第286話 呼んでいない来訪者
「始まった、か」
水鏡に闘技場のリアルタイムを映し、ジェイスは呟いた。
ここは、王宮の最奥にある王の部屋。徐々に体を侵食した毒によって、病を発症した王が眠る寝室でもある。
晶穂はその王の看護にあたっており、ジェイスはその付き添いだ。
(本当なら、ゴーウィンさんがやっていたことだけど)
ゴーウィン・ウォンテッドは、ネクロの叔父であり尚且つ今回の王の病の原因を作った人物であると明らかになった。兄弟として育ったイズナと別れてこちらに味方した
王の側近であったゴーウィンだが、ここ数日は全く王宮で姿を見かけないという。
(まあ、正体が王を陥れようとする張本人なんだから出て来辛いよな……)
むしろ何食わぬ顔で出てこられると、その厚顔に脱帽しそうだ。そもそも出て来るつもりもないのだろうが。
ジェイスはそこで思考を中断させ、王につきっきりの晶穂に視線を移した。
晶穂は文字通り一心不乱に、神子の力を眠る王に注ぎ続けている。その表情は懸命であり、外界の刺激を遮断するためか瞳は固く閉じられている。
「くっ……はぁっ……」
時折聞こえる呻き声は、晶穂の力と違法魔力とがぶつかり合っているために漏れる声だろう。晶穂によれば、王の体内で暴れている毒は徐々に内臓や神経へ圧迫を強めているのだという。
ジェイスは何人たりとも晶穂に近付けさせないために、強固な結界を張った。分厚い空気の壁は、ある程度の力ならば全て跳ね返す。
───ガタッ
「……何だ?」
部屋の外で物音がした。だからと言って戸を開けるわけにはいかないのだが、ジェイスは半分ほどの神経をそちらへ向けた。
その時、王の部屋の窓が割れた。格子の窓枠も同時に壊され、パリンよりもバキッという効果音が最適だ。
「お前は───ッ」
「よお。……流石の反射神経だな」
出入口側にいたジェイスは、数秒で反対側にある窓の傍へと移動した。その素早さを褒め称え、ニヤリと笑った者がいる。
「イズナ」
「こっちも駒が多くないんでな。また来させてもらった」
残った窓枠に手を掛け、イズナは部屋の中を睥睨した。ちなみに、ここは三階である。
「王といつもいる嬢さん、そしてあんたか。相手にとって不足なし」
「……っ」
イズナは反動をつけると、部屋の中に飛び込んだ。その手には鋭利なナイフが握られている。真っ直ぐに王の首を狙っている。
「ジェ……」
「任せて」
殺気を感じて目を開けた晶穂の肩を軽く数回たたき、ジェイスはイズナの前に飛び出した。
同じ頃、サラは外宮のノエラの部屋にいた。ヘクセルがイリスの代わりに王宮での執務にあたっているため、ノエラの世話をクラリスと共にしているのだ。
現在、ノエラは勉強の時間だ。招いた家庭教師の女性から、この国の歴史について学んでいる。歴史の講義は好きらしく、テキストの絵をキラキラとした瞳で見つめていた。
サラは特にいる必要はなかろうと席を外し、お茶と菓子を用意するためキッチンへと向かった。
カチャカチャと人数分のカップとソーサーを並べ、それに加えてお茶菓子にとカステラを切り分ける。紅茶は、ノエラの分だけ冷たいミルク入りだ。
「サラ、ありがとね」
「クラリスさん」
キッチンの入口からこちらを覗くクラリスに、サラは笑みを向けた。
「これくらいのこと、何でもありませんよ。好きでやってることですし」
「それもだけど……。ここに残ってアタシの手伝いをしてくれてることだよ」
クラリスはキッチンに入り、サラの顔を覗き込んだ。きょとんとしている猫人の娘が、クラリスの瞳に映り込む。
「あんたは、あの団長さんたちに比べれば、ここに残る理由が弱い。戦えるわけでもないし、決定権を持つわけでもなく、癒しの力を持つわけでもない。だけど、自分がここにいる意味を自らの力で見い出そうとしてるように見えるよ。それは凄いことだ、誇っていいんだよ」
「あたしは、そんな大層な者じゃないです。ただ、エルハの故郷のために何かしたい、それだけなんですから」
ほら、ノエラ姫が待っていますよ。
二人分のカップとカステラが乗ったお盆を持ち、サラは微笑む。三人分持って行かなければならないのだが、一人で持つには多すぎた。
「大きい方、貸しな」
「はい」
クラリスはサラから二人分のお盆を受け取ると、くるりとサラに背を向ける。そのまま軽やかにノエラのもとへと向かう彼女の背に、サラはぽつりと呟いた。
「それに、あたしはもう残る理由は薄くないんですよ」
数日前にエルハと交わした会話を思い出し、サラは胸の前で両手を握り締めた。
「……さ、早く行かなくちゃ」
サラは自らを鼓舞するように言うと、一人分のお盆を持ってキッチンを出た。廊下を進み、二つ目の角を右に曲がればノエラの部屋である。
しかし最初の十字路で、サラはある人物とぶつかりかけた。
「きゃっ」
「わっ。だ、大丈夫か?」
かろうじてバランスを保ち、サラはお盆を死守することに成功する。その安堵も束の間、差し出された手の主を見上げて言葉を失った。
「あ……アゼル武官長!?」
「きみは……すまない。会ったことがあったかな」
申し訳なさそうに眉をひそめるアゼルに、サラは「いいえ」と小さく首を横に振った。
「エルハ……エルハルトから聞いています。どのような方なのか。それそのままのお姿でしたから、驚いたんです」
「そうか。……きみが噂の」
「噂の?」
かくんと首を傾げたサラに、アゼルは笑みを含んだ声で教えてくれた。
「エルハ殿の恋人なのだろう? 本人からも聞いたし、イリス殿下やヘクセル姫からも聞いているよ」
「いつの間に……。でも、その通りです」
嬉しそうに頷くサラを眩しそうに見て、アゼルはうんうんと頷いた。
「これからも彼を宜しく頼むよ。私は用が……そうだ」
「何でしょう?」
「きみは、知っているか? エルハ殿が、今後どうなさるのか」
ふっと表情を改め、アゼルは真摯な態度で尋ねた。だからこそ、サラも真剣に答える。
「……ええ、知っています。ですが、これは本人からお聞きになった方が宜しいかと」
「その通りだな。いや、ありがとう。この件が落ち着いたら、私の方から尋ねるよ」
「是非そうしてください」
しっぽをくるっと回し、サラは微笑んだ。
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