第292話 更なる敵

 ―――ドクン

 魔の巨人の動きが止まる。リンはダメ押しにとより深く刃を差し込んだ。ネクロだったものの背中から、光る剣の切っ先が覗いた。

 血が流れるように、紫の液体が背と胸を流れていく。もう一息だ。リンは気合の唸り声を上げながら、腕に力を入れる。

「おおぉぉぉっ!」

 ズズッと剣を抜くと、魔の巨人は棒立ちになった。まるで弁慶の立ち往生のように。びくっと体をけいれんさせ、巨人は途切れ途切れに言葉を吐き出した。

「わ、ワたし、は……」

 リンの目の前で、剣が刺し抜いたところから消されていく。

 さらさらと砂のように風の中に囚われていくことにようやく気付いたのか、紫の花々がぼろっと落ちていく。それらも地に溶けるように消え失せ、魔の巨人と言われた何かがいなくなっていく。


 揺れ、霞む視界の中。ネクロは体が軽くなっていく奇妙な感覚に陥っていた。

(私、は……)

 強く激しい呪いに似た願いに引きずられ、随分と遠くまで来てしまったように思える。己を失ってもなお、鎖のように精神に絡み付く熱情。

 遠くに、懐かしい人が手を振る姿があった気がした。それに応えようと手を挙げかけた時、急に目の前が暗くなった。

(……ぁ)

『ネクロ。アとは、わタしにマカせろ』

(父、うえ)

 ネクロの視界を覆ったのは、深海の如き暗さを持つ瞳で息子を見つめる男の姿だった。それが何故父とわかったのか、ネクロに説明することは出来ない。しかし、何故か父だと断言出来る。

 既に人としての生を終えた魂が、彼岸で息子を待っていた。

 ネクロは、ほっと体の力を抜いた。父ならば、我が一族の悲願を叶えるだろうという安心感がある。もう、疲れてしまったのだ。

 ゴーウィンには申し訳ないが、父がいれば叔父も許してくれるだろう。

(父上。あなたに全てをお譲りしましょう)

 違法魔力に手を染め、己の体と心をもそれに呑み込まれた。これ以上のことがあったとて、構うことなどあろうはずもない。

 ネクロの心は黄泉へと沈み、代わりに何かが浮上してきた。


「よくやったな。リン、融」

 魔の巨人の体の半分以上が消え去り、克臣はもう危険はないと判断して大剣を下ろした。

「いえ、克臣さんが引き付けて下さったお蔭ですよ」

「ああ」

「お前ら殊勝だな……」

 観客もスタッフも誰もいなくなった闘技場に、三人の落ち着いた笑い声が響く。その光景を客席から覗いて見ていたジスターニは、自分の傍にやって来た影に気付いて振り返る。

「これは、イリス殿下」

「ジスターニ、誘導をありがとう。それに、彼らにも感謝を伝えないといけないな」

 イリスがくすっと笑った矢先、急に辺りの空気が冷え込んだ。

 ぶるりと体を震わせ、リンは「何だ……」と視線を巡らせる。融と克臣もきょろきょろと周りを見て、三人は同じ方向に目を固定した。

「何だ、あれ」

「俺が知りたいです」

「何で。……何がどうなってる」

 三人の視線の先にあったのは、魔の巨人の残骸であったはずだった。さらさらと砂のように原形をとどめない程崩れていたはずのものは、その形を変えていた。

 ずずず……。おどろおどろしい音をさせ、底なし沼のような色に変わっている。更に人の原形を保たず、ただの塊のようになっていた。

 固唾を呑む三人の目の前で、それは空へと飛び上がる。

 何かを探すようにふらふらとした後、急に直角に曲がり、闘技場内の何処かへと飛び去った。

 呆然と見送った三人は、しばしの時を置いてはっと我を取り戻す。

「しまった。逃げられたか!」

「追いましょう。克臣さん、融」

「向かったのは……建物の中、か?」

 闘技場の建物の中と聞き、リンの顔が青ざめた。

「まずい。中には」

 リンの言葉で克臣も思い出したのか、クッと喉を鳴らした。表情を険しくし、二人の青年に言う。

「追うぞ。―――エルハが危ない」

 三人が走り出したのとほぼ同時に、客席にいたイリスとジスターニも踵を返した。

「みんな、私も行く!」

「イリスさん!?」

 リンが声を上げたのは、客席へとつながる通路と交わる丁字路だった。驚きに声もなかった融が、リンを差し置いて前に出る。

「殿下、もう逃げおおせられたと思っていましたよ。……どうして、ここにまだおられるんですか?」

「私には、結末までを見届ける義務がある。先代たちが残した思いがたどり着いたのがこの出来事なら、この国の王太子である私が責任をもって見届けなければならないんだ。……頼む」

「殿下……」

 言葉を失い対応に迷うそぶりを見せる融の頭を、大きな手が撫でた。はっと見上げれば、ジスターニが諦めの表情で笑っている。

「諦めろ、融。殿下は、お前が思っていることくらいはわかっておられる。それでもとおっしゃっているんだ」

「わかってますよ、それくらいのことは」

 ジスターニの手を払い除け、融は嘆息した。ここで時間をかけている暇はない。

「行きましょう。殿下」

 良いだろう? そう問われ、リンは克臣と顔を見合わせて頷いた。

 ―――バタンッ

 何処かで何かが倒れるような音がした。その方角から、ネクロから感じていた気配に近いものを感じる。

「急ぎましょう」

 皆を急かし、リンはどんどんと濃くなる黒い気配に顔をしかめた。そして、とある場所に駆け込むことになる。




「ジェイスさんっ!」

「晶穂、絶対に動かないで」

 ずぶ濡れのまま、ジェイスが務めて冷静な声をかける。天蓋のついたベッドに眠る国王は、幸いにも濡れていない。晶穂の身は、ジェイスの魔力によって創られた空気の屋根に守られていた。

 変幻自在の水を相手に、ジェイスは気の弾丸を放った。

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