らす。ただし、目にだけは入らないようしっかりと見定めた。
風を
「―――ちっ」
剣を構え、その花を両断する。先程はそれでネクロを倒すことが出来たわけだが、今回はそうはいかない。花が塵と化しても、ネクロはこちらを向いて立っていたのだから。
思わず舌打ちして、リンは剣から杖に持ち替えた。
光の魔力を増幅させ、ネクロの心臓向かって放つ。ネクロはそれを防ごうと再び花の盾を生成するが、リンも負ける気など毛頭ない。
「うおぉぉぉぉぉぉぉっ!」
気迫と共に、魔力の放出が強まる。ネクロ側には感情の波がない。ただただ、機械的に花びらを増やしていく。
花びらが一枚増える毎に、防御力が上がるらしい。一枚、一枚。何処からか現れる薄いそれは、リンの攻撃を確実に妨げる。
「……っ」
体の何処かで激しい痛みが走る。ガクッと体勢を崩しそうになるが、今ここでやめれば後はない。リンは歯を食い縛り、杖を持つ指に力を入れた。
魔力放出のために、治癒力が下がっているのだ。治癒の力は魔力を源泉にしている。その影響だろうと、苦しい中で結論付ける。
だからといって、自分かわいさだけに気を使うつもりはない。
リンは死力を尽くし、ネクロを倒すことだけに全力を注ぐ。
―――ボロッ
ネクロの花の、一部が崩れた。一枚の花びらが散る。
それは一枚、また一枚と少しずつ影響を及ぼしていく。
人一人の大きさがあった花は、今や八重中、三重の花びらを失った。もう少しで、更に内側の花びらを落とせる。
「はああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
気合を再度入れ、リンは集中力を増す。ネクロの盾の核にひびが入った。
(いける!)
そう確信した瞬間、ネクロの顔が笑ったように見えた。顔には口もないのに。
不思議に思った直後。
「……ごはっ」
リンは吐血した。
ぴくり。晶穂は王の部屋でふと顔を上げた。未だに予断を許さないシックサード王の経過を見守るため、彼女はジェイスと共に待機しているのだ。
「どうした、晶穂」
「ジェイスさん。……いえ」
晶穂は胸を押さえ、首を傾げた。その顔色はあまり良くない。
「何故か、胸がざわつくんです」
「……奇遇だね。わたしもだよ」
「ジェイスさんも?」
驚く晶穂に頷いて応え、ジェイスは窓の外へと目をやった。その先には、リンや克臣たちがいるはずの闘技場がある。
晶穂は胸の前で指を組み、きゅっと目を閉じた。
「どうか、無事に帰って来て―――」
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