第289話 光糸の舞

 ぼたり。落ちたのは頭から滴った血だ。交戦中に何処かのタイミングで傷を負ったらしい。

 血が目に入らないことだけを願いながら、リンは目の前の男の挙動に注意した。

 ネクロもそれほど余裕があるわけではないらしいが、遠距離攻撃を得意としているためか疲労の色は薄い。今もまた、毒花の花びらを竜巻のように巻き上げてリンにぶつけてきた。

「何度も……同じ手を食うかッ」

 リンは跳躍して翼を広げ、竜巻を躱すと振り返りざまに剣撃を放つ。光の刃は竜巻を両断し、無残に散った花びらが消え失せた。

 花びらの向こうに、こちらへ敵意をむき出しにするネクロの姿が見える。その姿がわずかにぶれたのを見て、リンは内心首を傾げた。

 そして再び竜巻を繰り出される前にと、リンは空中から一直線に落下した。

「おおぉぉぉぉっ!」

 剣が光を帯び、真っ直ぐ振り下ろされた刃が何かを両断する。

 それは、ネクロを守るように開いた巨大な花だった。砂塵のようにかき消えた花の後ろで、ネクロは信じられないものを見るような目をした。リンを指差し、問う。

「何故、これが見えた?」

「見えはしていなかった。気配を感じてはいたけどな」

 巨大な花は、視覚の中には無いものだった。リンが両断したことにより、初めて白日のもとにさらされた。

「おかしいと思ったんだ」

 リンは言う。斬られた覚えもないのに、いつの間にか肌が斬られている。血が流れているのに気付いて、初めて自分が怪我をしていると知るのだと。

 花には、膨大な魔力が注ぎ込まれていた。花と共に魔力も霧散し、ネクロは計画が崩れ始めたことを自覚したのだろうか。

 リンは頬の傷を拭い、悔しげにこちらを睨み付けるネクロを指差す。

「その花だったんだろう? お前の刃以上に、盾のように立つ花が、その鋭利な花びらで俺を攻撃していたんだ」

 そして守ってくれる花が失われたことで、ネクロの正面はがら空きになった。

「俺も、正直限界だ。だから、終わらせる」

「……やってみろ。私たちの計画は、何があっても達成するのだから!」

 ネクロはあの毒を含んだ剣を構え、何処からでもかかってこいと嗤う。リンは自分の中に広がる毒素を自覚しつつ、それが出来得る限り押さえつけられるよう願った。

 どくどくと、不自然に速まる心臓の音が痛い。

 痛む足に鞭打ち、地を蹴った。次々と襲い来る花を躱し、斬り捨てる。リンはタンッと飛び上がると、迷い無く剣を突き立てた。

「ククッ。お前……そんなことをしても私を倒すことなど出来んぞ」

 ネクロが笑ったのも当然で、リンの彼の目の前に剣を突き立てたのだから。

 せせら笑うネクロに、リンは余裕の笑みを浮かべて見せる。ネクロがたじろくと、リンの剣が引き抜かれた。

「こういうことだよ」

「な────っ」

 剣が抜けた場所から、一本の光輝く蔓が伸びた。それはするすると伸び、一本の脇からは更に何本もの光る糸が生み出されていく。

 それらは絡まり、驚き固まるネクロをがんじがらめに捕縛していく。

「これは……っ」

「驚いただろう? これで、殺さなくても再起不能に出来る」

 糸が足を絡め取り、腹に伸び、胸を辿る。ネクロが暴れようと、糸の伸びは止まらない。

「このっ」

光糸こうしの舞ってところか」

 植物の蔓のような糸は、やがてネクロの動きを間然に制圧した。

 ギリギリと歯を噛み締めるネクロの相貌は、鬼の面のようだ。

 リンは剣の切っ先をネクロの喉元へ向け、言い放つ。

「お前の敗けだ、ネクロ・ウォンテッド。今、エルハさんがゴーウィンを説き伏せ、応じなければ斬り伏せているだろう。……お前たち、親子二代の見果てぬ夢は、終わらせた。観念して……」

「誰が……」

 リンの言葉を遮ったネクロは、わずかに動かせる右手に握った剣先をゆっくりと自分に向けた。

 ピキピキ、と光糸が限界を知らせる音を鳴らす。一本切れ、二本切れた。

 ネクロは右手に握る剣を胸元へ向けて、躊躇無く突き刺した。だ。

「なっ?!」

 驚いたのはリンだけではない。客席の克臣も融もジスターニも、その場にいる観客も全てが、目を見開いて現状を理解出来ずにいた。

 ネクロの胸からは、一筋の血が流れ出した。

 それはネクロの体をなぞり、闘技場の地面を濡らした。

 誰もが、試合は終わりを迎えたと考えた。

 しかし、ネクロは立ったまま倒れない。微動だにせず、その場で顔を伏せたままいる。

 徐々に、気配が変わる。

 剣が、形を変える。糸のようにほどけ、ネクロの体を覆っていく。黒と紫の糸によって絡め取られ、ミイラのようなものが出来上がった。

「なんだ……」

 リンは臨戦態勢を解かず、剣を前に構えて固唾を呑む。

「……お前に、お前たちに見せてやろう」

 とどろくような声が響く。それは地を揺らすような重低音。何処から聞こえるのかと思えば、ネクロであるはずのものからだった。

 ザワザワと鳥肌が立っていく。ぶるっと身震いし、リンは深呼吸した。雰囲気に呑まれてしまう、そう思ったのだ。

 突如、ミイラの糸が一本切れた。

 糸は一本ずつ、次いで何本も一緒に切れていく。ブチブチと不快な音が闘技場に響き渡り、どこかで赤ん坊が泣く声がした。

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